揺らぎ

 駐輪場での月村雫との会話の後、不安でどうにかなりそうな心をなだめながら、どうにか自室まで帰ってくることが出来た。

 

 心が安まることはなかった。漠然とした恐怖が心を鷲掴み、決して離そうとはしなかった。

 当然だ。まさかあんな所で捨て去った過去──己を黒歴史を掘り起こされるとはこれっぽちも予想できやしなかったのだから、それも当然だろう。


 どうして月村さんがあんなものを知っているんだ。そしてどうして、あんな悪趣味なものをLKのアイコンになんて設定しているんだ。

 意味がわからない。たまたま気に入った? いいや、あれは本当に極少数しか知るはずがない絵のはずだ。少なくとも、直接あれを探すことは限りなく困難であるはずなのだ。


 せっかく連絡先を頂けたのだし思いきって聞いてみるか? いや、行く欄でもそれはあまりにリスクを孕みすぎている気がする。

 もし偶然だったらどうする。自慢じゃないが、俺のコミュ力では一度勘ぐりを入れただけで、たちまち自爆してしまう恐れがあることは明白である。


 頭を揺らし、唸り声のような音を口から漏らしながら少し脳を回していく。


「──ま、いいか!」


 何かもう考えていても仕方が無いので、このことは一旦頭の片隅にでもポイ捨てておくことにした。

 どうせ俺から聞く気はないのだ。あっちから切り出してきてしまったら、その時対策を練れば良いだろう。うん。


 というわけで悩む時間はもう終わり。パソコンを立ち上げ、いつものようにウィズフレ開いてmdさんに通話してみる。

 流石にすぐには出れないかなと思いながら他のことでもしようと、新しいタブを開いた瞬間に彼女と通話が繋がったのを確認できた。


『やっほーましろくん。ましろくんから連絡してくれるなんて嬉しいよ!』


 本当に嬉しそうな声。確かに俺から掛けることは少ないが、そこまで喜べることなのだろうか。


『それでましろくん? 君から連絡してきたってことは何か言いたいことでもあるのかなぁ~?』

『まあ、一応ノルマ報告を兼ねてね』

『にゃるほどにゃるほど。今日は例の球技大会だっただったねー』


 相変わらず口調が安定しないなこの人とくだらないことを脳裏に過ぎらせながらも、気を取り直して報告を始めることにした。


『何か得点に協力しろとのお達しだったけど、とりあえず二回ほどアシストに近い形で動けた……と思う……よ?』

『何で疑問系なんだい?』


 仕方ないだろう。自分が活躍したかなんて、それこそ自分に判断が付くわけ無いんだからそこに文句を言われても困るわ。

 ……それに自分のやったことをおおっぴろげに語るなんて恥ずかしいこと、中学時代ならともかく今は恥ずかしくてたまらないんだ。


『……ふむ。じゃあ一つだけ、聞きたいことがあるんだけど良いかな?』


 聞きたいこと? どのくらい盛りましたかとか、それは誰のエピソードの引用でしたかとかそんな感じだろうか。


『何、単純なことさ。とっても大切な君自身のこと。──少しでも楽しかったかい?』


 沈黙が走る。瞬間的に答えることなんて出来るはずだがなかった。

 楽しい。あんなリア充だけが楽しめる糞イベントでそんな前向きな感情が芽生えることなんてあるはずがない──そう思っていた。


 けど決して、100%つまらなかったかと言われればそれは多分違う気がする。

 久しぶりにサッカーボールを蹴った。コートを走った。──自分のパスを受け取ってもらえた。


 俺を信じて走ってくれる人間の信頼に少しでも応えることが出来たあの瞬間が、ただ時間を浪費しただけのものであったと断言できるか? ──無理だ。


『……まあ、少しだけ……楽しかった……かも』


 悩む自分の心に言い聞かせているのだと、自分で言っていてそう思ってしまった。

 確かに嫌なことが9割だったけど、まあ少しくらいは楽しかったのではなかったのだろうか。うん。


『……うん。なら合格! 今回の試練は無事クリアだね!』


 その答えを聞いて、少しだけ安心したかのような頷きを思わせた後、はっきりと俺に合格を告げてきた。

 とりあえず俺は彼女の信頼に応えることが出来たらしい。マイクに乗らないようにああ良かったと、大きく息を漏らす。

 

