第10話 今度は逃げない

「ロキア? どうしたんだ?」

 廊下で一人蹲っていると、今、一番聞きたくない声が聞こえた。

「……あんたこそ、何しに行くつもり?」

 私は顔を腕の中に埋めたまま、問い返す。もはや顔を上げる気力すら湧かなかった。

「サクラと、もう一度話をしに行く」

 ……一体この男は何なのだろう。どうして私たちをかき乱すのだろう。

「……あんたはいいわね。そんなふうに能天気でいられて」

 私の嫌味を無視して、目の前で屈みこむ気配がした。頼むから離れてほしい。

「おいロキア。一体何があったんだ?」

 不用意に伸ばされる指先が私の肩に触れた瞬間、耐え切れなくなって思いっきり跳ね除けた。

「触らないで!」

怒鳴りつけながら顔を上げると、あいつは驚いた表情で私の前で跪いていた。

「あんたなんかに、あんたなんかに私たちの何がわかるのよ! あんたに巫女様の、私の苦しみの何がわかるの!?」

 もう沢山だった。外に出られなくて苦しむ姿を見るのも、何もできずにいる自分も、こいつがここに来るまでは少なくとも見ないふりができていた。この箱庭のような森の中で、まるでここが世界のすべてであるかのように、巫女様と二人で過ごすことができたのだ。なのに、こいつがここに来て、私たちは思い出したくもないものを思い出してしまった。

「わからないよ。でも、わからないけど、助けたいんだ」

 静かに、ユキヒロはそう答えた。

「……は、なによ、それ」

 思考が止まる。こいつは今何と言った?

「俺が、二人を助けたい。それが理由じゃだめか?」

「……ダメに、決まってるじゃない」

 もしそんな理由で助けられたりしたら、私のこれまでの巫女様へ対する感情は一体どうなるというの? 何もできなかった私の8年間は一体何だったの?

 

 ――本当に、巫女様を救ってくれるの?

 

「……ねぇ、あんたは巫女様のことが好き?」

「ああ」

「何その取ってつけたような返事。私はね、大好きよ」

 巫女様は、私にとって優しい母であり、どこか放っておけない危なっかしい姉であり、心を許せる友達だった。自分にとっての最愛の人が、目の前で苦しんでいる姿を見るのは、それを見て見ぬふりをし続けるのは、もう沢山だった。

「私、あんたのことは大っ嫌い」

「ああ」

「二度と私の前に現れないでほしい」

「ああ」


「……本当に、巫女様の呪いを解いてくれるの?」

「ああ。必ず解く」


 涙が溢れて止まらなかった。どうして、私じゃなくて、こいつがと思う。不条理だと叫びたくなる。


 でも、そんなこと、巫女様が外に出られることに比べたらどうでもよかった。


「……今度、尻尾巻いて帰ってきたら許さないから」

「ああ、今度は逃げない。約束するよ」

 そう言って、ユキヒロはそっと私の頬を拭って微笑んだ。

 今度はもう、跳ね除けたりはしなかった。

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