かみなりさま
小学校まで5分の通学路に、5歩だけ近道をする小さな森があった。駐輪場の裏手にあるその3×3メートルの小さな森には獣道があり、近隣の小学生は必ずその道を通っていたように思える。山桃の木の通り道で、蒸し暑い初夏に赤黒い実を付けた。その実の大半は間もなく森や駐輪場の地面に落ち、子供やバイクに潰されて血生臭く甘く匂った。
激しい雷雨が付近を襲った日。ほとんど目の前に落ちる雷に怯え家に帰れずにいた私は、木が守ってくれるだろうと慌てて森へ駆け込んだ。まだ幼く、頭の上が空いてさえいなければ問題ないと考えたのだ。
森の中はいやに広く感じた。あれほどうるさかった雷と雨音は消え、辺りはしんとしている。私はそれに違和感を感じることもなく歩みを進めた。ぬかるんでいた獣道はやがて美しいガラスのタイルで舗装され、きらきらと輝いている。いつの間に脱いだのだろうか、私は裸足で、ランドセルも背負わずにひたひたと道を歩いていた。森はすっかりと消え、白の水平線がどこまでも続いていた。
ガラスの道を歩き続けているうちに、私は己の身体が薄く透けていることに気付いた。淡く光る身体には羽虫のような光の粒が泳いでいる。どこか心の中で、これはまずいことになったぞ、と感じながらも、足の裏の心地いい冷たさと心許ないほど軽くなった身体は不安をぼんやりと隠していった。
道を歩き続けて、いよいよ眠気さえ誘う散歩道に、突如として宮殿が現れた。壁は白く、白金の飾りが太陽の光を反射し方々で大袈裟に輝いていた。さすがに圧倒され歩みを止めたが、何処からか流れてきた官能的な香りを含む紫煙が私の足元にまとわり、ふわりと身体を持ち上げると、すうぅと宮殿の中へ運んでいった。
城の奥深くには、黒檀の肌が美しい青年が、模様織の美しい絨毯へ裸で寝そべっていた。様々な装飾を身に付ける身体は寝息に合わせて静かに揺れている。いつの間にか裸になっていた私は、煙によって青年と肌を合わせるように側へ据えられた。煙が何処かへ消え失せると、青年の寝息はぴたりと止まり、静かに目を開けた。
「また連れて来たのか。」
美しい藤色の瞳を持つ青年が、思ったよりも低い声で呟いた。そよそよと大きな葉で風を送っていた侍女がおろおろと顔を見合わせた。私は状況がよく飲み込めないまま、青年のたくましい腕の中に収まっていた。
「はぁ、年頃の女は好まず、男も好かず、老女老爺も趣味じゃないと言ったら、後は子供かと。」
いつの間にか青年と私の前に髭の重たそうな男が立っていた。
「そもそも、子を成すならば我一人でも問題がないのに、どうして人の子を孕ませる必要がある。」
「下界にはそのような者が一人あると、不安なく稲を作るのです。獣に子供をやる風習すらあるのですよ。」
「この子は不自由のないただのそこいらの子供だろう。今すぐ元の場所へ帰してこい。さもなければ、黒こげにして地上へ落としてやるぞ──」
はた、と目を覚ました次の瞬間には、私は元いた森の中にいた。辺りは相変わらず雨だったが、どうやら雷は止んだようだ。旅立つ前より辺りは暗くなっている。私は慌てて森から出て、走って家へ帰った。背後から残念がる男の声が聞こえた気がした。掌には、青年の付けていた指輪が一つ握られていたが、大人になるまでにどこかへ無くしてしまった。
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