朝のシナリオが美少女に壊された件

 ラーメン鉢から立ち上っていた湯気もなくなり、割りばしが役目を終え静かに佇んでいる。

「いやぁ~なかなか見ごたえがあったね~」

 マスターが腰に手をあて、感心しながら俺たちを見る。

「おいしかったです~!」

 一人、ハンカチを口元に当て、満足そうな表情をしている人が……

「負けたあぁああああああ」

 二郎が悔しそうに叫ぶ。

「同じく」

 勝者は二郎でもなければ俺でもない。そこにいる三人目のファイター。紗希先輩の勝利。

「どうしてそんなに食べられるんですか?」

 見た目からは想像のつかない食べっぷりである。筋肉質なことには間違いないのであるが、かといって『ごつい』という表現とは無縁の体型で、モデルさん達が維持するのに必死になっている、まさに女性の……いや、人間の理想形に近い体型を保有しているのが本当に不思議である。

「ん~その分動いてるからかなぁ~」

「この後も何か運動するんですか?」

「今日は、記録会もあったことだし、運動はしないかなぁ~休息も戦の一部というでしょ?」

「そんなことわざのようなものは聞いたことがありませんが、太りますよ?」

「太るッッ!!」

 安心した。紗希先輩も一般女子高生のようだ。『太る』というワードには過剰に反応するらしい。少し慌てている様子がなんとも可愛い……

「まさか、嬢ちゃんが勝つとは思わなかったな~ホレ、これは観戦料だ!」

 マスターは上機嫌そうに、マスターお手製バニラアイスをサービスしてくれた。

 礼を言って、口に運ぶやいなや、濃厚なバニラアイスが舌の上を滑り、次第にとけ、口全体に広がっていく。一口、また一口と口へ運ぶたびに甘さが増していき、飽和量を超えた甘さが口から直接脳へ上がってくるような感覚に襲われる。記録会で疲れた体を少しずつほぐし、癒すように……そして、マスターのおもいやりというぬくもりが心にじんわりと広がった。


 ラーメン屋を後にした俺たちは、自転車を押して、駅へと向かった。といっても、自転車を押しているのは俺だけなのだが……

「紗希先輩は僕と同じ方向でしたよね?」

「えぇ、新井クンの二つ前の駅で降りるわ!」

 電車に乗って、先輩と……これこそラブコメ展開ッッ!羨ましいぜ全く。

 電車通学、電車通勤その他もろもろ電車内から始まる恋や、ホーム上で芽生える恋そして、試合後に先輩とのる電車でのひと時……そんな素晴らしいキラキラした学生生活が送りたくて、電車通学の出来る瑞城を選んだというのに、競技場が自転車でいける距離にあるせいで、大切なイベントを逃すという……なんてことだ!!神様の意地悪!!!

「二つ前?二駅だけの乗車ですか?それ、自転車でいける距離だったのでは?」

「え?あぁ、確かに自転車でいける距離なんだけど、ほら、競技場の前に長い坂があるじゃない?あれを朝から自転車で登ったら、それだけで乳酸たまってしまうじゃない?試合で最高のパフォーマンスを出すために、朝は電車とバスで極力疲れないようにしているからなのよ」

「ふへぇ~さすが、ウチのエースは違いますなぁ~早川先輩、バスと電車なんて、ブルジョアジーですねぇ~」

「いや、お前が他人にブルジョアジーとか言えた立場じゃないからな。ウンウン」

 二郎からみて紗希先輩がブルジョアジーならば、紗希先輩からみた俺は虫けらか何かになってしまう。平均的家庭は参入してはいけない次元にいるみたいだ。

「安心して、私はナイスバディだけどブルジョアジーではないから!」

「あー、韻も踏めてませんし、カタカナという共通性だけで、自分の事を良く言うのはやめましょうねーー」

 俺の棒読みな突込みに対して『何よ』と背中をポコポコと叩いてくる高三女子。ペットショップに売っていたなら人気でるだろうな。

 土曜の二十時前だというのに、駅はスーツ姿のサラリーマンたちであふれかえっていた。一週間を戦い抜いた戦士たちの姿はどうも勇ましかった。

「じゃ、またね翔太郎~今日は色々ありがとねぇ~」

「次はお前のおごりな」

 違う意味で笑顔な二人が駅の方向へ足を運んだ。ただ、それを眺めているだけではあるが、紗希先輩のいる部活というのも、あと数か月なんだな、と、心にグッと来た。

 夏前だというのに風は冷たく、人々の喧騒と共に紛れていた。


 休日をほぼ睡眠だけで消化してしまい、現在月曜日の七時前。もうすぐ登校しなければならない、と思いつつベッドから出る事無くダラダラと過ごしている。

 流石にサボるわけにはいかないと体を奮い起こし、脳を目覚めさせるため朝シャンへと向かう。

 いつものように適当に準備を済ませ、家を後にする。

 いつもの時間の電車に乗り込み、いつものようにいつもの位置で、サラリーマンの横に座る。何ら変哲のないごくごく平均的な高校生のルーティーン。

「お、おはよう」

 いつものシナリオにはない声が、俺の耳元で響く。幸い、俺は自意識過剰でもなんでもないので、そんな声には反応せず、再度文字の世界へと入る。

「しょうちゃんおはよう。…………四季島君!」

 突然の自分の名前に体がビクリと反応する。四季島なんていう名前は割と珍しい方なので、恐らくこの場合の四季島君は俺の事をさしていると思われる。

 恐る恐るその声がした左の方を見る。俺が気づいたことに喜びを感じているのか、顔を向日葵のように明るくして、こちらをみつめている女の子が一名。

 ウチの高校の制服に身を包み、背は低めの女の子。そして、俺の事をしょうちゃんと呼ぶ……そう。そんなやつは一人しかいない。

「おはよう……佑奈ちゃん……」

「おはよう、しょうちやん!」

 彼女が何故この時間のこの車両にいるのかはいささか疑問だが、俺のルーティーンという名のシナリオは今日を持って壊れそうである。

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