モーリー

 空からぬいぐるみが降ってきた。大きなくまのぬいぐるみはビル風に煽られて、とさ、と腕の中に収まる。見上げると、上層階のバルコニーから手を振る誰かがいた。

「それ、あげますー」

男の人のようだ。シルエットからして大柄らしい。知らない人から物をもらうわけにいかない。それにぬいぐるみの中には何が入っているのかわからない。よく聞くのは、盗聴器とか髪の毛とか。私は首を大きく振って、それから、持ち主がいるらしいビルの中に入り警備員にぬいぐるみを渡して家に帰った。


 翌日、気まぐれでゲームセンターに入った私は、筐体の中に寝そべるくまのぬいぐるみについつい惹かれた。昨日の今日だからだろう。白くてふわふわの、青いリボンを付けたくまが呼んでいるような気がしたのだ。2日続けてぬいぐるみに出会うならば、何かそれが必要な時なのだろう、なんて運命的なものを感じた私は、2000円ほどかけてどうにかぬいぐるみを獲り家へ持ち帰った。実は少し酔っていた。


 ぬいぐるみは嫌いじゃない。時々こうやってゲームセンターから連れ帰る。部屋の一角のぬいぐるみ置き場に置こうとしたが、これだけ大きなぬいぐるみだ。せっかくなので一晩くらいは添い寝をすることにした。シングルベットに1人と1ぬいは狭かった。毛足の長いふわふわのぬいぐるみは抱き心地が良い

。肌にまとわりつく事もなく、さらさらとした毛艶が誘っている。酔った勢いとひとり寝の寂しさから私はパンツ1枚でぬいぐるみと眠った。


 その日見た夢の中に見知らぬ男がいた。男は高そうなふわふわのパジャマを着ている。大柄で、パジャマの色も相まって大きなくまみたいだった。男は私の頭を撫でながらシーツの海に寝そべっていた。

「おつかれさま」

男は優しく語りかけた。その声を聞いて、あの時ビルの上から手を振った男だと気付く。

「ありがと……」

少し間延びした声で他愛もない話をしながら私は夢の世界で眠りについた。『胡蝶の夢』という話があったなと思い出す。現実の私は、眠っている私の夢なのかもしれない。


 目を覚まし、一夜を共にしたぬいぐるみを見る。もちろんそこに男がいるわけもなく、つぶらな黒いプラ製の目が虚空を見つめていた。改めてくまをよく見ると、リボンには『モーリー』と書かれていた。モーリー、と名前を呟くが返事があるはずもない。もふもふと頭を撫でながら、夢は夢か、と呟いた。昨晩の帰りに買ったのであろうホットフードとたまごサンド、そして缶チューハイを朝ごはんにして、昨日の夢の中に出てきた人間のモーリーに想いを馳せた。優しかったな。清潔感あったし。丸いけど。寂しさで死にそうになっていた私は、夢の中のモーリーに恋していた。


 モーリーとはその後も一緒に寝ることにした。ベッドが狭いので、少し大きなベッドを新しく買ったが、どうやらぬいぐるみのモーリーは日に日に大きくなるようで、そのベッドもすぐに狭く感じるようになった。現実にはありえないはずの出来事に、もちろん違和感がない訳ではなかったが、害のない範疇ならまあ、と気にせずにいた。モーリーはあっという間に私の背丈を追い抜いたが、全長が2メートルを超えたあたりで止まったようだ。その頃には私は、もうモーリーの添い寝なしでは眠れなくなっていた。


 モーリーは起きている間に私の愚痴を聞くからか、夢の中でも的確に慰めてくれた。仕事や今後の不安、寂しさ、親のこと、いずれ欲しい子供のこと、明日の夜ご飯。夢の中でモーリーと話す時間は適度に気が紛れたが、よくばりな私は段々とそれだけでは物足りなくなっていた。

「モーリー、あなた、夢の外でも会えないの?」

「会いたい?」

「ぬいぐるみじゃなくて、人間の」

そんな会話を、したような気がする。夢から目が覚めて、モーリーが人になっていない事を確認する。自分でも笑ってしまうくらいがっかりしていた。涙が出そうになった私は、枕元に置いておいた飲みかけのペットボトルに口付けた。炭酸の抜けたサイダーが口の中に粘りつく。と同時に、家のベルが鳴った。朝っぱらから迷惑な、と思ったが時計を見るとすでに13時を過ぎていた。


 慌てて服を着てドアの覗き窓を見ると、そこに人間のモーリーがいた。が、いくら夢の中で話していたと言っても、こちらの世界では全くの赤の他人である。偶然にしては出来すぎている、と思いながらも、ついついドアを開けてしまった。

「どなたですか」

「森です。あの、前に」

森。確かにモーリーは、見た目からして日本人であったように思える。確かに。あのモーリーだと少し納得しそうになりながら、忘れかけた理性がどうにか息を吹き返し慌てて首を横に振る。

「わからないです。ええと……」

「ぬいぐるみを届けてくれたと聞いて。あぁその、連絡先とかは聞いてないんですが、俺、実は前から……」

 モーリー、いや森さんとの仲はそれから順調に進んだ。森さんは以前から私のことを知っていたらしい。話しかけるきっかけがほしくてぬいぐるみを投げたことや、アパートに帰る私の部屋を調べたこと、帰る時間をチェックしていたことを白状した。正直なところ、ストーカーじみているとは思った。モーリーの事がなければ通報していただろう。が、そこに目を瞑れば感じのいい人だと思った。何せ相手は毎晩夢の中で抱き合った男である。私は2人と1ぬいと眠るにはベッドが狭すぎると思い、キングサイズのベッドが置ける家へ引っ越した。


 川の字で眠るようになってから、夢の中には森さんとモーリーが現れるようになった。モーリーの首には青いリボンがついていたが、それ以外の見た目の違いはない。もしかしたら、森さんとモーリーとは別人だったのかもしれない。二股になっちゃったなぁ、とぼんやり考えながら、浮気性な私は今日もゆったりとお話しをする。

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