姉妹げんかは俺でも食わぬ? ~源学園花室高等学校生徒会執行部の日々~
松長市松
第1話 高嶺の女神様
(注)以下は一個人の完全に偏見に満ちた意見である。
『 兄弟というのは微笑ましいものであるだろうか。
――答えは否である。
兄弟、つまり男兄弟というのはその名の通り男と男との関係性であり、そこには必ず上下の力関係が生まれる。兄が上で、弟が下か。はたまた、弟が上で、兄が下かなのか。兄に威厳があり上なのか、もしくは暴力的支配によって上に立っているのか。はたまた、頼りない兄に代わり真面目な弟が上に立っているのか、もしくは馬鹿な兄を追い落として利口な弟が主導権を握っているのか。それとも(中略)どちらにせよ、対等な関係性という幻のようなものが生ずるはずもなく、なべて男兄弟とは力と力の衝突による破壊的な関係性のもとにあることに変わりはないのだ。
では、兄妹もしくは姉弟というのは微笑ましいものであるだろうか。
――これも答えは否である。
男と女という対極の存在の間には必ず心理的もしくは物理的衝突が自然摂理的に介在する。兄が主導権を握っているのか姉が支配を敷いているのか、はたまた弟や妹といった存在が年長の者を退けて屹立しているのか。そんなことは関係ない。それは例えば水と油が決して混ざらないように、あるいは二本の平行線が決して交わらないように、もしくは(中略)。感情と理性という正反対の概念に支配された二つの存在は、永遠的に絶対的に交錯することはないのだ。故に、兄と妹もしくは姉と弟との間に、永続する微笑ましい関係性など生ずるまでもない。そう、本当に、心の底から、芯の髄から。
では最後に、姉妹というのは微笑ましいものであるだろうか。
――答えはこれぞまさしく然りである。
姉妹愛、それは人類の到達すべきユートピアであり、エルドラドである。男兄弟のように力による暴力的な関係性が作り上げられる訳ではなく、兄妹や姉弟のように相反する存在の物理的精神的衝突点にもなり得ない。そこにあるのは妹を慈しむ姉の優しさと、姉を慕う妹の素直さのみだ。であるからして双方向から向けられた絶大なる思慕は絡み合い、相互的愛情関係が築かれる。兄弟にもなく、兄妹にもなく、姉弟にもない。姉妹にしか存在しないその強大な関係が、そこには確かにあるのだ。だからこそ姉妹は互いの存在を尊重し、互いに自己を第二と位置付け、相手に(中略)。であるのだから、それを微笑ましいと言わず何と言うのであろうか。これは微笑ましいと言うに最も相応しいものであるのだから――。』
なんてことを考えながら、高階師龍はゆっくりと校舎内の階段を上っていた。
踊り場に備え付けられた窓から覗くのは、早くも薄ピンクの隙間から青々しい新緑を浮かばせた桜の木。校門の手前ほどから校舎の周りにかけて植えられており、我が高校が誇るシンボルでもある。
そして奥からは高く響く金属音やホイッスルの音ともに、雄叫びやら怒鳴り声やら歓声やらが聞こえてくる。
それもそのはずで、今は放課後の真っ只中。外や体育館では運動部が汗を流し、校舎内には文化部や帰宅部の楽しそうな声が溢れ返る時間である。
斯く云う師龍もつい今まで諸事情により教室に留まっていた訳だが、時間も時間なために先生に言って解放してもらったのだ。
暖かい春風に揺られて目を細め、師龍は視線を戻す。
こんな呑気にしている場合ではないと思いながらも、どこか急ぐのが億劫で足取りは決して軽くはない。
けれど仕事は仕事で務めは務めである。それに、今の仕事だって自らがそう望んで就いた仕事でもある。
「ハァ」
師龍は溜め息にも似た吐息を溢し、よっこらせと足を進めた。
・ ・ ・
とろとろ歩いて扉の前まで来て、師龍はふいに一度足を止める。
扉の上には【生徒会室】の文字が書かれた看板が。そこは確かに師龍の仕事場である。
しかし、ある違和感を感じたのだ。
ただまあ、師龍もすぐに察しがいった。躊躇したのも一瞬で、次の瞬間には引き戸に手を遣り扉を開いた。
「お疲れー」
気だるげに発した挨拶に返事はない。
案の定、室内には一人の少女しかいなかった。
おかっぱ髪のいかにも真面目そうなその少女は生徒会副会長、足柄直美。ちなみに師龍は生徒会庶務である。いわゆる下っ端である。
