第三十一話

 

ユーリスの息のそよぎを、抱き締める腕の力強さを、肌の熱さを、

汗の匂いを求めているのに得られない。

こんなにも飢えているのに満たされないまま生き続けるしかないという、

こんなにも残酷な心の渇きを植えつけたのは、

侵略国のテオクウィントス帝国に他ならない。


アルベルトはその侵略国の皇帝だ。

アルベルトが去っていったからといって、嘆く理由は何もない。

傷つく必要はないはずだ。

サリオンは気持ちの整理がつくにつれ、目が覚めるような思いがした。


今までがどうかしていただけだった。

アルベルトの圧倒的な存在感に惑わされ、よろめきかけていたなんて、

まともじゃなかった。

情けない。

ユーリスにだって顔向けできなくなってしまう。


サリオンは噴水の縁から決然として立ち上がる。


中庭の小路を軽やかに駆け戻り、庭を囲む回廊から薄暗い館内へと入った途端、

やっと見つけたとでも言うように、年少の下男が血相を変えて走って来た。


「サリオン様! どこにいらしてたんですか……!」

 

責めるように言ったきり、黒髪に黒い瞳のΩの彼が乱れた呼吸を整える。


「先程から、急にダビデ提督が……」

「ダビデ提督?」

 

駆けつけた男児の慌てた様子に、サリオンは顔を強ばらせた。

この国では彼の名前を聞くだけで、大概の人間は眉をひそめる。

短気で冷酷で驕慢きょうまんだという、悪名高い軍人だ。


ダビデ提督は今夜アルベルトとレナを競い合ったが、

総花そうばなという祝儀をはずんだアルベルトが勝ち取った。


すると、提督はレナと同じ最高位の『昼三』男娼ではなく、

ひとつ格下の『寝所しんじょ持ち』の男娼を指名した。

どうせなら最後まで見栄を張ればいいものを、負けたとなると、

途端に金を出し惜しむ。

そういう面でも男としての狭量さを恥ずかしげもなく露呈させる、

鼻持ちならないαだ。


とはいえ『寝所持ち』の男娼も、

客を迎える寝所と、平常起居する居間の二間ふたまを与えられ、

取る客もアルベルトのような王族のαか、

王族に準じる大貴族のαがほとんどだ。

 

ただし、ひとつ格が下がる分だけ、

部屋の設えや調度品は、最高位の昼三に比べれば派手さに欠ける。

また、昼三男娼は身につける宝飾品も豪華だが、

寝所持ち男娼は昼三よりは値が安いため、それ相応の装いだ。


その『寝所持ち』より格が下がると『部屋持ち』男娼という、

この公娼では最下位に位置づけられる。

部屋持ちは、起居する部屋に客を迎えるベッドがある。

簡素な造りの一室だけしか与えられない部屋持ちの客は、主にβの中流層だ。


βの富裕層が、レナのような昼三男娼を買ってはいけない規律はないが、

高すぎて手が出ない買い物だといった方がいいだろう。

公娼では、各々の男娼の位に従って、扱いも客層も明確に区別されている。


「ダビデ提督が、どうかしたのか?」


サリオンは庭から館に戻る小路を足早に過ぎ、下男の男児に問いかけた。

男児も後を追って来る。


相手は、問題の提督だ。

既に何らかの修羅場になっていて、誰にもそれを治めることができないからこそ、公娼内のあらゆる仲裁事を引き受ける『廻し』の自分が呼ばれているのだ。

サリオンは眉間の皺を深くした。

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