Side Story 〈Shizuru〉 episodeⅪ

 それは2月半ばくらいの日曜日だった。

 いつもなら朝からログインするんだけど、その日は全くログインする気にもならず、お昼になってもただただベッドの上でぼーっとしてた時。

 天井を見上げる私の枕元で、ブブッとスマホが鳴った。


 誰だろ?


 通知を確認すると。


ハム文>Shizu『こんにちは』


 え!? 嘘!? くもん!?


 基本的にログインすれば会話が出来るから、Talkでの連絡なんかオフ会以降1度もなかった。

 だから、久々に来た通知にあたしは驚いたのだ。


ハム文>Shizu『今平気?』

Shizu>ハム文『うん。どうしたの?』


 あたしがそう返すと。


Prrrrr.Prrrrr.


 着信を告げる音が、スマホから鳴り響く。

 もちろん相手は、くもんだった。


「も、もしもし?」

『あ、いきなりごめんね。くもんです』

「うん、大丈夫。どうしたの?」

『いや、ちょっと千葉駅の方に来たんだけど、どうしてるかなって思って』

「え、嘘? なんで?」

『ちょっと用があってね。それで、用件が終わったんだけど、よかったらお昼でもどうかなって』

「え、あ、え?」

『あ、もうお昼済んだ?』


 この時、時刻は12時43分。

 でも、朝から何も食べる気なんかなくて、当然お昼を食べたわけがない。


「う、ううん。まだだけど」

『よかった。じゃあ、どうかな?』

「え、あ、い、いく!」

『うん、じゃあ千葉駅の中央改札で待ってるね』

「わ、わかった」

『じゃあまたあとで』

「うん、またね」


 なんとか会話を終えたあたしだけど、突然のお誘いに、脳内は当然パニック。

 でも、久々に聞いたくもんの声は、なんだかあたしを安心させてくれた。


 行かなきゃ。


 急いで不慣れな化粧をして、コンタクトをつけて、髪をセットして、服を選ぶ。

 でも、この前みたいにちゃんと用意はできなかった。

 髪も、あんまり綺麗な状態ではない。


 それでも、無意識の内に少しでも可愛くありたいって、思ってたんだろうな。


 いつ買ったかも思い出せないスカートを履いて、白のパーカーを着て、黒のダウンを羽織って、あたしは家を出た。

 くもんから連絡が来てから、たぶん30分後くらい。


 バス停に着くと、次のバスまであと8分。

 2月の空気はひんやりで、風が吹く度に身が凍える。


 でも、早く来てよと思う理由は寒さのせいだけじゃなかった。

 不思議な高揚感を抱えながら、あたしはバスの到着を待つのだった。




 13時32分。


「ご、ごめんね、お待たせ」


 あたしはバスを降りて、小走りで千葉駅の中央改札へ向かった。

 そして改札付近に着くと、壁沿いにひっそりと立ってるくもんがいた。

 黒のデニムに白シャツ、紺のチェスターコートを着た、どこにでもいそうな雰囲気の、優しげな男性。

 でも、あたしにとっては、勝手に特別な存在視してしまっている人。


 あの日と変わらない顔を見て、なんだか少し、嬉しくなった。

 いや、くもんも少し髪は伸びたかな?


「ううん、いきなりごめんね」

「そ、そんなことないよ。びっくりは、したけど……」

「まず最初にごめん」

「え?」


 真面目な顔して謝ってきたくもんに、あたしは慌てる。

 急にそんな顔されたら、不安になっちゃうよ。


「用件が済んだからってのは、嘘なんだ」

「え?」

「用件は今。ジャックに会いに来たんだ」

「……へ?」

「ここじゃ寒いから、近くのお店行こっか」

「え? え? え?」

「ほら、行こ?」

「あ、う、うん……」


 くもんが差し伸べてきた手は、恥ずかしくて取れなかったけど、あたしが一歩動くと、くもんも動き出してくれた。


 え、でも、あたしに会いに来たって、え、どういうこと?

 たしかに最近元気ない自覚はあるけど……え?


 とりあえず、よくわからないけど、あたしはくもんの半歩後ろをついて行くのだった。




 くもんと一緒に入ったのは、駅周辺にあるイタリアンレストラン。

 2月の外気は寒かった分、店内の暖かさは嬉しかった。


 店員さんに案内されたテーブルで、くもんがあたしにメニューを見せてくれる。


「ジャックは何にする?」

「え、ええと、この和風パスタ、かな」

「和風が好きなの?」

「え、あ、最近あんまり食欲ないからさ……あっさりしてる方がいいかなって」

「そっか」


 空元気を見せて笑ったあたしに、くもんは珍しくそっけない答えだった。

 いや、そっけないというか、神妙って感じ……?


 くもんもメニューを決めたようで、店員さんを呼びオーダーを告げる。

 くもんも、あたしと同じの頼んでたけど、くもんは和風パスタが好きなのかな?


「久しぶりだね、会うの」

「う、うん。年末ぶり、だね」

「最近は大変だったね」

「あー、うん。でも、みんながいてくれるから、平気……かな」

「うん……」


 ほんとは全然平気じゃないけど。

 つい、強がってしまう。

 心配されたくないから。

 一人で大丈夫だよって、思いたいから。


「普段お昼は、家で食べるの?」

「あ、うん。そうだね。何か買いに行ったり、頼んだりが、多いかな」

「誰か作ってくれたりは?」

「あ……」


 くもんの顔に、悪意はなかった。

 あたしが実家で暮らしてるって知ってたからこそ、何気なく聞いてきたんだろう。


 さっきは強がってしまった分、今度はなんとなく、くもんに嘘をつきたくなかった。


「いない」

「え?」

「あたし、家族いないから」

「……え?」

「お父さんも、お母さんも、もう死んじゃったから」

「あ……そう、なんだ。……ごめん」

「ううん。あたしも言ってなかったし」

「うん、でも、ごめん」

「くもんが気にしなくていいよ。ええと、もう慣れてるから、さ」

「うん……」


 暗い表情をするくもんを見るのは、辛かった。

 こんなことなら、嘘つけばよかった。

 

 そんなタイミングで運ばれてくる料理。

 出来立てな湯気を見せる温かな料理は、この時期なら嬉しいはずなのに。

 正直、食べる気にならなかった。


「あ、あのさ」

「な、なに?」

「あ、食べながらでいいから、聞いてくれる?」

「う、うん」


 食べながらって言った割に、くもんも料理には手を付けず。

 くもんは真っすぐにあたしの目を見ていた。


「あのさ、ジャック、ギルド抜けたら?」

「え?」


 その言葉に、あたしは人生で初めてレベルに目を見開いたかもしれない。

 

 ギルドを、抜けろ?

 え、あたし、そこまで迷惑かけてた……?

 もぶならまだしも、あたしが抜けるの……?