「……やけに静かだと思ったら、やっぱりお前だけなのね」
「心外ですね。私だけじゃダメなんですか?」
「いやダメではないけど……」
頭をガシガシと掻きながら師龍は溜め息をつき、おもむろに自分の席へと腰を下ろす。
ぐーっと背筋を伸ばしてリラックスしてみるが、やはりどうにも落ち着かない。
向かいの席では直美が能面のような表情でパソコンをカタカタと鳴らしている。その傍らには山のように積まれたプリントがあり、誰から見ても重要書類だということが分かる。
「また一人でやってるのか」
「はい、私しかいませんでしたから」
「手伝おうか?」
「大丈夫です。作業が遅れるだけですから」
「そう、ね……」
今のところ返ってくるのは嫌みだけ。まあこれはいつも通りなのだが、だからと言って心地良い訳ではない。
師龍は何か話題はないかと「ふむ」と顎に手を遣り、
「そう言えば足柄はどこに行ってるんだ? この時間にいないなんて珍しいだろ」
「姉様は職員室に行って光明先生と大事なお話をされています。だから放課後すぐにはここにいらっしゃいましたよ、どなたかと違って」
「ああ、そういうこと。理解」
後追いの嫌みを受け流すようにして師龍は軽く頷いて見せる。これ以上話を続けても怒涛の嫌みが繰り返されるのは目に見えているのだ。
だからいつものようにカバンから本を取り出して息抜きとする。肝心の彼女が戻ってくるまでの、ほんのわずかな一時の。
「お待たせ、なおちゃん。長引いちゃってごめんね!」
キーボードを叩く音だけが淡々と響き渡った直後、勢いよく扉が開け放たれて一人の少女が入ってくる。
背中まで伸ばされた明るめの茶髪がどことなく柔らかさを醸し出す、優しい笑顔を湛えたその少女こそ、生徒会会長、足柄高嶺その人。
そしてまんま冷戦のように冷えきったこの状況を打開できる、唯一の女神様である。
「いえ、そんなことありません。姉様は会長の役目を純然に果たされてきたんですから、どこかのどなたかと違って」
高嶺の姿を捉えた直美はすぐさま立ち上がり、さっきまでとはうってかわって熱っぽい視線を向ける。まさに水を得た魚のようだが、それでも嫌みが消えることはない。
「おい、俺は別に遊んでて遅れた訳じゃないからな。俺にも俺のやらなきゃいけないことがあったんだ」
「へー、そうなんですか。是非とも聞かせていただきたいですね」
わざとらしく挑発してくる直美に、師龍はフフンと鼻を鳴らす。
「残念だな。そこは誰にも言えないんだ」
「どうせ居残り課題とかがあったんじゃないんですか?」
「どうかな。如何せん俺は成績は悪くないのでね」
「くっ……、そうでしたね」
直美は悔しそうに口をつぐむと、不満げな顔のままチョコンとおとなしく席に座り込む。
「あれ? 師龍くん来てるじゃん。いつ来たの?」
「ん? ああ、今さっきだよ。ほんの数分前」
「何かあったの?」
キョトンと小首を傾げる高嶺に、師龍は「えー」と困り顔を作り、
「いやそれは今妹と話してたばっかだろ」
「あ、そうか。ごめん、聞いてなかった……」
「おいおい……」
呆れ返る師龍。すると一度は鳴りを潜めていた直美がまたも立ち上がり、怒声とともに机を叩いた。
「ちょっと高階先輩! 妹って呼ぶのやめてくださいって何回も言ってますよね!?」
「別に良いだろ? 実際に足柄の妹なんだから」
「良くないです! 私にもれっきとした『直美』っていう名前があるんですから!」
「じゃあ名前で呼んだ方が良いのか? 直美ちゃんって」
からかいのつもりで師龍がそう呼ぶと、直美は背筋を震わせて心底不快げな表情
をし、
「いや、やめてください。その方が気持ち悪いです気色悪いです。やっぱりこれまで通りで大丈夫です」
「そんな反応されるとこっちが傷付くんだけど……」
もう一度言うが、別に慣れているからと言って傷付かない訳ではない。どうにも気まずい雰囲気だけが、二人の間に立ち込める。
と、パンパンッと手を叩く音とともに、朗らかな声がくすんだ空気を払拭する。
「ハイハイ、そこまで! なおちゃんも師龍くんも悪気がある訳じゃないんだから、ここら辺でお互いに謝りましょう! はいっ!」
