第五十三話


「お休み、サリオン」


アルベルトは渡り廊下を本館に向かって歩き出した。

立ちすくむサリオンとすれ違っても足を止めずに、

一定の歩幅で遠退くアルベルトの靴音に、サリオンは耳をそばだてる。


南館への渡り廊下から本館の大ホールを経て、

正面玄関から皇帝専用の馬車に乗り、公娼から程近い王宮に帰還する。

反響していたサンダルのはすぐに聞こえなくなり、

サリオンの胸を締めつける。

いつものように肩や髪に、ふざけて触れて去るのだろうと思っていたのに、

行き過ぎた。こちらを見ようともしなかった。


そして静寂だけが残される。


アルベルトは、二度とここには戻って来ないと、思わせるような静けさだ。

世界が消滅したような寂寥感が迫ってきた。


やけに鼓動が激しく胸を打ちつけて、喉が詰まったようになる。

息が苦しい。

無性に喉の渇きを覚えていた。


いてもたってもいられないほど焦っているのに、焦る理由がわからない。

どうすればいいのか、どうしたいのかも、わからない。

わからなかったが、とにかく自分も本館に戻り、

ダビデがあの後どうしたのかを、確かめなければならないはずだ。


サリオンは、ふらりと足を踏み出した。

後は惰性だ。考えなくても身体が勝手に動いてくれる。

アルベルトが辿った薄暗い渡り廊下を、サリオンも直進する。

本館一階の中央にある円型のホールまで来て、大理石の大階段を上り出す。

少し息が切れ始め、滑らかな手摺りに手をかけた。


呼吸を一度整えてから見上げると、大階段の踊り場で下男が数人、

声をひそめて話している。

踊り場には篝火が焚かれ、

背中を丸めて顔を寄せ合う彼等の黒影が壁や手摺りに伸びていた。


「サリオン!」

 

半袖膝丈の貫頭衣かんとういに麻縄の帯を締めた下男の一人が踊り場で、

驚いたように声を上げた。

サリオンも、つられて階段を駆け上る。


「どうしたんだ? こんな所で集まって」

「いや、ちょうど皆で手分けして、お前を探しに行こうとしてたんだ。ダビデ提督は戻られたが、アルベルト陛下はお見えにならない。何がどうなったのかをサリオンに聴いて来るよう、旦那様に言われて……」

 

と、下男達は互いに顔を見合わせながら説明した。

旦那様とは館の主人のことだろう。

暴君のダビデを激昂させた奴隷の廻しをダビデの元に連行した際、

自分達まで巻き添えを食うのは真っ平だとでも言いたげだ。

踊り場まで上り切ったサリオンは、困窮顔の彼等に先に問いかけた。


「それで、お戻りになられた提督は?」

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