終了

 存在感を露わにしていた太陽も沈み、すっかり空は茜色に染まる夕方。あれほど暑かった気温も落ち始めて、歩いていても汗をかかないくらいには心地の良い気温になる時間帯──その中を俺は一人で歩いていた。


「──ふわぁあ」


 体が疲労を訴えかけてくるかのように欠伸が自然に零れ出る。

 全く呆れるほど馬鹿らしい。自分でもわかっているくらいには貧弱な体力と胆力で、どうしてそこまで疲れるなんて愚行を取ってしまったのか、未だ理解に苦しむ。

 

 こういうときに一人でいれるのがぼっちの強みだ。リア充共なんて、行事の始まりから終わりまではしゃいでいけないのだから、やはり別の種族かなんか何かなのだろう。

 

 球技大会は優勝した。あの試合はその後、尋常じゃない盛り上がりを見せ2-1という切迫した試合で終わりを迎えた。

 女子のバレーも圧勝したらしく、クラスはすっかりお祭り騒ぎ。もう下校時間だというのに、未だほとんどの生徒が残って祝勝会の計画やら何やらを立てているのが耳に入った。


 こうして優勝の嬉しさを噛み締めながら、放課後の打上げでクラスの結束がより強まるのであった的な? ……まあ俺は誘われないし、こうして寂しげにとぼとぼ歩きながら自転車を取りに向かってるんだけどね。


 ちなみにまったくどうでも良いことだが、白菊はもうとっくに帰宅した。ここでさっぱり帰れる人間とそうじゃない人間が孤高と孤独の差なんだろうなぁ。


「……何考えてんだか」


 くだらないことを適当に反芻しながら、一瞬でも寂しいと思ってしまった自分へ自虐気味に笑みがこぼれる。

 

 今日の俺は少しおかしかった。mdさんとの約束があろうともありえないくらいに、己の立場を危める愚行の連続だったはずだ。

 サッカーなんて真面目にやったのは中学の部活が最後。最早錆び付いて言うことを聞かないこの足で、あろうことかロングシュートなんて馬鹿な真似をしてしまったのはどうかしていた。

 一度でも失敗していたらどうする。せっかく興味も持たれない、いじめにも遭わない平和な地味陰キャ出入れた俺の学校生活を全部おじゃんにしてしまっていた所だ。


 そんな未来、恐ろしくて考えたくもない。想像するだけで震えが止まらなくなりそうな、完全無欠のバッドエンド。俺にお似合いではあるがそうはなりたくはない。

 

 今日だけで何度心臓にえげつない負担を与えていたか。そんなことばかり浮かんでは、ぶるぶると強引に振り払う作業が続いていた。

 こういうマイナスなところがあるからこそ、俺はあの星のように遠いおさななじみから逃げてしまうんだろうと、更に自分が嫌いになっていく。

 