「……すまん」
「……いえ、こちらこそ」
「うん、よろしい! これで一件落着だね!」
ニコッと満面の笑みを浮かべる高嶺に、師龍も直美もそれ以上は何も言わない。高嶺が平和を望むのなら、二人は平和を実行する。高嶺が争いを望むのなら、二人は戦端を開く。それが皆を幸せにする、生徒会のいわば暗黙の了解であるのだ。
だから師龍も直美も、高嶺の言葉を甘んじなくても受け入れる。例え互いに互いを不満に感じ、例え心のどこかで「悪気はあったんだけどな……」なんて密かに頬を掻いていたとしても。
故に、高嶺は師龍にとっても直美にとっても、――まさに女神様であった。
・ ・ ・
「それで足柄は光明先生のとこに何話しに行ったんだ? そんな大事な案件があるなんて聞いてなかったんだけど」
あの一時の休戦協定から数分。手元の本に適当に目を通しながら、師龍は気になったことを聞いてみた。
入力作業を続ける直美を微笑ましそうに眺めていた高嶺は「ん?」と首を捻り、
「ああ、うん、そうだね。二人には言っておかなきゃいけないもんね」
ついていた片肘を直して居ずまいを正した。
「えっとね、新しい活動を始めてみようと思うの」
「新しい活動?」
「それは私も初耳です、姉様」
直美もパソコンから顔を上げ、真っ直ぐに高嶺を見つめる。
そこで師龍はふと疑問を抱いた。師龍の知っている限り、高嶺は誰かに秘密を隠すような人間ではない。それが実の妹ならばなおさらだ。にも関わらず、直美は初耳だと言う。ということはそれだけ機密性が高い案件だということのだろうか。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「そりゃあそうだよ。だって今日の授業中に考え付いたんだもん」
「は?」「え?」
と間抜け声が重なる。
「英語の授業を受けてるときにふいに閃いて、それで光明先生に相談しに行ったの。こんなこと考えたんですけど、どうですかぁって。もちろん、即オーケーをもらったよ!」
エッヘンと胸を張る高嶺に、師龍と直美は顔を見合せ、
「えっと……それで、その活動ってのは……?」
高嶺は「それはね――」ともったいぶった前置きをし、
「『雑多相談所』の設置だよ!」
「と言われても……」
「その……ざった、相談所? というのはいったいどんなところなんですか、姉様?」
尋ねる直美に、高嶺は黒板にすらすらとチョークを走らせ、バンッと叩いてみせる。
「『雑多相談所』。雑多は何でもってことで、相談所は、まあ、分かるよね。つまり『雑多相談所』は、全校生徒の誰からでもどんな内容でも相談を受けるよって場所なの。もちろん、わたしたち生徒会がね!」
「えっ、俺たちが!?」
「そうだよ。立派な生徒会業務の一つとしてやるんだから。まあ、わたしに任せてくれれば大丈夫だよ。何てったって生徒会長なんだし!」
ドンと来いとばかりに胸を叩いて高嶺はキメ顔をする。
師龍は「面倒なことになってきたなぁ」と内心では愚痴を溢しながらも、高嶺の自信に溢れた笑顔を台無しにする気にはなれなかった。それに師龍は知っているのだ。高嶺が一度決めたことは誰に何と言われようと頑として覆そうとしないやつだということを。
ちらと横を見れば、直美が拍手をしながら「素晴らしいです、姉様!」と目を輝かせて感激している。
「お前は大丈夫だと思うのか?」
小声で問いかけると、直美は一瞬だけ元の沈着な表情に戻り、
「当たり前ではないですか。姉様は私の大事な姉様で、私なんかよりも何百倍も優れてらっしゃる姉様です。そんな姉様が間違いを犯すはずがありません。私は断固として姉様を信じています」
冷然とだが確かに熱い感情を込めて答えた。
「あー、そうだよな。お前ならそう言うに決まってるよな。聞く相手間違えたわ」
「……」
気持ち皮肉を込めて呟くが反応がない。見遣れば直美は師龍の言葉になど耳もくれず、またもや「さすがです、姉様!」なんて感嘆の声を上げている。
「ハァ……」
俺と足柄とに対するあまりの態度差に、もはや直美の身辺――と言うか交遊関係が不安になってしまう。
――こいつもしかしなくても友達いないんじゃないか?
