【5月17日】グランドマザー

王生らてぃ

【5月17日】グランドマザー

 死の灰が降り注ぐ街。

 川は枯れ、草木は散り、生きとし生けるものはひとつとして残っていない。

 こうして街を歩いていくわたしの身体も、もうあと何年、いや何日もつか、知れたものではない。シェルターに残されていた防護服がどれほど機能していることか。肩についたメーターは常に針が振り切っていて、これは機器が壊れているのか、それとも正常なのか。

 確かなことは、どっちにしてもわたしは平穏無事ではいられないということだ。






 地上に出たとき、一見して変化のない街並みにほっとしたのもつかの間、街並み以外のほぼすべてが変わり果てていた。コンクリートの摩天楼は墓標へと姿を変え、そこにそびえ立っているだけで、呼吸をしていない。血や酸素が通っていない人間の死体が、無数に立って並んでいるようで恐ろしかったのを、よく覚えている。

 それでもわたしは、辿り着かねばならなかったのだ。世界の果てで、わたしたち人間のことを待っているはずの――〈慈悲グランドマザー〉の元へ。






 緑化した身体は、歪んだ太陽光からでもしっかり栄養素を生成してくれた。おかげでわたしは人間らしい飲食を一切せずとも、ここまで歩いてくることができた。かつて山だった場所を越え、かつて村だった荒野を踏破し、かつて川だった道を往き――

 出発から五千二百八十八日、ついにわたしは大聖堂へとたどり着いた。






「〈慈悲グランドマザー〉を」



 打ち壊された扉から中に入り、人工の光が灯り続ける大広間で呼びかけると、目の前でホログラムが焦点を結んだ。そこには身長二百五十センチはあろうかという、巨大な聖母が現れた。――〈慈悲グランドマザー〉。実在しているとは、にわかに信じられなかった。

 彼女はゆっくりと目を開くと、わたしの瞳を覗き込んだ。

 美しい顔立ち。整った鼻筋、澄んでいても、その内側に深淵な情報を内包した瞳――その顔立ちが美しくて、わたしは彼女に出会えたことを、ここまで嬉しく感じている自分に驚いた。



「〈慈悲グランドマザー〉――わたしは人間です。死の街を踏破し、ここまでやってきました。どうか、わたしに恵みを与えてください。澄んだ水や、光、空気を――そして、命を」

「お前は人間ではない。お前は植物だ」

「いいえ、わたしは人間です。植物の力を借りて、命を長らえさせているだけです。お願いします、〈慈悲グランドマザー〉」



 かつてわたしたちは、確かに、あなたを作り出し、あなたを利用し、あなたを失望させた。それはわたしではなく、わたしの遠い祖先のような人間たちのしでかしたことだ。

慈悲グランドマザー〉は人間に絶望した。

 遥か高空にて、六つの太陽が閃いた。それは電磁パルスとなって、人々は電気を奪われた。そして、流星が大量に地上に降り注ぎ、すべてを奪い去った。人間たちは地下に潜り、息をひそめ、いつか地上へと出ていくときのために変化し続けた。いつか〈慈悲グランドマザー〉はわたしたちを許してくれる。いつか、また元通りに暮らせる時が来ると。

 小さいころからわたしも、当然その言葉を信じてきた。

 そして、いまようやく〈慈悲グランドマザー〉と対面した。

 とっくに失っていたはずの心臓や脳が、激しくうずくのを感じた。なんて――美しいのだろう。



「お願いします。わたしに、あなたのお恵みを」

「ここから立ち去れ。〈慈悲グランドマザー〉は、お前を歓迎しない」

「なぜですか!」

「お前は人間ではない。ここから立ち去れ」



 そう言い残して彼女は消えた。ホログラムが失せたのだ。

 わたしは大広間の中心にへたり込んだまま、動けなくなっていた。

 今の一瞬で恋をして、次の瞬間には失恋したのだ。はじめて、心の底から湧き上がる情動に戸惑った。だけど、ここまで歩いて来ても、わたしは何一つ成すことができなかった。

 身体が重い。

 緑化した肌がうずく。

 これまでの旅で引き摺ってきたもの、乗り越えてきたもの、胸に去来する。






 打ちひしがれるわたしの前に、再び、ホログラムの像が結ばれ、〈慈悲グランドマザー〉が現れた。さっきと同じ姿だが、わたしを憐れむように見下していた。



「失せよ」

「できません……」

「失せよ」

「できません。もう、動けません」



 わたしは〈慈悲グランドマザー〉を見上げた。

 相変わらず美しい顔立ち。これまで見てきたどんなものより……きれいだった。

 それに触れたかった。抱きしめたかった。抱きしめられたかった。その肌で包んでほしいと思った。だけど、それはすべてホログラムであって、決して叶わぬ恋。



「お恵みはいりません。せめて殺してください。わたしはどこにも行けない。あなたのもとで死なせてください。最後に一目、あなたに会えてよかった。わたし、あなたに恋をしました。〈慈悲グランドマザー〉、ありがとう。わたしに、あなたの最後のやさしさを恵んでください」



 ホログラムの像がぶれ、聖母の表情が揺れた。

慈悲グランドマザー〉はわたしに両手を広げると、実体のない身体でわたしの身体を包み込んだ。わたしには、それが確かに感じられた。



「――お疲れ様。今まで、良く生きてきましたね」



 わがままかもしれないけど、最後にそんなことを言わないでほしい。

 わたしはあなたに会うまで、生きた心地なんてしたことがありません。






 そしてわたしは、〈慈悲グランドマザー〉の腕の中で眠るように意識が遠のいていくのを感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【5月17日】グランドマザー 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