【3月15日】ヒナミ印の冷蔵庫

王生らてぃ

【3月15日】ヒナミ印の冷蔵庫

 雛見さんは「冷蔵庫」という渾名をつけられていたけれど、その理由がさっぱりわからない。

 ほっそりしていて、髪の毛は真っ黒で長くて、背も高くて、愛想もいい。冷蔵庫との共通点はせいぜい色白なところくらいだ。

 だけど、「どうして冷蔵庫なんて渾名をつけられているんですか」と本人に聞くわけにもいかず、心の片隅で悶々としたまま、同じクラスでの一年間を過ごした。



「あ。金田さん」



 ある日、教室に行くと雛見さんがひとりで席に座っていた。



「自由登校日なのに、わざわざ来るなんて。律儀だね」

「お互い様でしょー。家にいるより退屈しないもん」



 雛見さんは笑った。

 できるだけ窓から離れたところに座っていたいという雛見さんは、一年間ずっと廊下側の席で過ごしていた。

 自由登校日にわざわざ学校に来るなんて、わたしと雛見さんだけだった。



「今日なんか寒いね」



 わたしが何気なくいうと、雛見さんが首を傾げる。



「そう?」

「なんか教室が冷えてる気がする」

「それ、あたしのせいかも。ごめん」

「え?」



 雛見さんは苦笑していた。

 わたしは、ふたりきりの今がいい機会だと思って、思い切って聞いてみた。



「雛見さんってさ。なんで冷蔵庫って渾名つけられてるの?」

「ふふ。なんでだと思う?」

「なんでって……」

「はい」



 と、伸ばされた左手。

 ほっそりした白くて細い指は、まるで握手をするように求められている気がした。

 握ってみると……



「つめたっ」

「ちょっと人より体温が低くてさ」

「ちょっと?」



 びっくりした。まるで氷柱を握ったみたいだった。人間の体温とは思えない、いくらなんでも冷たすぎる。

 それに驚いていると、ごとん、という音とともに、雛見さんの左腕が、肩の下からまるっと教室の落っこちた。



「うわあああ!」

「え、あちゃ。外れちゃった」

「外れ……!?」

「うん、昨日ぽっきり折っちゃって。家の階段で転んだの、バカだよねー」



 パニックだった。目の前でなにが起こってるのかわからなかったけれど、雛見さんはとにかく、特に痛がるわけでもなく、授業中に消しゴムをおっことしたみたいに腕をひょいと拾い上げた。折れた断面のほうを制服の袖の中にさしこむと、金庫のダイヤルを回すように少しずつずらしたり、回したりする。



「うん。ここかな。金田さん、ごめんけど、ちょっとここ持っててくれない? すこし融かさないと上手くくっつかないから」

「いや、あの……」

「ねー早く。このままじゃ勉強しにくいからさ」



 言われた通りにした。

 雛見さんは制服の袖をめくり、左腕の断面を指し示した。わたしはその断面の辺りを両手でギュッと握りしめた。ほっそりした腕で、皮膚のやわらかさの下に、硬い骨の感触があった。ほんとうにふつうの腕だ。だけど、ちらりと見えた、折れた腕の断面は、白く濁った氷の断面そのものだった。

 すこし融かして、それから冷やす。こうするときちんとくっつき、あとは自然治癒力に任せると元どおりになるのだそうだ。

 十分もするとすっかり腕は元どおりになっていた。



「まあ、こんな感じ」

「どんな?」

「あたしの体質。生まれた時からずっとこうなの。で、飲み物とかチョコレート、お菓子とか、冷やしておけるから、みんなにヒナミ印の冷蔵庫とか言われて」

「みんな知ってるの? この体のこと?」

「ううん、さすがに……さっきの金田さんみたいにパニックになっちゃうでしょ。だからテキトーにごまかしてるの、魔法瓶に保冷剤入れてるとか」



 もう一度まじまじと雛見さんを見た。

 見た目は色白なだけで、ふつうの女の子だ。なにも怪しいところはない。



「やっぱり変かな?」



 雛見さんは悲しそうな顔をしたので、そんなことないよ! と否定しようとしたが、確かにものすごく変なのでわたしも言葉に詰まってしまった。



「小さい頃からずっとこういう体質なせいで、あったかいお風呂にも入れないし、夏は毎日融けそうだし、汗がだらだら出てくるし」

「汗っていうか……」

「大変なの。中学の時はすごくいじめられたし。雪女〜とかいって。でも高校に上がって、みんなに冷蔵庫、冷蔵庫って言ってもらえて、この体質が役に立つこともあるってわかったんだ」



 すごくしんみりしたふうに語る雛見さんの話は、とてもいい話に聞こえたけど、なんだかいじめられっ子が辛いエピソードを正当化しようとしているような文体にも聞こえるので、わたしは聞いていてなんとも言えない気持ちになった。



「でもぽっきりいってるの、見られたのは、金田さんがはじめて。ごめん、みんなには内緒にしておいてくれる?」

「あ、うん、もちろん……」

「良かった〜。昔、これがバレた時、金槌で体をばらばらにされたことがあってね。今でもちょっと内臓の配置が変なんだ、戻すのしくじっちゃったし、かと言ってまたバラバラにするのもなんか怖いし……」

「いや、もう、痛い話はいいから……」



 それから一緒に教室で勉強をしたけれど、あんな話を聞かされた後じゃ、なかなか集中できなかった。そして時々、雛見さんは過去にうけた洒落にならない仕打ちを、昔飼ってた犬がね〜間抜けでね〜、みたいな感じで喋るので、とても心がざわざわした。

 たぶん背中がぞくっとしたり、心臓がざわっとするのは、雛見さんから漂う冷気のせいもあるのかもしれない。



「雛見さんの親も、やっぱり同じような体質なの?」



 話のはずみで尋ねると、雛見さんはアイスクリームを食べながら首を振った。



「ううん。ふつうだよ」



 体が冷たいので、学校まで持ってきても溶けないのだそうだ。そう聞くと途端に羨ましくなってきた。



「じゃあ、雛見さんだけが突然そうなったの?」

「うん。気がついたら。むかしお風呂に入れてたら、だんだん溶けて小さくなっていって、それで気付いたんだって」

「そ、それでどうしたの?」

「慌ててバスタブのお湯を冷やしたら、少しずつ、少しずつ戻っていったんだってさ。面白いでしょ」

「面白いかなあ……」

「はあ。なんかすっきりする。こんなふうにあたしの体のこと、だらだらおしゃべりできるなんて。ずっと周りには隠してたから」



 またアイスを食べながら雛見さんは笑った。



「金田さんもなにか冷やしたいものがあったら、いつでも言っていいからね」

「いや、わたしは……いいよ」

「どうして?」

「うそ。じゃあ、今度頼むかもしれない。でも、雛見さんのことを特別扱いっていうか……そういうこともしたくない」

「やさしいね。でも、これがあたしの体質で、個性だから。ふつうの身体にはならないし、不便なことも多いけど、これはこれで便利なこともあるんだよ」

「たとえば……?」

「うーん、お風呂は常に冷水だから、ガス代がかからないとか」



 ぜんぜん笑えない。



「なんかさぁ」

「ん?」

「雛見さんのそういう、自虐ネタ? っていうの、すごく……」



 わたしは言うべきかどうか悩んだけれど……



「すごく、その、サムいよね」

「お、うまいねぇ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【3月15日】ヒナミ印の冷蔵庫 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説