レインⅠ
1章・英雄推薦①
──ねえ、そこでなにをしているの?
さえずる小鳥すらもうっかり木から落ちてしまうような、心地よい春風が身を撫でる。
その言葉に目を開け、寝転んだ状態で見上げた。
──眠かったの?
そこには、俺とさほど年が違わない幼顔の少女が顔を覗き込んでいた。
天女を思わせる、目を見張るような美しい色合いの和服に身を包んだ少女。
透き通った三つ編みの茶髪を左肩から下げている。
今は相手をする気になれず、無愛想に返事をした。その返しに少女はキョトンとし、直後破顔した。
──うわあ冷たいなぁ。ふふっ。
その笑顔に、思わず心臓が跳ねる。
──ねえ君、お名前は?
少女は隣に座った。
──私の名前? 言ったら貴方も教えてくれる?
若干の苦笑混じりで、それでも目を奪われるような整った容姿が風に吹かれる。
──ふふっ、私の名前は──────。
1
この世には、神話と呼ばれる奇妙な伝承が数々存在する。生命誕生は神の仕業。森羅万象が神の仕業だと。その中でも、我々人類と密接に関わっていると言い伝えられている〈精霊〉と〈悪霊〉。
〈精霊〉は様々な恩恵の授与。〈悪霊〉は生命を負に追いやる災害。いずれも目に見えないもので、敬い、恐れるものとして現代には広まっている。
だが現在提唱されているどの神話も、長い間世界中で議論が重ねられているが、どれ1つとして確証を持たない。
いわく、伝説と────。
6月──。
身を焼かれるような日差しが梅雨明けの大地と屋根を照りつける。
「──やばい」
「やばい、やばいやばいやばいっ」
2階、3階建ての一軒家が画一的に配置され、設計図通り緻密に練られた構造がどれだけ潔癖なのかが映えて見える。
「間に合えっ!」
ドンっと着地する音がコンクリート──ではなく、瓦や加工が施された木材の斜面上に響く。
ある部分は黒く、ある部分は白く、眼球に入る忙しない色彩の変化を気に止めず、通学路に隣接した住宅へと飛び移っていく。
「急げ急げ急げっ!」
住宅街から抜けた。
照り返しの強い乾燥が治まり、田畑の湿り気のある蒸気に変わり、息苦しさが増した。
高さ5mの屋根から重力に逆らわず、体勢が崩れないように空中で前転姿勢を作り、地面に触れるタイミングで回転して衝撃を殺した。
反動を使いすぐさま立ち上がるが、視界の先に待ち合わせている人物がいないことに気が付く。
「遅かったかぁ……」
熱気と動悸で滲んだ汗をワイシャツの袖で拭い、落胆する。
「おそよう、
不意に、後方から暑さを吹き飛ばす天使のような声が俺の名前を呼んだ。
「
俺──
「全く、どうせ夜遅くまでいかがわしい物でも見て寝坊したんでしょ」
「いや、見てない。それは断じて見てない」
少女──
「またあの夢でも見てたの?」
時折吹く夏至の温風が
夢──2カ月ほど前に俺が唐突に見始めてからほぼ毎週来る不思議な映像。記憶と勘違いしそうになるほどの鮮明な夢路。
目元の辺りは影に覆われて口元と髪型だけしか見えず、毎度毎度同じ場面からスタートし、すぐに終わる。終わりの場面はバラバラだが、どんなに長くとも幼顔の少女が名前を言う寸前で眠りから覚める。
「今回は惜しい所まで行ったんだけどなぁ」
「待ち合わせに遅れてまで見た夢はどう? 良かった?」
「うっ……」
不機嫌さを隠さずに嫌味半分を込めてきた。
「……あと一歩で名前が聞けそうでした」
「ふーん、良かったじゃん……」
先程より不機嫌さを増した声色が聞こえた。
「あの、
ふと、少女のある変化に気がついた。
昨日の
よく見ると、いつもは半分ほど残していた髪が後ろで束ねられている。
「ポニーテール? 髪型変えた?」
もしかしてと思い、聞いてみた。
すると次の瞬間、
「もう、気づくのが遅い!」
頬を膨らませて俺の前に移動した。
「あー、そういうことかぁ。ごめん、遅れて」
パンッと手を合わせて頭を下げる。
「どんなに些細なことでも、女の子の変化には気づかないとだめだからね」
太陽光に照らされた綺麗なブラウンが、挙動に合わせてフリフリと揺れ動く。
「はい、魂に刻みます。似合ってる、可愛いよ」
「なっ……」
可愛さが含まれた美貌に見惚れた俺は、少女を称賛した。
「ひ、一言余計よ!」
素直に褒められたからか、顔を赤く染めた
「待ったストップ、ごめんって! だからそれ下ろして! 金具に当たるとめちゃくちゃ痛いからッ!」
「じゃあ、可愛いなんて言うな!」
「ごめんなさい! 今の言葉は取り消すから落ち着いて!」
「取り消すなぁ!!」
「どっちだよ!?」
先程より一層激しくなったプチ攻防を、近所の住人は微笑ましそうに眺めていた。
*
いつもより10分ほど遅れて学校に着いた。