 くもんとの繋がりである【Vinchitore】という居場所から、あたしを遠ざけようとするその言葉の意味が、分からなかった。ううん、分かりたくなかった。

 たしかにあたしだって時折考えたりはしてたけど、よりによってくもんから言われたのが、ショックだった。


 【Vinchitore】があるから一緒にいれるのに、そこを失ったら、もうあたしには何もない。

 あたしは、どうすればいいというのか。


「正直、もう見てらんないというか」

「え?」

「守ってあげれなくてごめん……」

「え……? な、なんでくもんが謝るの?」

「俺が安易にオフ会の提案に乗ったから、ジャックともぶを引き合わせてしまった。きっともぶと二人じゃ、中止にしてたでしょ?」

「え……あ……」


 それは、そうだと思う。

 オフ会を提案した日のあたしは、くもんが乗り気なのが嬉しかった。

 もしもぶだけだったら、またみんなが来れる時にって、言ってたとは、思う。


 でも、そんな責任の感じ方は、違う。


「くもんは悪くないよ」

「でも――」

「――あたしが断れないのが、いけないんだよ」

「そんなこと、ないよ」

「あたしが断れないから、みんなに迷惑かけてる。そういう意味では、抜けた方がいいのかもしれないけど」


 なぜかいまだけは、すらすらと言葉が出た。


 目の前にあるパスタから出る湯気は、どんどんなくなっていっていた。


「抜けたら、あたしに何が残るんだろうって、思っちゃうんだよね」


 無意識に、あたしの顔は笑ってる。

 それは何の中身もない、自虐的な笑み。

 あたしの人生は、ほんと空っぽだなって、自覚を示すような笑みだったと思う。


「俺も抜ける」

「え?」

「俺も抜けて、一緒に違うサーバー行って、そっちで一緒に遊ぼう」

「……え?」

「そうすれば、もうつらい思いはしなくて済むだろうし」


 その提案は甘くて甘くて、何も考えずに飛びつきたい言葉だった。


 でも。


「ダメだよ」

「え?」

「くもんはギルドに必要な人だから。あたしのせいで抜けるなんて、ダメ」

「でも――」

「――くもんが抜けるくらいなら、あたしは喜んでLAを辞めるよ」


 その提案は、受けちゃいけないものだから。

 【Vinchitore】はこれからもLAをプレイするプレイヤーたちの指針になっていくだろうし、その中でも中心的に分析や攻略をまとめるくもんは、ギルドに絶対的に必要な存在だから。

 くもんの都合ならまだしも、自分のせいでなんて。

 ゲーマーのプライドとして、そんな重要人物が抜けるのは見過ごせなかった。


「くもんは、優しすぎるよ」


 本当はくもんと一緒にギルドも捨てて遊べたら、幸せだと思う。

 たかがゲームって世の中の人は思うだろうけど、LAはこんなダメ人間のあたしにとって、生きる場所そのものだから。

 そこでくもんと過ごせるのは、絶対に幸せだって分かる。

 今でさえ一緒にプレイするだけで、幸せなんだから。

 その時間が増えたら、どんなに素晴らしいだろうか。


「でも、これはあたしの蒔いた種だから、それに付き合わせるわけにはいかないよ」


 どんなに嬉しい提案でも、長年一緒にやってきたギルド仲間たちに迷惑をかけるのは、違う。

 ルチアーノとリチャードがβ版で声をかけてくれたところから、あたしのLAライフは始まった。二人には感謝しかない。

 天真爛漫なセシルも、毒舌なやまちゃんも、たまに年寄り言葉を忘れるせみまるも、あたしの頼みを聞いてくれるうめも、何よりいつも優しく尊敬すべきくもんも。

ギルドのみんなは、あたしにとってこの上ないくらい大切だから。


「ずっと迷ってたけど、くもんのおかげで決心がついたよ」

「え?」

「あたしはギルドを抜ける。抜けて、どっかゆるいギルドでも入って、みんなを見守るよ」

「え、でも……」

「さすがにギルド離れたらもぶも追ってこないだろうし。あ、ちゃんと理由は話して、なんだったらるっさんに怒ってもらってもいいな」

「ジャック……」


 気づくとあたしは、さっきまでよりも血の通った笑顔になれてた気がする。

 でも、自分の口からこう言えた、なんかすっきり。

 そんな思いで、一口だけ冷めたパスタを口に運ぶ。


 【Vinchitore】の活動は忙しいから、ギルドを離れたら、くもんとも離れ離れで、一緒に遊ぶこともなくなるだろう。

 そしてギルドを離れたら、あたしとくもんの関係は終わる。

 これでもう、くもんと会うこともなくなるんだと思ったら、ちゃんと食べないとって思えてきた。


「今まで楽しかったよ。ありがとね」


 あたしを見るくもんは、悲しそうな顔をしてたけど、大丈夫。

 寂しいのも辛いのも、時間は必ず解決してくれる。


 両親を失ったあたしが言うんだから、大丈夫。

 って、直接言ったわけじゃないけど。


「生きる死ぬとかの話じゃないんだし、そんな顔しないで?」

「うん……分かった」

「うん、ありがと」

「分かったけど、一つだけ、俺からも譲れない部分がある」

「え、何?」


 なぜかくもんの表情が、悲しそうな顔から、真剣さを帯びるものに変化した。

 その目が、真っすぐにあたしを捉える。


「ジャックがギルドを抜けても」

「うん」

「俺に君を守らせて欲しい」

「……え?」


 え? どういう、意味?


「べ、別に引退するとか、そういうわけじゃないんだから、大丈夫だよ?」

「そうじゃなくて」

「ん……?」

「そうじゃなくて、その……俺に、池田しずるさんの寂しさを埋める権利を、ください」

「……え?」

「俺と、付き合ってください」


 その瞬間、あたしの思考回路の全てが、停止した。

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