第14話 行ってきます
「準備できたか?」
「待ってください!! ええっと、着替えは準備できた! お弁当も大丈夫! 旅費もちゃんとあるし、あとえっと、それからそれから」
出発の日の朝。サクラは昨日から何度目になるかわからない荷物チェックにあたふたしていた。
「巫女様、昨日私が全部確認しましたから。大丈夫ですよ」
「でも、やっぱり心配じゃない! 何か忘れものがあったらどうするの!?」
「心配しすぎですから」
呆れたように、でもどこか嬉しそうにロキアが苦笑する。
俺はそんな光景を横目に、ロキアがこっそり用意していたというキャラバン用の大型の馬車に荷物を詰め込んでいく。いつか、サクラの呪いが解けたらこれで一緒に旅行に行くつもりで、近くの村でこっそり管理していたのだそうだ。呪いが解けた翌日にこれをロキアが引っ張ってきたのを見たときには、驚きを通り越して流石に少し引いた。
「ロキア、お前本当にサクラのこと大好きだな」
「当たり前でしょ」
しれっとした顔でそう答え、ロキアは馬車を引く二頭の馬、リュカとリーネの体をなでる。
「ようやくあなた達とも一緒に旅ができるね」
そう呟くロキアの顔は、心の底から幸せそうだった。
そんなこんなで、何とか準備がすべて整い、最後に俺たちは石碑の前に集まっていた。
石碑の周囲は石柱も、木も無残なほどになぎ倒されており、サクラの花の魔法ですら消えることのなかった石碑は真二つに割れてしまっていた。
サクラは、石碑の前にかがむと、手に持っていた1輪の薄桃色のローセンティアの花を供えた。
「ありがとう。タイニー」
サクラは切なげに目を細めて、タイニーへの感謝を言葉を告げる。
天気は快晴で、空を見上げると、はぐれた雲が風に乗って穏やかに流れていた。
サクラは今、何を思い浮かべているのだろう。きっと、俺なんかじゃ想像がつかないほど沢山の思い出がこの地にあったはずだ。
しばらくそうしていたあと、サクラが振り返り、「行きましょうか」と言って笑った。
俺とロキアが肯き、遺跡から立ち去ろうとした瞬間、一陣の風が、俺たちの背中を押すように吹き抜けていった。
振り返って遺跡の方を見る。石碑の上で、生意気な猫の姿をした精霊が、にやりと口の端を吊り上げて笑っているような、そんな光景が一瞬だけ見えたような気がした。
……全く、おせっかいな妖精だ。
俺は少しだけ苦笑する。
「行ってきます。タイニー」
家から森の出口までは馬車が通れる程度の広さの一本道になっている。
私のお願いで、外に出るまでは歩いていくことにしてもらった。
背の高い木々に挟まれた道は、木陰と枝葉の間から差し込む光のコントラストで、地面がきらきらと輝いているように見えた。私はその景色の一つ一つを目に焼き付けるように、ゆっくりと歩みを進める。その半歩後ろでロキアが、一番後ろをユキヒロが馬車の手綱を引いてついてきてくれる。
やがて、視界の先に開けた景色が見えてきた。壁のようだった木々が無くなり、草原の中を割るように伸びる一本の道。
私は、あと一歩で木陰から日向へ踏み出す、その手前のところで立ち止まった。
ここから先は、森の外だ。
憧れ続け、願い続けた未知の世界だ。
ふと顔を上げて、視界の先を見渡す。
広大だった。私の持っている地図なんかよりも、ずっとずっと広い世界がこの一歩先に広がっていた。
「……サクラ?」
動こうとしない私に、ユキヒロが心配そうに声をかけてくれる。
私は、意を決して踏み出そうとして、そこで自分の体が震えていることに気づいてしまった。
「……怖い」
「巫女様……」
「どうしよう。ロキア、ユキヒロ。すごく怖い。私どうしちゃったんだろう。すごく変なんだけど、ここから踏み出すのがたまらなく怖いの。震えが止まらない」
知らなかった。外の世界に踏み出すことがこんなに恐ろしいことだとは、思いもしなかった。
今まで厄災を狙ってこの地を襲ってきた色々なものを相手にしてきたが、そのどれよりも、今、目の前に広がる世界の方が恐ろしくてたまらなかった。
……だめだ。やっぱり私には無理だ。今日は、もう引き返そう。
そう思った時だった。
すっと、震えていた私の両手が握られる。
はっとしいて顔を上げると、右手をロキアが、左手をユキヒロが握ってくれていた。
二人は何も言わず、ただ優しく私の手を握って、私が踏み出すのを待ってくれていた。
「……ありがとう。ロキア、ユキヒロ」
震えは止まっていた。二人の手が、私の心を温めてくれている。
……うん。大丈夫。
そうして私は、外の世界への第一歩目を踏み出した。
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