憐憫の目で見つめていると、直美は師龍の視線を察し、
「大丈夫ですよ。少なからず数人は仲の良い友人がいますから。私、あなたの思うほど誰彼構わず悪態をつく訳ではないので」
「そ、そう。なら良いんだけど……」
それはつまるところ、誰彼構わず悪態をつく訳ではないけれど師龍には間違いなく悪態をついている自覚があるという訳で。
「どうかしたんですか?」と訝る直美に、師龍は苦笑いを浮かべて目線を逸らした。
「あー、足柄? 俺も別に反対とは言わないし、全校生徒の悩みを直に解決したいという足柄の気持ちも分かる。でも別に相談所じゃなくても、これまで通りの目安箱でどうにかなるんじゃないか? それこそ目安箱の方が一般生徒も参加しやすいだろうし。何でそこまで相談所にこだわるんだ?」
どのみち高嶺の意見には絶対に従うのだし、当の高嶺がノーと意見を翻すはずもない。それでも師龍は、どうしても聞いておきたかった。
高嶺の真意が、いったいどこにあるのかということを。
「うーん。実を言うと、特に深い理由はないんだよね。だってしょせん、突然の閃きなんだもん」
ハハッと照れ笑いを溢す高嶺に、師龍は自分の目と耳を疑いそうになる。
けれど、恥じらいではにかみながらも高嶺は、凛と透き通った真っ直ぐな眼差しをしていた。
「でもね、わたしはこうも思うんだ。閃いたってことは、そのとき神様がわたしにそうするべきだって教えてくれたっていうこと。そして、神様がそう教えてくれたってことは、生徒のみんながそう望んでるってことなんだって」
その澄んだ声に、師龍はさっきとは違った意味で耳を疑った。
「考えてもみてよ。昨季までの目安箱制度は、本当に生徒の意見を尊重してたのかな? わたしはそうは思わない。確かに良い制度だったとは思うけれど、少なからずそこには生徒会の裁量があって、恣意的な操作もあった。だって意見表が読まれなければ意見が出されたことにはならないんだもん。そんなのは生徒のためじゃない。生徒会のための制度だよね。だから、わたしは目安箱じゃなくて直接この身で生徒の意見を受け止めたいって思ったの。わたしはみんなに選ばれて、この場所にいる。なら、わたしがみんなのために尽くすのは当然のことだよね。それが、上に立つ人の役目で責任だよね!」
「そう、だな……。そう、だよな……」
これが足柄高嶺で、これが自らが高嶺に尽くそうと誓った所以だ。
師龍は改めてまみえた高嶺の高潔な志に、震えを覚えそうなほどに心を打たれていた。
そしてそれはまた横で聞いていた直美も同じのようで、
「さすが過ぎます。それでこそ私の姉様です!」
と感激を通り越して満足げに何度も頷いている。
いつもなら態度の違いにモヤッとするところなのだが、今ばっかりは直美の気持ちもよく分かり、師龍は微笑ましささえ感じていた。
「ちなみにポスターももう作っちゃったから、帰るときに張って、早速明日から活動開始だよ!」
「「……はい?」」
しかして二人は忘れていた。足柄高嶺という人物が、悪い意味でも潔く、速攻で即行的な行動力を有するということを。
次の瞬間には各自ポスターを数枚ずつ配られ、高嶺は一切悪意のないとびっきり満面の笑顔で、
「よろしくね!」
「「……はい」」
こうして、源学園花室高校生徒会執行部の、新たなる活動の日々が始まった。
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