みるく少年

 しろのみるくは12歳の少年である。みるく帝国の一人息子で、この世の全てが彼のものだった。


 みるく帝国は南半球のある海流に漂う、甘いイチゴのツタが複雑に絡み合って出来た浮島である。雨雪はミルクのように白くて甘い。そのため、帝国の民草には血液の代わりにイチゴミルクが流れていた。


 みるく少年は特別な存在だった。国民全てが少年を愛し、崇めていた。民には朝晩二回の礼拝が義務付けられている。教会の礼拝堂にはみるく少年を象った美しいミルク色の飴像があり、民はその爪先に口付けをした。礼拝が終わるとイチゴ色の、みるく少年の唇と同じ形の飴が一つずつ与えられた。飴を噛み砕く事は法律で禁止されている。


 みるく少年は365日24時間、巨大な城の中央にある、王の玉座に座っている。その姿は麗しく、ミルク色の髪とミルク色の肌、イチゴ色の唇を持つ小柄な少年で、瞳は固く縫い閉じられ、手足は玉座に枷で留められていた。みるく少年の声を聴いたものはいない。美しく結ばれた唇のその奥は、肺まで届く特殊な形状の口枷に支配されていた。みるく少年の玉音は両親の遺志を継ぐ大臣にのみ聞こえており、それを民に伝えるのが大臣の職務であった。


 午前10時。大臣はみるく少年の足へ口付けし、その玉音を聴く。今日はみるく少年の444回目の、12歳の誕生日である。国民の休日であるその日は労働を禁じられているが、帝国において礼拝は労働ではないため、その日も民は教会で祈りを捧げた。みるく帝国はハート、ダイヤ、クラブ、スペードの4地区、1から10までの番号で区切られていて、みるく少年の生誕祭にはそれぞれの番号から1人ずつ、40人が生贄として帝国に捧げられた。選ばれるのはみるく少年と同じ12歳の美しい少年である。生贄を選ぶ事が出来なかった場合はその番号の住民全てが処刑された。


 今年の生誕祭は1人の不足もなく、40人の美少年が城へ集められた。生贄とされた少年達はその生涯を城の中で終えることとなる。ある少年はその場で首を跳ねられ、流れるイチゴミルクはみるく少年の喉奥に流し込まれた。みるく少年とひとつになることに歓喜の涙を流した少年の死体は、玉座の裏から続く地下へと運ばれた。またある少年は大臣のそばに置かれ、みるく少年の玉音を拝聴するため日々訓練に勤しんだ。役割を与えられた美少年達は、それそれに職務を全うし、美しく成長していった。


 この年の美少年の内の1人、みかんという名の少年は、それから20年の月日を城の中で過ごし、美しい青年へと成長した。人望厚く、大臣の一番の部下として活躍していた。しかしみかんには、初めて城へ足を踏み入れた時からの野望があった。──みるく少年の解放である。


 みかんはクラブ地区の最底辺、地番1の貧民窟の出身であった。今にも朽ちてしまいそうなあばら屋の教会の、薄汚れたみるく少年像は飢えた住人に長年かけて舐め溶かされていた事もあり、とても醜い有様だった。生贄として選ばれるまで、みかんはみるく少年を憎んでいたが、城へ運ばれ、玉座に縛られるみるく少年の美しさに心奪われた。汚い飴像の代わりに本物のみるく少年の爪先へ口付けした際、いつものクセでその肌を舐めると、甘い甘いみるく少年の爪先はぴくりと反応をしたのだった。


 この少年は生きている。生きたまま、ここに磔にされているのだと、みかんは震えた。あまりに残酷なその事実に涙したが、その涙は本物のみるく少年に口付けした美少年には珍しくない事であったため、その根底にあるめらめらと燃え上がった情熱に気付く者はいなかった。


 それは大臣も同じ事だった。夜な夜な12歳の美少年どもを寝所へ集め、醜い身体で蹂躙していた大臣でさえも、足と足の間で跪くみかんの熱を気にも留めなかった。32歳に至るまで、周りの人間に悟られる事なく勤めを果たし、大臣の暗殺に成功したみかんは、大臣の死体を隠し、みるく少年の元へ駆けて行った。


 みるく少年の拘束はほとんど意味をなさないものであった。鉄の枷に見えたそれらは全てただの飴細工で、あっけなく壊れた。みるく少年の軽すぎる身体を抱え、周到に調べた脱出口から外海にでたみかんは、粗末な小舟の中で揺れるみるく少年の口を開き、恐ろしく長い凶悪な口枷を外して海へ投げ捨てた。


 みるく少年の声は星の音色のようだった。波の音にも紛れてしまいそうなその声を一言一句聴き逃さないよう耳を澄まし、みるく少年の願いを知った。


「天の川へ連れて行って」


 みかんは迷わず頷くと、不安定な船の上へ立ち上がった。みるく少年を固く抱きしめ、そのまま暗い海へ身を投げた。みるく帝国は神の怒りに触れ一夜で消滅したらしい。

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