ツイてない

 教室に駆け込んだ俺は、時計を見て脱力した。朝礼まで十五分も余裕がある。


「哲也、今日はどうしたんだ? 自転車を猛スピードで漕いで、登校坂からダッシュしたみたいな顔してるぞ」


 雅人の指摘に俺は頷いた。重い足を引きずるようにして席に着く。


「目覚ましは鳴らない。父さんが食パンを買い忘れたせいで、一家全員ヨーグルトだけの朝食になる。登校中に自転車がパンク。応急処置で何とか駐輪場まで来たと思ったら、部活の道具を忘れて引き返す。途中、亘とチャリを交換できたから良かったけどさぁ……朝から色んなことが起こりすぎて疲れたよ」


 おつかれさん。雅人は持っていた菓子パンの封を開けるのをやめて、俺に差し出した。


 ありがたく頬張っていると、雅人の顔は青くなっていった。

 人にあげたことを後悔しているのか。静かに湧き上がる苛立ちは、ビッグニュースで掻き消えた。


「お前、今日の運勢ワーストって知らないのか?」


 俺は咀嚼していたパンを詰まらせた。呼吸を必死に整えようとする中、雅人は聞きたくない情報をこと細かく提供する。

 人が苦しんでいるのに気付かないなんて、今日は相当ツイてないようだ。げんなりとした俺は打開策を尋ねる。


「すまん! ラッキーアイテムは分からないんだよ。親父がチャンネルを変えたから」

「そんなぁ」

「ちゃんとフォローするから元気出せって。いつも通りなら服装検査も乗り切れるだろ」


 当たり前だろ。髪も染めてないし、ピアスも着けてない。学年章も、ベルトもあるし……

 やべぇ! ベルト着け忘れたぁぁぁ!


 頭を抱えていると、雅人はそっと肩を叩いた。


「ほら、弘法筆の誤りって言うだろ。先生も分かってくれるさ」


 いらねぇよ。そんなフォロー!


 何一つ対策がないせいで、放課後には精神的に参っていた。昨日まではテスト週間が終わって早く部活がしたいと思っていたが、怪我やトラブルに見舞われないか不安でしかない。雅人の口数も減ってきていた。


 陸上競技場までの道を俯きがちに歩いていたが、叫び声を聞いて我に返った。


「離してください!」


 ガラの悪い三人組に、女子生徒が絡まれていた。右手を振り解こうと懸命に引っ張っている。


「哲也。あの子、確か……」


 俺は走り出していた。


 他校の部員ゆえに、遠くから見つめることしかできなかった。短距離で鍛えた瞬発力を活かし、俺は金髪の背後に迫る。


 お前なんかが、近付くんじゃねぇ!


 拳を固めたとき、俺は盛大にこけた。哀れな乱入者を一瞥し、三人組は気まずくなったのか去っていった。


「大丈夫?」


 手を差し伸べた彼女は天使だった。格好いいところが何一つない俺に、あたたかく微笑みかけてくれた。


「助けてくれてありがとう」


 手を掴むべきか迷ったが、ガラス細工を触れるように優しく握った。ほんの数秒だけ触れた時間を噛みしめていると、亘が駆け寄ってきた。少し遅れて雅人も合流する。


「怪我はないか?」


 亘は心配そうに俺を見つめる。大げさだなと肩をすくめていたが、答えたのは彼女だった。


「うん。だけど怖かった」


 抱きしめられて赤面する亘に、俺は色々な意味で恥ずかしくなった。


 思わず顔を背けると、雅人は缶ジュースを突き出した。ぐいっと飲み干したそれは、苦いレモンの味がした。

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