和歌グルメ女

四宮あか

雨の日でも並ぶメンチカツ

 武蔵野台地は広く、どこまでも続く野原や、その野原で見上げる月の美しさを詠まれた和歌が多く残る。

 その後、広大な野原は田んぼとなり、畑となり、今は一部を除いて緑が消え、広大な宅地となった。

 昔ながらの景色の多くは失われ、代わりに多くの建物が立ち、野原は人々が暮らす街へと変わった。

 変わったのは街だけではない。


 今の世に和歌を詠む人などほとんどいない。

 でも、手段が変わっただけで、その時その時の思いを人々は発信している。

 ツイッターやインスタグラムなどのSNSで昔とは違い、写真付きで。

 そして、いろんな人の意見が気軽にネットで見れてしまうからこそ……



 私、平野ひらの 加奈子かなこ、日本文学専攻は困っています。

「ねぇねぇ、活動範囲的に間違いないって。絶対うちの大学にいるって、『和歌グルメ女』」

 大学の敷地内での雑談を耳にして私はくるっと踵を返した。

 私の大学生活はこんなはずじゃなかった! 私の大学生活はこんなはずじゃなかったの!!!

 私は思わず早足で先ほど話していた人と違う方向へと逃げた。


 

 大学で古典を中心に物語や和歌文学について学ぶはずだった。

 昔の人が歌を詠んだだろう場所で、昔と変わってしまった時の流れの移り変わりを感じ、うっとりと思いをはせるはずだったのだ。

 そう今の世では見上げてもなかなか見えない月を探したりしてね。


 そ れ が ……あーーーー!

 ツイッターの画面を開いて私は思わずボブの髪をスマホを持っていない手でぐしゃぐしゃとしてしまうって、メガネずれたし。


『和歌グルメ女、相変わらずうまそうな写真撮る、でもまた変な和歌付き。今時

 和歌とか……(笑)

 あーラーメン俺も食べていこう。                    』


 引用ツイートされたことが通知された私のツイッターを見て私はイライラした。

 読むじゃなくて、和歌は詠むって書くのよ! そんなこともわからないなら、私のツイート引用するんじゃないわよ。



『和歌グルメ女』――――なんて雅さのかけらもないの!

 でもいつの間にか、この雅さのかけらもない『和歌グルメ女』が私の俳号として定着してしまったのだ。


 最初に、私のことをそう言い出したやつ絶対許さないと思うのだけど。

 気が付いたときには、和歌グルメ女という不名誉な形でバズり。フォロワーがどんどこ増えてしまった今……遡って探すこともできず。

 この不名誉な一方的につけられた俳号を耳にするたびにイライラするのだった。




 ことの始まりは、授業で先生が言っていた『今の人たちの表現方法は和歌ではなく写真をとり、SNSにUPするようになっている』だった。

 SNSは登録するだけで、あまり活用していなかったけれど、現代の人たちがどんなことを発信しているか気になった私はネットサーフィンしてしまったのだ。


 これが私と現代の表現方法である『写真+味の感想があげられるSNS』との戦いの始まりだった。

 ラーメンからスィーツまで、皆おいしそうな画像上げすぎ!? 映える写真最初に撮り始めたのは誰なのよ!!!! 私に謝りなさいよ。

 あなたのせいで、あなたのせいで、私変な俳号ついたんだから!?



 これは、和歌に思いをはせるために上京して進学した私が。

 現代の表現方法であるSNSの映え写真に苦しめられ、グルメを楽しみ。

 美味しいものと巡り合った喜びを和歌で表現してしまったために、『和歌グルメ女』という雅ではない不名誉な俳号で勝手に呼ばれるようになったことに悩むけれど、食べることも、食べて感じたことも詠まずにはいられない私の戦いの物語である。



 ◆◇◆◇



 2020年、武蔵野台地で私が思いをはせるのは美しい月ではなく。

 きつね色にさっくり上がった丸いメンチカツだった。



 吉祥寺 メンチカツと検索すると出てくる有名店がある。

 平日はもちろん、雨の日だってメンチカツを求めて人々が並ぶほどの店らしい。

 信じられる? 雨の日よ。雨の日。

 メンチカツは今はスーパーやコンビニでだって買えちゃう。

 それが1個240円!? 確かにおいしそうだけどさ……スーパーなら100円ちょっとで買えるのに。


 吉祥寺メンチカツって検索をかけると、おいしそうなメンチカツの画像がばーーーっと表示される。

 百聞は一見にしかずと昔の人はうまいこというもので、沢山UPされているおいしそうな写真のせいで、おいしかった!! が伝わってきて困る。

 メンチカツに240円だなんて予算オーバー。



 欲しい本もあるし。そんなお金……

 そうやって納得させようとするのに、私の心の中には、まるで会いたいのに会えない恋人がいるかのような切ない和歌が思い出されて。

 素敵な会えない恋人を思う和歌とおいしそうな名店のメンチカツが融合しそうになった私は……


――素敵な和歌を守るためにも、現代の人たちが舌つづみし、写真をUPしまくるお店に本日もわざわざ足を運んだわけです。

 これは不可抗力なわけで……



 店の場所はだいたいしかわからなかったけれど、近くに来たらすぐにわかった。

 だって、お肉屋さんの前に雨にもかかわらず、傘をさして人が並んでいるのだもの。

 全く狂気の沙汰ね。


 傘をさしてまで、1個240円もするメンチカツを買うなんてどうかしているわ。

 何個買うか電話を掛けるおばちゃん、パチパチと聞こえる油の音と揚げ物のいい香り。

 紙の包装紙の中にメンチカツを入れて渡しているみたい。

「はい、お嬢ちゃんいくつ?」

「ひと……いえ二つ」



『アツアツをかじるのもいいけれど、家に持って帰ってキャベツと一緒にソースとマヨネーズたっぷりでパンにはさんで食べるのもうまいんだよな』

 あぁ、1つのつもりだったのに、ついツイッターで見たおいしいお勧めの食べ方が頭をかすめてしまった。

 なんで、そういう細やかなおいしい食べ方をいちいちUPするの……

 顔も知らぬ人恨むわ。

 というわけでメンチカツ2個――480円の大出費。


 がっくりと肩を落とす私に渡されたメンチの入った包装はアツアツだった。

 傘を片手に、皆お行儀悪く大の大人がほおばっていた。

 私は480円もかけたのだからと写真を1枚撮ると、店先から離れたところでかぶりついた。


 ザクっとした衣と中から染み出すアツアツの肉汁。揚げたてじゃないと味わえないおいしさがそこにあった。

 後はもう、熱さとか、口が火傷するとか考えずに、今一番おいしい時を逃すまいと、かぶりつく、ハフハフと熱を逃して肉のうまみと玉ねぎの甘さを堪能する。

 そしてもう、一口。


 後で食べるつもりだった分も合わせて、2個のメンチカツはあっという間になくなった。

 そして、私は今の気持ちをツイッターを開いてつぶやく。



 

 武蔵野の 月はみえぬが メンチある 愛しい味が 口に広げり




 アツアツで、まだ油がじりじりしているメンチカツの写真を添えて。

 私はまた、和歌グルメ女と言われる、和歌と写真を上げてしまった。

 季語なんて入ってないし。満月とメンチカツの丸さをかけるって……あーもう。ひどい出来だわ。


 そもそも私が詠みたかったのはこんな、食いしん坊の歌じゃない!?

 でも、その時感じた思いを的確に詠んだ和歌を消すのもで……私はそのままスマホを閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る