武蔵野という語に紐付いた思い出
@otaku
第1話
国木田独歩の『武蔵野』は以下の書き出しで始まる。
「武蔵野のおもかげは今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。
ダイナミックな時間の流れを一つずつ整理してゆくと、まず国木田独歩が『武蔵野』を書いたのは西暦1901年である。文政年間は1818年から1831年なので独歩の時代から七、八十年遡る。冒頭の引用は、その頃には(在りし日の)武蔵野のおもかげは既にわずかにしか残っていなかったと言っているのである。いまは西暦2020年なので、独歩の話も既に一世紀以上過去である。
現在、武蔵野には独歩が生きていた頃のおもかげもまたわずかにしか残っていないだろう。中世の頃の武蔵野は萱原であったらしい。独歩の頃の武蔵野は楢の類いの落葉樹の林であると書いてある。いまの武蔵野は、言ってしまえばベッドタウンである。星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる代わりに、レールに沿って日中は大体15分おきに武蔵野線が走っている。
武蔵野と聞いて、僕がまず真っ先に連想したのがJR武蔵野線であった。この武蔵野線について、僕にはひとつ苦い思い出があるのだ。
それは大学一年の頃の話である。何となく選択した第二外国語のドイツ語のクラスで僕はA子とB男の二人と仲良くなった。何をきっかけに仲良くなったのかはもうあまり覚えていない。多分、新歓合宿の一日目のバーベキューが同じ席だったとか、二日目の遊園地をまわる班が一緒だったとか、そんなところだと思う。クラス自体ランダムに振り分けられていたことも鑑みると(ドイツ語は全体で五、六クラスあったはずだ)、僕らが仲良くなったのは実に運によるところが大きく、そこに何らかの必然性も必要性もなかったのだけれど、結構ウマがあっていたのは間違いない。クラスは合計三十数人いたはずだけれど、一年を通して僕らはほぼ三人で固まって過ごしていた。
三人とも、別ではあるもののやる気のない文化系サークルの所属だったことが大きかったのかもしれない。他の例えば体育会の人や文化系でもやる気のあるサークルに所属していた人や、またその両方に所属していなくてもアルバイトを頑張っていた人たちなどは僕たちと違って忙しそうであった。クラス語学は火曜と金曜の四限であったが、暇な僕たち三人はいつも授業終わりはダーツやビリヤードをして遊び、二時間ほどで飽きると居酒屋で軽く一、二杯飲んでから帰った。
僕たちの通う大学は国立にあった。三人とも高尾ではなく東京方面の電車だったけど、僕以外の二人は一駅となりの西国分寺ですぐに降りて武蔵野線に乗り換えた。僕は当時A子のことが好きだったが、想いを伝える前に、確か六月頃にはあっさりと彼女はB男と付き合い始めた。B男は取り立てて顔が良い訳ではなく、当然同じ大学なのだから頭の出来は僕と同じくらいだったと思う。ビリヤードは高校の頃からやっていたらしいから彼の方が若干上手かったが、ダーツでは決して負けていなかった。話の面白さは、……一概に評価をつけられるものではないけど、少なくとも当時の僕はどっこいどっこいだと信じていた。だから僕は、彼が僕を出し抜いてA子と付き合えたのはひとえに帰り道が一緒の方面だったからに過ぎないとしばらくの間考え、そんなものが明暗を分けて良いのかと独りやり切れぬ想いを抱えていた。
でもある日、B男が珍しく夏風邪か何かでクラス語学の授業を休んだことがあった。二人だけでダーツやビリヤードをやってもきっと盛り上がらないだろうし、二人きりで酒を飲むのは少なくとも僕の方では罪悪感があった。面と向かってお互いの意志を確認し合った訳ではないけれど、その日は授業が終わった後、真っ直ぐ帰ることになった。入学したての春の頃はその時間には既に日は赤く暮れかかっていたと思うが、その日はまだまだ空は青々としていた。キャンパスから駅までは十五分ほどある。その間どんな話をしたかはもう覚えていない。駅に至ると間もなく電車がやって来る。