【5月3日】ゆびきりげんまん

王生らてぃ

【5月3日】ゆびきりげんまん

「わたしたち、ずっと友だちだよね」



 という、小さいころ大人たちにそそのかされて交わした言葉。

 優子ちゃんは絵本を読みながら素っ気なく返事をした。



「うん。たぶん」

「たぶんじゃないよ! ずっと友だちだよ優子ちゃん」

「うん」

「ねえ。きいてる?」

「きいてるよ」

「じゃあ約束しようよ。ゆびきりしよう」

「ん……」



 おっくうそうにしながら、優子ちゃんは絵本を閉じて小指を突き出した。

 つい最近、大人から教わったばかりのそのしぐさ。

 わたしも小指を絡ませて、いっしょに歌った。



「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらー……」

「はりせんぼんのーます」

「ゆびきった!」

「きった」

「これでずっと友だちだからね」

「はいはい」



 優子ちゃんはまた絵本に視線を落としたが、わたしはずいぶん幸せな気分だった。






     ○






「あれから二十年……がっかりだよ。がっかりだよ汐里」



 このマンションの一室に閉じ込められて、もう数日がたつ。

 わたしはひじ掛けのある椅子に座らされ、胴と四肢を梱包用のビニールひもでがっしり固定されている。全くからだに力が入らず、椅子をゆすぶることもできない。



「あの時の約束、すごくうれしかったのにな。わたしはね、ずっとあの時のことを覚えていたんだよ、汐里。小学校のころは約束通り、仲良くしたし、中学になって離れてからもあなたのことをずっと友だちだと思っていた、それなのに……それなのに…‥」



 優子は薄暗いマンションの部屋のなかをゆっくりとした動きで歩きまわりながら、両手にはめたラテックスの軍手をぐいぐいと握りしめた。



「あの時の約束なんか、あなたにとってはどうでもよかったってことね」

「そんなこと……」



 軍手をはめた手で殴られた。

 もちろん痛かったけれど、最初に殴られた時よりはずっと痛みは鈍くなっていた。もう顔の感覚がマヒしているのだ。

 もう何度殴られたか覚えていない。右と左を交互に殴られて、もうだいぶ意識がぼうっとしている。口の中に血の味が広がる。



「口答えしないでよ。いま喋ってるのはわたしなんだから」

「おねがい、やめて……」

「かわいそう。こんなに顔が腫れてるわ」



 優子は冷たいタオルを持ってきて、ついさっき自分で殴ったばかりの頬にそれを当てた。皮膚が冷えて、より痛みが鮮烈によみがえって来て、喉の奥からうめき声が漏れた。

 そして、それを取り外されてまた殴られた。

 なんども殴られた。



「はあ、はあ、はあ……人を殴るって、意外と疲れるのね」



 もう返事をする気力もないわたしは、ほとんどぼやけた視界で優子のことを見た。

 優子は泣いていた。



「わたしだって……こんなことしたくないんだ……でも、約束を破ったのは、汐里のほうなんだから、罰を与えなくちゃ……」

「ゆう、こ……」

「……、ええと、あと七千八百五十回……」



 優子はふと、わたしの左手に目をやった。

 椅子に縛り付けられたままのわたしの左手――その薬指に。

 そこには、銀色に光る指輪がはめられたままになっていた。



「こんなもの、勝手につけて。友だちのわたしに黙って。相談も許可も無しに」



 それから――

 わざわざ軍手を外して、素手で、わたしの洋服をめくりあげた。

 わずかに膨れ上がった、わたしの下腹部に、熱を帯びた手を当てて、少しずつ、万力のように力を入れて押し込めていく。

 ここではじめてわたしの声が思い切り大きく出た。



「やめて! 触らないで!」

「こんなものまで勝手に作って……わたしにも触らせなかったくせに。でも、それはもういいの。許してあげる」



 ようやく手を離したかと思ったら、また軍手をはめて殴られた。

 こんなことをもうずっと続けている。

 カーテンもしまっているし、時計もないので、今が何時なのか。何日たったのかもわからない。



「わたしは悲しいよ」



 優子は泣いていた。



「約束したじゃない。ずっと友だちだって……なのに、勝手に男をつくって、勝手に結婚して、勝手に子どもまで作っちゃって……ひどいよ……わたしには一言もそんなこと教えてくれなかった……」

「…………、」

「だから、約束通りにしなくちゃ。あなたを一万回殴って、それから……」



 この子なら本気でやりかねない。

 それまでわたしはあと何日ここにずっと閉じ込められるのだろう。

 それからも何度も何度もわたしのことを殴ったあと、優子はわたしにいとおしそうな笑顔を向けた。



「ごはん作らなくっちゃ。あなたの子どもは、もうわたしの子どもも同然だからね。元気に育ててもらわなくっちゃ。その後、ちゃんと約束通り、飲んでもらうからね」



 わたしの恋人はどうしているのだろう。薬指に指輪をはめてくれた彼は。

 この指が切られてしまうのも、きっと時間の問題だな。

 軽はずみに、約束なんて、するんじゃなかったとわたしは人生を後悔した。



 指切、拳万、うそついたら針千本呑ます。



「はい、指きった」



 数日後。

 わたしは薬指をばったり切り落とされ、激痛に呻く気力もなく、椅子から血まみれになって転げ落ちる指輪を眺めた。優子はそれを拾い上げると、何のことも無しにそれを口の中に入れて呑み込んでしまった。



「あなたはこれから、針を飲むんだから。わたしは指輪を飲んだわ。これでおあいこ、わたしたち、ずっといっしょに友だちよ」



 優子は幸せそうだった。

 わたしはもう何も感じなかった。

 痛みも、絶望もない。ただ、目の前で生きている唯一の人間が幸せそうな表情をしているのは、せめてもの救いかもしれない。絶望に打ちひしがれているよりも、ずっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【5月3日】ゆびきりげんまん 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説