「……ほんと、嫌になるよ」


 自分にだけ伝われば良い。そう思いながら、ぼそりと己だけを罵るようにどろどろとした何かを言葉にして呟く。

 少しは気が晴れればそれで良い。悪いのはいつだって自分なのだからそれで良い。出しゃばって自慢して後悔して、恨み嫉みをぶつけるのが俺というゴミくずの──。


「何が嫌になるのかしら?」


 後ろから聞こえたのは、凜とした強い女の声だった。

 後ろを振り返らずともわかる。この良く耳を通る鈴を転がしたかのような声なんて、俺の人生では数えるほどしか知らない。


 ──切り替えろ垣根冬夜。どうやらまだ、楽しい楽しい球技大会は終わってはいないらしい。


「……やあ、月村さん。さっき見たときは教室にいた記憶があるんだけど気のせいかな?」

「疲れたから抜けてきたのよ。いつまでも、あんな馬鹿正直に騒いでなんていられないわ」


 彼女の口から漏れたのは、聞き間違いかと思うほど棘のある言葉だった。

 不思議なことに嘘を言っているようには見えなかった。実に意外なことだが、あの誰にでもお優しい月村雫本人の言葉であることを否定することは出来なかった。


「意外だね。あの月村さんがそんなこと言うなんて」

「……そうね。普段なら言わないわ」


 誤魔化すように髪をかき上げ、ゆっくりと近づいてくる月村さん。

 普段ならってことはそこまで疲れていたのか。聞いた話じゃ決勝でも大活躍だったらしいし、いくら月村さんでも思わず出てしまう言葉もあるか。


 ……それにしても、どうして月村さんは俺の真っ正面で止まったんだろうか。帰るなら俺を追い越して自分の自転車を取りに行けば良いのに。


「それにしても、今日は本当に驚いたわ。まさか冬夜君がシュートするなんて思ってなかったもの」

「……はあ」


 俺より身長の高い彼女が視線を俺の目に合わしながら楽しそうに言っているが、何がそんなに嬉しいのか疑問で仕方が無い。

 俺が活躍したとしても、月村さんにはこれっぽちの関係のない話だろうに。それともあれか? クラスの輪を乱すゴミくず野郎が少しでも能動的に参加したことが嬉しいとか、か?


 ……駄目だわ。少し頭を回してみたが、これっぽちも候補が浮かんでこないや。

 それにしてもリア充という連中はどうしてこう、こんな簡単に人を下の名前で呼べるんだろうか。


「──ええ、本当に意外だったわ。まるで誰かに指示されてる、そんな風だったわ」

「──っ」


 一瞬、黒曜石のような黒い瞳が俺を測るかのように射貫く。

 何も恐れる必要は無いはずなのに、思わず息を呑む程に鋭くすくみ上がりそうな眼を、彼女は確かに俺へ向けてきていた。

 

 落ち着け。心を乱すな。確かに心臓が止まりそうなくらい驚いたが、よくよく考えたら別にバレてもそこまで問題にはならないはずだ。

 会ったこともない知り合いの言葉を鵜呑みにしてちょっとやる気になるなんて世迷い言、精々どん引きされる程度だろうしあんまり隠すことでもないはず……はず?

 

 そもそもの話月村さんが、俺個人のことなんて気にするはずがないだろう。今の言葉だって深い意味は無いだろうし、本当に思ったことを言っただけだろう。うん。


「……」

「……」


 沈黙が辛い。月村さんはさっきの鋭い目なんて感じさせない、いつも通りの笑顔でこちらを見るのみだ。

 俺は俺で警戒しないということは不可能に等しく、一方的に緊張感が高まっていってるので切り出せないので状況が動きようもない。……どうしよう。


「……そろそろ帰るわ。──そうだ! 折角だしLK交換しない?」

「あ、うん」


 言われるがままに携帯を開き、送られてきたLKのアカウントが登録される。

 親以外ではほとんと使わなくなったこのアプリで、まさか月村さんと連絡先を交換することになるとは思わなかった。


「……えっ?」


 新しくリストに乗った月村というアカウント名ににやけそうになるが、彼女のアイコンを見てすぐに引っ込んでしまった。

 別に上手くもない一枚の絵。それはかつて、俺が記憶の底に埋めた忌まわしき黒歴史の断片の──。


「つ、月村さ──」

「じゃあまた、来週教室で会いましょう」


 不安からか、このアイコンについて聞こうと思って彼女の名前を呼ぼうとするが、既に彼女は遠ざかり始めていた。

 走って問いただしたいが、もしこの場を誰かに見られたらどうする。そう思うと、足も言葉も引っ込んでしまいその場に佇むしかなかった。


 何であれを彼女が知っている。あまつさえそれをアイコンになんて使っているんだ。

 奇跡にも近い偶然か。──それとも、あんな数人しか知るよしもない過去を彼女は知っているのか。


 どうする。どうするどうするどうする!?

 どうすれば良い。もしあれが俺に関係していると、それを他者に暴露されたとなると今後が──。


「あ、言い忘れてたことがあったわ。冬夜君」


 自転車に取ってきたらしく、わざわざこっちに自転車を押して戻ってくる月村さん。

 何を言われるんだろう。もしかして今から脅されるとか金をせびられるとか──。


「かっこよかったわよ。次は修学旅行ね?」


 耳元でそう呟き、こちらの顔を伺うことなく彼女は去って行った。

 あまりにもたくさんの情報にこの疲れた脳ではまともに思考が回らず、ただ彼女の自転車が見えなくなるまで見ていることしか出来なかった。

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