お互い小走りで階段を上がり、チャイムと同時に教室に入る。俺と
「よ、またラブラブ登校かよ?」
俺の前の席に座っている、掻き上げた赤髪に金が混じった混合色の男子生徒が声をかけてきた。
声の主──
パッと見は町内1番の不良に見えるが、実際はどこにでもいる普通の男子高校生だ。髪色のせいで職質が絶えないと本人は嘆いていたが、染めるつもりはないらしい。
「ラブラブってなんだよ。そんなんじゃねって」
「随分仲良さそうに見えるのにかよ?」
確かに、
だが、たとえ中学の頃に成り行きで一緒になったとはいえ、頭一つ飛び抜けた美貌持ちの
「まぁな。
こう言えば大抵の男子は敗北──殺気立った涙目──したような表情を見せる。そしてボコボコにされる。
ここまでの流れが、
いつもの
「あれ、なんで?」
ちょっと意外な返答に俺は首を思いっきりかしげる。
「レスポンスを先読みして裏をかく。だぜ」
やり切った──と、
「うわぁ無駄にカッコつけやがって、腹立つわぁ。チクショウこのやろ、このやろっ」
「あ、バカ。おいこら、髪はいじんな」
毎朝整えてるんだぞ。と、抵抗する
その後、授業は問題なく終わり、帰りのホームルームに突入した。
「──で、ずっと気になってたけどよ、その青タンはなんなのよ」
俺がカバンに教材をしまっていると、前から
そういやあったな、
「母さんにフライパンで叩かれた」
「は? フラ、えっ?」
「──はぁいみなさぁん、前を向いてくださいねぇ」
どう反応すべきか迷っている様子の
担任の
どことなくイケメンオーラが湧き出ている、元体育会系お姉さん。細身なのにどこか力強さが
高校と大学では強豪の陸上部に所属していたらしく、全国優勝経験もあるという。
入学初日に担任が教室に入った時、男女構わず目を奪われた。イケメンだのカッコイイだのなんだの、と。
去年が初任だと聞いたが、俺たちが入学する前のバレンタインは色々と凄かったらしい。とにかく
──と、無理やり手伝わされたと自称する同期の男性体育教師が、やれやれと首を振りながら嬉しそうに告白していた。
だが、そのイケメンなイメージも、担任の自己紹介──詳しくはその発声──に、違う意味で目を奪われる事になるとは、誰も予想できなかったことだろう。
「えぇっとぉ、今回はぁ、皆さんにとぉっても大事なお話がありまぁすぅ」
猫の肉球にも勝てないような動作でふんにゃりと手を合わせる。
体育の授業では楽しそうにしており、誰よりも活発に動く。その時はハキハキとしているが、それ以外の時間になった途端、今のようにフンニャリしてしまう。
ギャップ萌え──という言葉なんかでは説明しきれないほどの違和感。執拗に語尾が伸びるが、2ヶ月も生活していればある程度は慣れる。
それでも、未だに一部の女子や、体育会系が好みな男子高校生からは「うそだーッ!」と、現実逃避からの発狂が起こるとか。
最も、本人は無自覚なのだから、何に発狂しているのかわかっていない様子だ。
「えぇっとですねぇ。今朝のニュースを見た方はおわかりになると思うですがぁ、横浜市の桜木町でぇ、とぉっても大きな事件がぁ、起こったようですぅ。なのでぇ、くれぐれもぉ、遊びに行かないようにして下さいねぇ」
「事件? なんだそれ?」
重要なことを言っているようだが、目に入るふにゃんふにゃんの行動や力の抜けるマシュマロ声。そのせいでどうも危機感を持てない。
「知らないのかよ。ビルが崩れたってニュースで言ってただろ?」
そういえば家を出る時、なんとかには行くなって母さんが言ってたような。
「崩れ方が老朽化とは違うんだってよ。しかも、瓦礫の撤去作業と崩壊理由の調査を国が禁止してて、それがまた怪しいって騒いでたじゃんかよ」
「ふうん、国がねぇ──」
なんか知られたくないことでもあるのかな──なんて考えた。そこでピタリと動きを止める。
「──はぁ!? ビルが崩れたァ!?」
ザワザワとしていた教室が、音を遮断されたかのように静かになる。
「いや、今かよ」
シンとしたところに、
「え、あの、
「あー、いえ、なんでもないです。すいません……」
語尾の伸びが取れた先生が驚いたように俺に声をかけた。クラス中の視線も独占している。
助けを求めようと
(
今週一番の心の傷を負った。
胸を押え、うずくまる。
クラスメートの関心がなかなか離れず、注目が完全に散るまで脳が沸騰するような羞恥に襲われ続けた。
(もうやだ、死にてぇ……)
俺は辛うじて働く理性で脳内コメントしながら、ホームルームが終わるまで俯き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます