第1話 そして、未確認飛行物体となる

「あ……み、みず」


 1人の女性が、か細い声をだしながら木造の小さな小屋から力無くドアを開けて外に出て来た。

 外は快晴で太陽は東にあるツアリイヌ山脈の山の間からすでに姿を出し、アルフール大陸東部ウオツカ公国の名も無き小さな農村を爽やかな夏の日差しで満たしている。

 ワンピースの上にエプロンをつけた女性達は井戸で水を汲んだり、掃除をしたりと、甲斐甲斐しく働いておりその周りを村の子供達が元気いっぱいに遊び駆け回っている。

 それらを応援するかのように大陸東部のみに生息する虫、ヌルベド蝉が村の至る所からジュージュジュと彼ら特有の肉を揚げるのに近い音で鳴いている。

 そんな、夏のコーラスの中を先程の女性が千鳥足で歩き出し「みず……みず」と、うわ言のように繰り返し言っている。まるで彼女の辞書にはという言葉しか存在していないかのようだ。


 彼女は寝癖が付いているが、艶のある銀色が混ざった灰色の髪を2つに分け、耳の下で白い布で結んで前に垂らしている。そんな髪を千鳥足で左右に頭が揺れる度に毛先が彼女の鎖骨を見せ隠れさせている。

 夏の風景には似つかわしく無い黒い長袖のフード付きの服を着ていて、しかも、着古しているのだろう襟が伸びており右肩が出ている。黒とは対象の彼女の白い肌は陽の光を浴びて、ツアリイヌ山脈頂上付近の雪のように澄んでおり、下着の赤い肩紐が差し色のように主張していた。

 両手が伸びきった長袖に隠れており、その手をタコのようにふらつかせている。膝に裾がかかる位まで伸びている服だが、それでも、彼女の程よい大きさの胸に合わせ服の胸の部分が膨らんでいるのが分かった。



 どうやら、彼女は村の中央を目指しているようだ。近くを走り回っている子供達には目もくれず足を進める。

 子供達はそんな彼女を一瞥すると「さけのみエクスさんだーにげろー」「げろゆーしゃエクスだーにげろーげろー」と幼い子特有の呂律が回らない感じの声を上げると笑いながら走り去っていった。


 そう、彼女はエクスという名で今年で21才になる。人間とエルフのハーフだ。と、自分で言っている。

 確かに、エクスの美貌はどこか人間離れしているところがあり、見た目だけならば誰もその話を疑わないだろう。

 だが、彼女の大酒飲みで飲むと180度変わる性格。それが、静寂を好み慈悲深いエルフ族のイメージとあまりにもかけ離れており、村の人達からは酒に強いところから人とドワーフのハーフや、その肌の白さと夜の酒場でよく見かけることから、吸血鬼とエルフのハーフなどと疑われている。

 そんなエクスはこの農村が警備兵募集の依頼を出していて、その依頼を受けた勇者である。

 勇者が警備兵?と疑問に思うかもしれないが、組合員には依頼を斡旋されてもそれを選ぶ自由があるのだ。

 エクスは勇者組合所の掲示板が魔王討伐関連の依頼で埋まっていても、組合の受付に魔王討伐関連の依頼をしつこく斡旋されても、全てに「あ、あの、その、私1つ星なので無理です。すいません」とおどおどしながら断ったのだ。



 そんな、勇者で警備兵で二日酔いのエクスは、子供達を気の抜けた笑顔で見送った。

 子供たちの置き土産の埃がかかっている、やや細めの脚に張り付くような薄手の藍色のズボンを両手で軽く叩き、その脚とは少しアンバランスの大きめの革の短靴を履いた足を引きずるように歩きだす。


「夏の日差しぃ、子供の声ぇ、蝉の鳴き声ぇ、世界が、世界がぁ、二日酔いのアタシをいじめるぅ」


 くぐもった泣き声をあげながら意味不明な事を言うと、右手を伸びきった前髪で隠れた目に当てる。そして「頭痛が痛いなあ」と更に意味不明な事を口走りながら、なおも前に、前に進むのだ。

 そんな、意味不明な酔っ払いではなく、エクスの近くをヌルベド蝉が透明な羽を羽ばたかせ通り抜けようとした。


「――黙らーさい!」


 羽音が耳障りだったのかエクスは間延びした声を出すと、左手をロープのようにしならせて、袖でヌルベド蝉をはたき落としたのだ。

 無念そうな、恨めしそうな、鳴き声を出しながら地面にひっくり返ったヌルベド蝉は羽をバタつかせ回転しだした。

 何年も土の中にいてやっとの思いで地上で羽化して生を謳歌している蝉からしたら、二日酔いの酔っ払いに理不尽にはたき落とされるなど、たまったものではないだろう。


「この世界は、弱者に対して残酷だぁ」


 彼女は自分が蝉をはたき落としたのに、それを世界のせいにする。と全く同意できない意味不明、支離滅裂な事をほざきながらその左手をまくり迷いなく蝉を摘み上げた。


「だが、世界は優しくも美しい」


 そう言い放つと同時に蝉を優しく空へ放った。

 蝉は感謝とも怒りともとれない音で鳴きながら透明な羽を羽ばたかせ、青い空目指して飛び上がった。が、タイミング悪く最近村の近くの森に巣を作ったカラスに見つかり、その一生をカラスの餌として散らしてしまった。


「……やっぱり、残酷だ」


 彼女はその自然の摂理を見上げながら、陽の光で眩しいのか少し垂れ気味の二重の黒い色の瞳を細めながら言うのだった。


 と、黄昏てた彼女だが「うっ!」と腹から喉に抜けるような呻き声をだすと、瞬間、両手で口元を覆った。


「ま゛ずい゛」


 一言そういうと彼女の顔から血の気が引いていき、白い肌が益々、病的に白くなっていった。

 もはや一刻の猶予もないのだろう。彼女は口元を覆ったまま、土埃を舞いあげ走り出した。走っている彼女の姿は、まさに必死。その一言がぴったり合う感じだ。

 必死のエクスが向かう先は村の中央だ。そして、その限界まで見開かれた垂れ目が捉えるのは、村の女性達が集まっている井戸。

 彼女達はちょうど水汲みの仕事がキリの良いところで、一息つき井戸端会議をしていた。


「それでね、あの人ったらさー」

「わかる、わかる、男ってさー……。ねぇあれって」


 1人の女性が会話をやめて遠くのエクスの方を指さす。

 他の女性達もその口を閉じエクスの方を何気なく見る。「あー勇者の子ね」「あーエクスちゃんね」などと、それぞれ呑気に話していたが、エクスとの距離が縮まって来ると口元を押さえ、目を金魚の出目金のように見開き、馬のように全力疾走で走ってくる彼女を視認した途端皆一瞬で青ざめた。そして、叫び出した。


「大変! あの子、また酔ってる! 井戸を汚染するつもりよ!!」

「誰かー! 畑に行って、男の人を呼んで来てー!!」

「間に合うわけないでしょー! そんなの、帰って来たら井戸が汚れてるわ!!」


 女性達が言い合っているうちにエクスはその間を風のように通り抜けると、井戸の淵に手をかけ顔を井戸の中に入れようとした。


「――エークス!!」


 突如、物陰から飛び出した女性がエクスを後ろから羽交い締めにして井戸から引き離した!


「んーんー、ぼぼぼ、んー」


 あぁ、もうエクスの口の中は吐瀉物で溢れているのだろう……。周囲にぶちまけないように頬を膨らませ必死に耐えている。


「助かったわディアちゃん!! このままじゃまずいわ!! 洗濯物や、井戸の周囲が汚れて大変な事に!!」

「わかってる!! エクスもなんでまた、井戸なんかに吐きに来たんだ!!」


 ディアと呼ばれた女性は、髪を振り乱し拘束から逃れようとしているエクスを身じろぎ一つせずに抑え込んでいる。

 エクスよりも少し体が大きいくらいで、胸以外は標準的な20歳位の見た目の体のどこに強力な腕力があるのだろうか?



 ディアは今年22歳になる。そして、ドワーフとエルフのハーフと自称している。

 エクスがこの村に来る前から警備を担当している。だが、彼女は農民の身分のため組合に職業を正式登録することができないのでなのである。

 ちなみに、アルフール大陸では5つの身分階級があり一番上から王族、貴族、町民、農民、落人おちうどとなっており、職業の登録ができるのは町民以上の階級の人間である。

 そんな自称警備兵の彼女の特徴は、なんといっても平均以上の素晴らしき巨乳である。それは、ただ大きいだけではなく彼女の持ち前の腕力、馬鹿力のおかげなのか垂れずに奇跡、神秘、といっても過言ではない綺麗で形の崩れていないお椀型である。まさに神の職人によって創造されたこの世の楽園エデンそのものだろう。

 その奇跡は情熱で熱血的な性格の彼女が、身につけている大好きな赤色の半袖の服の中にあり、サラシで少々キツめに押さえつけらている。服の上からは革製の胸当てを装備している。それでも、やはり隠しきれない奇跡が少し見える胸元に美しき谷間を作りだしている。

 素晴らしき巨乳神の作りし奇跡のため服が上に吊り上がって、腹部がさらけ出されてしまい少々日に焼けた素肌と、鍛えられた美しいくびれが日差しに照らされている。

 下半身は黒のショートパンツとそこから素肌を挟み、ふくらはぎまで覆っている茶色の革製のロングブーツを履いている。

 もう一つの特徴は癖っ毛気味の腰まで届く金髪の上に、常に革製の羽根付き帽子を被っていることだ。


「オゴォポゴぉ……」


 どうやら、エクスの口は限界らしくコポォだのと音を立て、口の端からニチャアとした冒涜的な物をこの世に顕現しようとしていた。


「――やっば!!」


 焦りを思わず口にしたディアは辺りを見回し少し考え込む。――この間1秒。

 その間にエクスの口からは邪神の化身、粘液の悪魔ともいえる危うい物が召喚されようとしている。


「東は、畑地帯…駄目。西、村の入り口…駄目だ。今は行商隊が積荷を広げてるはず。北の方は領主さんの館や、住宅地帯…流石にヤバイな。なら、南!!」


 ディアは周りが見えない位に集中すると思った事を早口で呟く癖があるのだ。

 彼女は3秒ほど呟いていると、エクスの足下には口元から垂れた異常な臭気の粘液が、1つ、2つと地面に染みを作る。染みから深淵を創り出しているかのようだ。その姿はまさに、混沌の女神。


「――飛んでけぇ!!」


 ディアはそう吠えると羽交い締めしていたエクスを、一瞬離すと両手でしっかりと脇の辺りを掴み上げる。後ろに出した左足を軸にし、自身の後ろ、村の南に向けて「ソォラァ!!」と気合いの掛け声と共に回転しながら、自慢の馬鹿力で勢いよく投擲、発射した!


 

 村の南の森から薪を拾ってきた母親と幼い男の子は家に向かって歩いていた。


「ママー、ボクね、あのね、おおきくなったらユーシャになりたいなーなれるかなー」

「アッくんなら何にでもなれるわよ。だから、嫌いなジャガイモも食べなきゃね」

「はーい」


 アッくんと呼ばれた子は自分の身長くらいの枝を両手で構えて、剣のように振り回して遊んでいる。


「よーし、ジャガイモたべて、つよくなって、しげんのユーシャさまみたいになるぞー」


 幼い我が子のそんな遊ぶ様子を見て母親は微笑んでいる。


「今日は本当に良い天気ね。この前の夜のことなんて嘘のよう……」


 母親は青い空を見上げて満足そうに呟いた。頭の中ではこれからやる家事の段取りをしているのだろうか「まずは部屋の掃除と、洗い物。あとはあの人にお昼を持っていって……」と呟いている。


 そんな家事の事でいっぱいの母親は、青い空にポツンとある黒い点を見つけ足を止める。

 それは、村の方からこちらに近づいてきているのだろう段々と大きくなっている。


「何かしらあれ?」

「なんだろねー」


 男の子も足を止めて見上げていたが「あっ、きっとドラゴンだ!ドラゴンだ!」と騒ぎ出した。


「あれ、人じゃないの!!」

「ほんとだーエクスちゃんだ!! すごいユーシャってとべるんだ!」


 驚いた親子が見上げていたのは、ディアによって未確認飛行物体と化したエクスである。

 しかも、ただ飛ばされているのではない。口から例の悪性粘液をドラゴンのブレスのように、吐き出しながら飛んでいる。


「きっと、あれがユーギだ! すげー、くっせー!」


 エクスが飛ばされ通過した地面には足跡のように異臭悪性粘液が残されていた。

 母親はそんなゲロを撒き散らす飛行物体が森の中に突っ込んでいくのを見送り、まだ世界の厳しさも知らず純粋の化身ともいえる我が子に言うのだった。


「アッくん、勇者でもなんでもなっていいからだけは飲まないようにね」



「よし!!」


 エクスを投擲したディアは腕を組み力強く肯いた。


「え、大丈夫なの? エクスちゃん?」


 井戸の周りの女性たちは、エクスを心配している素振りをみせディアに尋ねる。


「あっはっは大丈夫、大丈夫ですよー。エクスは受け身が上手いですし、南の森の中に突っ込むように投げたんで死にはしないでしょう。」


 ディアは豪快に笑いながら答えると「さてと、道のを掃除しなきゃなー」と木の桶に水を入れて、掃除道具を持ち南に向かおうとすると不意に後ろから声をかけられた。


「お忙しいところすいません」


 ディアが振り返ると、そこには旅人用の薄手のローブを纏った細身の人間の女性が立っていた。


「はい、何でしょう?」

「私、ウイスキ王国から来ました。勇者組合のハーテンというものですが、エクスさんはいらっしゃいますか?」

「あーエクスですか。それなら……」


 言葉を止めるディア。それもそのはず、理由があったとはいえ組合から派遣されてきた勇者を農民が投げ飛ばしたのだ。

 口が裂けても「ああ、勇者エクスならゲロリそうだったんで南の森のほうに投げました」とは気軽に言えない。それは、自身の保身のためだけではなく警備兵仲間でもあり、友達エクスの名誉のためでもある。

 まわりの女性たちも「ねえ、思ったんだけど適当な桶に吐いてもらえばよかったんじゃない」と囁きあっている。その通りである。投げる必要はない。


「あの、エクスさんが何か?」


 ハーテンは口ごもっているディアを不審に思ったのだろう、ディアの顔を瞬きひとつせずに見つめている。

 ディアは目線をハーテンから外すと「あ、あ」と必死に言葉をつむぎだしている。極度の緊張からか、下半身が移動中の馬車にいるかのように震えている。


「ま、まさか……エクスさんの身に何か……」


 ハーテンは絶望に打ちひしがれたような声を出す。もう一刻の猶予もない、ディアは掃除用具を丁寧に置くと正座をする。そして、両手を膝の前につき……


「すいません! 私が投げとばしましたぁ!」


 頭を下げる。それは、それは見事な土下座だった。そう、ディアは嘘がつけない、真っ直ぐな性格であった……

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