第3話 見たことない表情

「さあ、梢ちゃん、インタビュー撮るよ!こっちこっち」


真衣は梢を連れてインタビューのセットが組まれている室内練習場へとやってきた。「ファームドーム」と呼ばれるこの室内練習場では人工芝の上で5人ほどの選手がノックを受けており、梢は練習するチームメイトを見てウズウズしている様子だ。そんなことお構いなしで真衣は半ば強引にインタビューを進めようとする。


「さ、カメラ回すね。まずは梢ちゃんの自己紹介から。どうぞ!」


「え、湘南ジュピターズ、背番号11…うふふふふ」


カメラを向けられることに全く慣れていない梢は、突然笑い始めてしまった。


「ダメです、ほんと恥ずかしい…。ふふふふふふふ」


恥ずかしがるその顔は、試合中には絶対見せない、可愛らしい笑顔だった。チームメイトの真衣でさえ、梢のここまで無邪気な笑顔はほとんど見たことがない。見たことがあるとすれば、奈緒に抱きついている時くらいである。野球をしているときはいつも険しい表情で怒っているようにさえ見えることがある。


この表情は女子硬式野球のインターハイ時代から変わらない。

3年生の時、第1回戦で完全試合を達成しても特に表情を変えず、抱きついてくる捕手を無表情で抱き上げたシーンがファンの間では有名で、翌日のネットニュースには「湘南女学院 無表情の氷のエース弊梢 完全試合達成」の見出しがついた。

そんな梢が今、ユニホームを着た状態で笑っているのだ。


「梢ちゃん!その表情だよ!今のめちゃめちゃ可愛かったよ。梢ちゃんの無邪気な笑顔を見たいファン、たくさんいると思うな」


「野球してるときはあまり笑いたくないんですけどね…。真剣勝負だし。笑顔で本気が出せるとは思えないんですよ、私」


梢はあくまでも野球の時は笑顔を見せないという信念を貫きたいらしい。

しかし、ファンは淡々とプレーをして一切笑顔を見せない梢の態度に疑問を感じているのだ。

彼女の野球の技術は一級品で、まもなく全日本のユニホームに袖を通すことになるだろう。彼女のプレーは完全に「お客さんを呼べる」ものだ。

しかし、現実には湘南球場にはお客さんはあまり入っていない。彼女の笑顔で、湘南球場を満員にできる可能性があるのだ。そう思った真衣は、彼女の笑顔を引き出そうと必死だ。


「今のNGシーン、可愛かったから使うね。ファンはたまらんだろうなあ、みんなドキドキしちゃうぞ♪」


「真衣さん、止めてください、恥ずかしいじゃないですか」


真衣と梢のインタビューは続いた。梢の表情は次第に柔らかになり、野球の話をしていても笑顔が出るようになってきた。

彼女を昨年までの強面エースのままにしておくことはできない。「お客さんを呼べる野球選手」として、野球以外の人となりも発信していく必要があるのだ。


「梢ちゃん、ありがと。いいのが撮れた。編集してジュピターズの公式SNSにアップするからまた見ててね」


「ありがとうございました。野球の話を笑いながらすることにはまだ抵抗がありますけど、たくさん笑顔になれた部分は楽しかったです」





翌日、2月2日(日)午前10時。真衣はいつもの小走りで球場に現れてひとしきりファンを沸かせた後、編集したインタビュー動画を祥子に見せた。


「祥子監督!梢ちゃんものすごく可愛い表情が撮れたんですよ!見てください」


梢が野球をしているときには絶対見せない、満面の笑み。恥ずかしそうな表情は孤高の投手のイメージとはかけ離れた、一人の人間としての顔だった。


「いいじゃない!こういうのを求めてたのよ、梢の人間らしいところ。ほんと奈緒にハグしてるとき以外はロボットみたいだもんあの子。真衣、いい仕事したわね」


2人の視線の先には、いつも通り神妙な面持ちでランニングをする梢の姿があった。昨日インタビューで見せた表情は今日は見られない。彼女をより人間らしくするには、もっと時間がかかるようだ。


「んんんんん奈緒たああん!びろーーーん」


「わああああ、梢先輩、どうしたんですか、今日はいつもより絡みが激しいですよ」


怖い顔でランニングをしていた梢が、奈緒を見つけた瞬間にダッシュして駆け寄り、片膝をついて奈緒の頬を引っ張った。奈緒にちょっかいをかける姿はよくある光景だが、いつもよりも表情が明るい気がした。

彼女の中でどういう変化が起こっているのかは分からないが、心につっかえていたものが取り除かれつつあるようにも見て取れる。


「もしかしたら、昨日のインタビューの効果が早速出たのかもしれませんね」


真衣は祥子に伝えながら小さくガッツポーズをして、別の選手のインタビューを撮るため室内練習場へ向かった。

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