きっと、壊れない世界へ

ワルツ

世界を壊した夜

今日も一つ世界を壊した。

人が、地が、空が、音が、匂いが、感触が、一瞬で無かったことになった。

色鮮やかでドラマチックな世界は暗転して、今日も鳥の声が朝を告げる。


陽の光の暖かさで私は目を覚ました。目を覚ます、とは言うが瞼を押し上げても広がるものは暗黒だ。

視力を失って悲しいと思う時は朝だ。おはようと言っても光は見えず、病の痛みという現実だけが身体を刺すのだ。

今日も手足がだるく、ベッドという牢から出れることはない。身体を起こすのがやっとだ。

父から貰ったかぼちゃの玩具を掛け布団の上で転がしながら、陽の暖かさに手を伸ばす。

鎖の長さはこの腕の長さ。この両手の動く範囲が私の現実世界だった。

不味い病院食を食べ、検診が終わると、また今日も淡白な日常が幕を上げた。

かぼちゃの玩具を自分の隣に寝かせると自分も布団に潜り込んだ。

私は昨日の夢について考えていた。


昨日の夢は私に友達ができる夢だった。友達の顔は思い出せない。声も思い出せないが多分男の子だと思う。

なぜか甘い香りを漂わせている不思議な子だった。私はその子に連れられて春夏秋冬が詰め込まれた箱の中を冒険するのだ。

私達は手を繋いで色んな場所を巡り歩いた。だが、冬の国に着いた時、私は友達と離れ離れになってしまったのだ。

私は悲しくなって必死で友達を探した。だがその友達は見つからない。

冷たい世界をさまよった末に、私は踏切を見つけた。

鮮やかな黄色と深い黒で塗り分けられていて、昔まだ目が見えた頃に父と海に出かけた時に見た踏切によく似ていた。

踏切の真ん中を横切るように線路があり、線路は果てが見えないくらい遠くに続いていた。

遮断機は開いていた。そして踏切の真ん中に私のお気に入りの顔のついたかぼちゃの玩具があった。

私は急いでかぼちゃを取りに踏切の中に飛び込んだ。途端に鳥籠に鍵がかけられるように遮断機が降りた。

カンカンカンとやかましい音がなり、唸るように地が揺れた。列車が来る。

私は急いでかぼちゃを拾い上げて遮断機をくぐって逃げようとした。だがなぜだかかぼちゃは鉛の塊のように重くて持ち上げられない。

汽笛の音がした。黒塗りの機関車が迫ってくる。かぼちゃは未だに持ち上がらない。

その時、私は居なくなった友達が遮断機の向こうに居るのを見た。

すぐにその子のもとに行きたかった。だがかぼちゃが悲しそうに笑っていた。

気づくと汽車は私の隣に居た。『まずい』と思った。


そこで目を覚ました。正確には、覚ますことにした。

私はそれが夢だと気付いたまま夢見ていた。面白い夢だったから最初は乗っていた。だが恐ろしい展開へと変わったから止めたくなった。

楽しいことも、怖いことも、起こったらそれは夢なのだ。私の現実世界はひどく無味乾燥なものだからそんなドラマチックな現実なんて起こりうるはずがない。

私は悪夢は見慣れていた。夢の中での攻略法も自然と身に着けていった。

悪いことが起こったら身をかがめて目を閉じればいい。瞼が崩れそうなくらい強く閉じればいい。

いつもそうすれば真っ暗になった視界から鳥の声が聞こえてくる。


だが、いつも目を覚ますとふと考える。私がさっきまで居た夢の世界はどうなってしまったんだろう?

あのかぼちゃは汽車に曳かれてしまったのだろうか? あの友達は踏切の中の私を見て何を思っただろう?

かぼちゃは、友達は、夢の中に置き去りにされた挙句何もかも無かったことにされて、どんなふうに思っただろう?