ホームにも結構人はいるが車内にも既にかなりの人が乗っている。乗客率は180パーセントほどで、僕と彼女は通常なら恋人でもない限りあり得ない距離まで接近することになる。別にそうしなければならない決まりはないけど、何となく周囲を憚って僕たちはつい無言になる。丁度僕の鼻先に彼女の後頭部がきて、彼女の髪から何だか甘ったるい匂いがする。それを意識するとくしゃみが出そうになるが耐えられないほどではない。わずか一駅の辛抱である。この時間帯、国立駅から東京方面の電車に乗り込むと酷く混んでいるのだが、その乗客のほとんどは西国分寺で降りてゆく。彼女も含めて。
「じゃあ、また来週」
僕たちはドア付近に立っていたから、電車が西国分寺駅に到着すると一旦僕もホームに降りて、ふうと息を吐いて、新鮮な空気を吸った後でそう言った。でも彼女は武蔵野線のホームへと向かう人の流れに合流せずその場に止まっている。
「わたし、実は武蔵野線よりもこのまま中央線で帰った方が速いんだよね」
「え?」
その時まで、そういえばどこに住んでいるのかはっきりとは知らなかったが、訊くと彼女は船橋に住んでいた。もしかしたら入学当初の自己紹介などの際に言っていたのかもしれなかったけど、でも生まれも育ちも東京であったため僕は千葉県の地理に疎かったのだ。だから地名だけ聞いてもあまりピンとこなかった。
新宿で別れた後、僕は真っ先に携帯でマップを開いた。すると確かに武蔵野線は西船橋駅まで通っていた。でも比較的直線で千葉まで向かう中央総武線と比して、ぐるっと埼玉の方をまわってゆく武蔵野線はマップで見る限りでも酷く遠回りに見えた。実際、快速とかもないから時間帯によっては三十分近く違う場合もあるらしい。
つまり僕はハナからB男に完敗していたのである。それに気付いた瞬間、僕は恥ずかしくて仕方がなかった。耳を真っ赤に変色させて、別に涙とかは垂れてこないけど、ただ想いを伝える間もなく彼らがさっさと付き合い始めて良かったなとは思った。この恥ずかしさは僕しか知らなくて、いまこの瞬間は穴があったら入りたいけれど、家に帰って自分の部屋で横になって目を瞑って朝が来る頃には幾分マシになっているだろう、僕の中でさえ一旦折り合いがつけば、それはハナからこの世界に存在していないのと同じだ、ああ良かった、と。
実際、僕はその日以降も以前と何も変わらず二人と接することは出来た。僕は自分で言うのも何だけど結構社交的な能力に長けているのだ。夏期休暇中にサークルの同期の女の子と付き合い始めてからは、三人で過ごすとき二人に対して抱いていた若干の気まずさのようなものも消えた。一度、僕たちと彼らでダブルデートに出かけたこともあった。僕とA子とB男三人の仲は一年を通して概ね良好だった。
ただ二年に上がりクラス語学がなくなると、学部も違ったからすっかり彼らとは疎遠になった。だいぶ経ってから風の噂で二人が別れたらしいと聞いても、ふぅん、そうなんだとしか思わなかった。まあクラス語学で出来た友人関係なんてものはどこの大学でもそんなものだと思う。かれこれ五年は前の話である。僕の中であの日々はもうとっくのとうに生きた日々ではなく思い出となっている。僕は生まれも育ちも東京で、いまの勤務先も東京だから、中々日々を過ごしていて武蔵野線という言葉に出くわす機会がない。だからなのか、武蔵野という言葉を聞いて武蔵野線を連想した時、心持ち脈拍が上がったような感覚を覚えた。あの日々はすっかり肉感を失ったというのに、あの感覚だけがしぶとく残り続けているのは面白いとすら思う。
在りし日の武蔵野は美であったらしい。独歩は、美と言わんより、むしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる、と書いている。そうしていまを生きる僕はその両方とも正直言ってよく分からない。僕は、武蔵野という言葉から恋を連想するのである。
武蔵野という語に紐付いた思い出 @otaku
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