『……そう簡単に俺を信じて良いんですか?』

『ん?』

『俺が嘘つかない保障なんて何処にもないんですよ? それなのに、そんな一言であっさり納得しちゃって良いんですか?』


 それは聞いたって意味の無いことであるのは俺にもわかりきったことだ。いくら親身になってくれる人だといっても所詮は一サイトのフレンド登録程度の関係。例えどれだけ相談事に乗ってくれても結局は他人事であると、そんなことは俺だって理解していた。


 この画面の先で俺に笑いかけてくれる彼女の感情に嘘がないことは、散々に人に偏見を向けてきた俺ですらわかる。──わかってしまうからこそ聞かなければ。そう考えてしまえば、もう口は抑えられなかった。


『……ふふ。確かに私はあなたにとって他人に等しい存在。何処まで小綺麗な言葉を並べても、結局はその場限りの社交辞令程度でしかないのは当然よ』

『……』

『でも! それでも信じて欲しい! 私が貴方の味方だってことを! 私が貴方を疑ってなんていないことを!』


 力強くはっきりとそう宣言する彼女の声は、何者よりも気高く美しく芯のある声であった。

 そこには間違いようのない真実がある気がした。例え数週間だけの顔すら知らぬ関係だったとしても、不思議と信じる気になれた。


『……うん。ごめん。変なこと聞いて』

『構わないわ。こんなものを使っていては、ちゃんと本音を伝えるのは難しいのはわかりきっていたし』


 その言葉に少しだけ、もやもやとした違和感が生じた。

 こんなもの? mdさんはウィズフレを魅力的に思って始めたわけではないのか?


 ……まあそれは今どうでも良いことだ。何か複雑な事情でもあるのかもしれないから触らないようにしよう。


『……やっと……から始めら…る』

『何か言った?』

『──いえ? 気のせいじゃないかしら?』


 あっちのマイクが何か拾った気がするが、まあmdさんが否定するなら気のせいなのだろう。

 

『でもねましろくん? これで終わりじゃないからね?』

『──えっ?』

『え、じゃないよ。 こんなのまだまだ序の口だよ?』


 一瞬その言葉に驚きを見せてしまうが、確かに元々の目的を考えればそれも納得だった。

 奏に対して面と向かって向かい合うためのレベル上げ──そんな情けない目標で今回の指令は出されたのだから、まだまだ終わる事が無いのは当たり前のことだ。


 けどさぁ。なんかこう、もう少し間隔開けたっていいじゃないかなーって思ったりもするんだけど。球技大会を序の口とか言っちゃう人の試練とか、もうハードを通り越してインポッシブルにまで行っちゃうのではないだろうか。


『ちょっとでも間を開けちゃうとせっかくの進展も無駄になっちゃうかもしれないしね。ほら! 三歩進んで二歩下がる、的な感じかな?』

『……そうだね。……確かにそうだ』

『でしょでしょ? だからこそ、私は心を鬼にしてスパルタ教育しなきゃいけないんだ!』


 一時代前の体育教師ばりに燃えてそうなmdさん、多分どっちかっていうとS寄りなんだろうなと、何となく察せられる熱意が漏れ出していそうだが大丈夫だろうか。

 まあなんだかんだ優しい言葉を掛けてくれたmdさんだ。流石に出来ないことは言わないはず──。


『──というわけで次は学生待望のあれ! 修学旅行だよ!』


 もう早速聞きたくないワードがこれからの苦難っぷりを容易に想像させ、声にもならない溜息がただただ部屋に響いた。

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