いつも目を覚まそうと目を瞑る度に、置いていく夢たちに謝りたくなる。

けれど必ず目は覚まさなくてはならないから、私は今日も「ごめん」と言って世界を壊した。


『所詮夢やわ、馬鹿馬鹿しい』なんて、そんなふうには考えたくなかった。

たとえ空虚な妄想の延長に過ぎなくても、私は毎晩見る夢達が愛しくて仕方が無かった。

夜になって目を閉じると生まれる世界は昼の無味乾燥な現実よりもずっと奥深く魅力的に感じた。

昼の私は考えた。


こんなに狭くて何も視えない現実世界に居る意味があるんかなぁ?


すると、声が聞こえた。


「確かに、狭い世界だね。」


聞いたことが無い声だった。今まで感じたことの無い温度のある声だった。


「視覚化さえされていない。規則的な音声と温度と香りと、いくつかの触感だけで構成されているみたい。

 本当に、小さくて脆い世界だな。なんでこんな世界が残っているんだろう。

 画家さんの描きかけ? それとも困った著者さんの仕業? それとも誰かの思い出かな。」


不思議な声は不思議なことを言った。そして私に問いかけてきた。


「君が世界の意志かな、お嬢さん。」


お嬢さん?


「あれ、違った? なんとなく女の子かなって思ったんだけど。」


うん、そうやわ。私は、お嬢さん。


「そっか。じゃあお嬢さん、ここで会ったのもなんかの御縁。君へのプレゼントに何かお願い1つ、叶えてあげる。何がいい?」


私、消えない世界を作りたいんや! 壊れない夢が見たい!


「その話し方、なんかちょっと懐かしいな。なんでだろう。」


変やろか……?


「ううん、可愛いよ。えっと、お願いなんだっけ?」


私の、消えない世界が欲しい!


「わかった。お願い、叶えてあげる。」


その声と共に、私の世界は急にキラキラ輝きだし、ベッドから体が浮いて空を自由に泳ぎだした。

濃紺の空には星が広がり、鈴を転がしたような音がして光が弾け散る。

楽しくてはしゃぎまわり、嬉しくて泳ぎ回る。そうしていると再び声がした。


「気に入ってくれた?」


気が付くと、目の前にあの声の主が居た。今ならはっきり姿が見える。

さらさらした金髪に綺麗な青い瞳、童顔で優しそうな雰囲気の少年だった。青と黒を基調とした服を着て、大きなマントを羽織っている。

私は元気よくお礼を言った。


「ありがとう! ありがとう! とっても素敵やわ!」


「よかった。なら、最後にこれをあげる。よっぽどお気に入りだったんだね。」


少年は顔のある玩具のかぼちゃを差し出した。私のお気に入りの、夢の中でも見た、あのかぼちゃだった。

少年の手からかぼちゃが零れ落ちる。それは私の手の中にすっぽりと収まった。

私の手に乗った途端、かぼちゃの顔がにっこり笑って輝きだした。


「君だけの世界じゃきっとすぐに壊れちゃう。だから、君の世界を広げてくれる宝箱をあげるね。」


かぼちゃに黒い翼が生え、空を飛びながら夜を照らす。かぼちゃが通った道筋から、色が音が匂いが感触が生まれていく。

鮮やかな紅が水彩絵の具のように滲んで、私の夜空と合わさって、歪で美しい世界ができていく。

気が付くと、私の体が手から溶けていることに気が付いた。急に、怖くなった。


「大丈夫、何も怖くないよ。きっと、すぐに目を覚ますから。壊れないこの世界で。」


魔法みたいに、その一言で恐怖が消えていった。

私は魔法使いみたいなその少年に何度もお礼を言った。少年はにっこり笑って手を振って、空の彼方に消えていった。


体重が無くなったようにふわっと体が軽くなり、溶けながら落ちていく。

私はかぼちゃに手を伸ばした。かぼちゃは嬉しそうに私の手にすり寄ってくる。

かぼちゃを強く抱きしめて、私は幸せいっぱい込めて言った。


「ありがと、大好き。ずっと私のお友達でいてね。ずーっと一緒にいようね。」


そうして私達は静かに眠りに落ちた。

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