流出中心

ズールー

竜がちがう話

 パタはミョウに言った。


「こういうことではないでしょ」


 ミョウはパタに言い返した。


「じゃどういうのが竜なわけ?」


 テーブルを挟んで言い合う二人の間で、ミョウの生み出した小さな『竜』が、居心地悪そうに身じろぎする。分泌された酸でテーブルクロスが少し溶けた。溝色の煙といやな臭いがした。


 竜が滅んでからどれくらいになるか。本物の生きている竜を目にしたことがある者はもはやどこにもいなくなってしまったが、しかし誰もが、おとぎ話や燃え続ける山や酸の滝や血の沼から、竜がどんなものであるかは知っていた。

 学院の二年であるミョウとパタの二人はある日竜について話していたのだが、どうにも話が噛み合わないので、ミョウは卑肉を集めて、自身の竜のイメージに命を与えてパタに見せてみた。だが、パタの考える竜の腕や脚には三つも関節は無かったし、胴体はもっと細長くて翼は大小の二対のはずだったし、なにより神話学に触れてきた彼女にはなぜ顔が荘厳な聖ゴオルギーのものでないのかが理解できなかった。


「いや髭面の聖人の顔がなんで竜に載るのよ? 竜だよ? 槍持ちゴオルギーが口から酸を吐くわけ? あたしはそれこそ冒涜だと思うなあ」


 頭の手術跡を真新しい包帯で隠しているミョウは、竜の翼の根本あたりをつつきながらそうぼやいた。竜は縦に並んだ三つの目から燃える油をちろちろと流し、寸詰まりの身体と短い翼を震わせながら、か細く鳴いた。


「これ喜んでるのかな?」

「絶対おかしいって。あんたのその縦三連の目ってどこから来てるの? なんかと混同してない?」

「いやいや竜殺しのゴオルギーの顔が竜についてるのこそ変な話でしょ。じゃあなに、ゴオルギーが殺した竜にもゴオルギーの顔がついてるわけ? そんなの絶対おかしいでしょ。因果がないでしょ。ん? あ? あれ。あれかな、そういうことになると、あの逸話が伝えたかったのは、ゴオルギーが殺して乗り越えたのは自分自身の獣性であって……」

「ゴオルギーは浮気中に奥さんに踏み込まれて棘棒で叩き殺されたって話でしょ」

「えほんと? え? なんで? なんでそんなのが聖人になってんの? なんか全然わかんないんだけど」

「知らない。確か悪行と善行のバランスがギリだったとかだよ。ギリ聖人側」

「おそれながら申しあげますが」


 二人は奇妙なリズムで吐き出された聞き慣れない言葉に飛び上がった。それは三つ目の竜だった。


「テーブルが溶けつつあります」


 ミョウはテーブルの下を覗き込んで言った。


「やべえわ」


 竜の肌から出た酸はテーブルを溶かし床に穴を開けていたのだった。ミョウは続けて言った。


「バレたらあの寮母また怒るよ。『またァ! まァた魔術をいたずらァに使ってェ寮の設備をォ!』つって。裏声で。ああー床溶けてるねえー!」

「やばいなあ。どうしよっか……まあ主にあんたのせいなんだけど……」

「くせえ!」

「原状回復とかさあ……」

「寮母というのはこの方でしょうか」


 三つ目の竜が言った。寮室の入口で浮遊しているその足元には毒気で致命的に気絶している、顔中に血管を浮き上がらせた寮母の姿があった。


「お役に立てましたか?」

「てめえ! やりおったな!!」


 ミョウは焦って叫んだ。しかしその脳内ではすでに脱出計画とその後の資金繰りと生活設計とが精神に埋め込まれたばかりの二級心霊の囁きの補助により高速計算されていた。

 ミョウは振り返って言った。


「パタ! まずいことになってるよ! までももうこんなとこで学ぶべきこともないし、ある意味いいタイミングだし、あれなら一緒に……なにそれ」

「え、いや」


 そこには小さい別の竜がいた。


「あたしも欲しいなって」


 悪漢聖人ゴオルギーの顔をした新たな竜が、にたりと笑った。


 ◆


 その後各地で目撃された二人の魔法使いとそれに付き従う二体の竜は、各地でおとぎ話を、燃え続ける山を、酸の滝を、血の沼を残していった。

 その痕跡資料として最も有用に扱われたのは、聖ゴオルギー財団からの苦情アーカイブだと言う。

 ともかく、このようにして、彼らが生み出したイメージの竜が、あらたな「本物の竜」として、各地の伝承に伝わって行ったのであった。

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