第五十一話

 

肩を揺らして一笑し、アルベルトはサリオンを一瞥した。

諦観と未練が混濁した眼差しが、ズキリと胸に突き刺さる。

サリオンは、ふいと顔を背けることしかできずにいた。


「俺がこの国の皇帝だからこそ、お前は俺が迫っても、上手くかわしてくれていた。番も母国も奪われて、奴隷にされた恨みも憎しみも全部押し殺し、俺に仕えてくれていた。そうだとするなら、あまりにお前が可哀想だ。俺が身を引き、レナと子供をもうけたら、少なくともレナの望みは叶えてやれる。レナの側付きとしての責任も、お前は果たせる。それならいっそ、そうするべきだと自分を納得させるつもりでいた……」


アルベルトの顔を見なくても、懊悩している表情が脳裏に浮かぶようだった。


その彼が、やはり今夜はレナと一夜を過ごすつもりでいたのだと聞いた瞬間、

体のいちばん深い部分がヒヤリとした。

サリオンは、瞬きを忘れるぐらいに狼狽した。


「だが、お前がダビデに連れ去られたと知った途端に、そんなもの全部吹っ飛んだ」


言い終えるなり、アルベルトが決然と頭を上げた気配がした。

サリオンもまた彼を見た。

のらりくらりと擦り抜けることもできるのに、

受け止めなければならない気がした。


廊下の上部に設えられた明かり取りから斜めに差し込む月光が、

アルベルトの半身を横切るように照らしていた。


「なあ、サリオン。そうするべきだ、で生きてて何が楽しいんだ? 皇帝として俺が普通に、まっとうに世継ぎを作り、王家直系の継承と治世の安定を図ってみせれば賢帝だと、他人は評価するだろう。俺自身の満足も幸せも楽しみも、そこにはなくても評価はされる。周囲が認めてくれたなら、それで自分も満足する。それで心も潤って安心できるというのであれば、それに越したことはない。それも幸せの形のひとつだろう。俺も、その幸せの形に何とかして自分を収めようとするんだが、どうやら俺には無理らしい」


顔を横に向けながら苦笑をもらしたアルベルトが、不意に真顔で黙り込む。


「……どうしてだよ」


興味はないが仕方なく相槌を打ってやったつもりだった。

それなのに言葉が喉で絡まって、語尾が無様に上擦った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る