吉川君

 吉川君のあだ名は『薬屋さん』だった。例えば熱っぽかったり、お腹が痛い時なんかに吉川君に訊ねると、大抵の薬は持っていた。吉川君が教科書やジャージを引っ張り出すたびに、引っかかった薬の箱や説明書がぽろぽろと落ちていたのを覚えている。


 吉川君が制服のまま、市川大野駅のベンチに座り込んでいる事を私は知っていた。地元に住んでいて、バイトのために二つ隣の西船橋まで電車で通っていた私は、行きと帰りのどちらでも同じ場所に座っている吉川君が気になってしまい、いつしか恋をしていた。ずっとスマホを手に何かを見ているようだった。どちらかというと田舎っぽい駅で、ホームには吉川君の他に上りも下りも人がいないのも珍しくはない。誰かと話すわけでもなく、延々とスマホを見ていた。


「吉川君、薬が欲しいの」

クラスのリーダー格の女の子が言った。取り巻きの2人とニヤニヤしながら吉川君を囲んでいる。

「惚れ薬」

ひゃー、と甲高い声で取り巻きが騒いだ。吉川君は普段と変わらない口ぶりで、いいよ、と微笑むと、赤いフォイルで包まれた小さなハートのチョコレートを取り出した。

「チョコじゃん」

「いらない?」

不服そうな顔でリーダーが受け取って、サムいんだよ、と吐き捨てて教室を出て行った。取り巻きも後からついていく。吉川君は笑顔を擦り落とし、鞄のチャックを閉めた。まるで仮面を外すように見えた。


 ある日、吉川君が来なくなった。といっても1週間ほどだったし、欠席の連絡はあったようで、何事もなく授業は進んだ。吉川君は駅のホームに相変わらず座っていた。ただし、毎日泣いていた。声をかける勇気もなく、泣いている吉川君を横目で見ては、誰かが吉川君を助けてくれないかと思っていた。


 しばらくして、再び吉川君は学校に来るようになった。以前より随分と陽気で、私はかえって心配していたのだが、元々人付き合いは悪くないタイプだったので周りの人は気にしていないようだった。吉川君は相変わらず薬屋さんだった。


 それから数日後、私がいつもどおりに駅のホームに座っている吉川君を、電車を待ちながら眺めていた。すると吉川君は、鞄の中から瓶詰めの風邪薬を取り出し、中から山盛りの白い錠剤を手にあけると、それをいっぺんに口に放り込んだ。えっ、と声を上げた私に気付くそぶりもなく、ジュースを一気に飲んだ吉川君は、薬瓶をしまうと、また何事もなかったかのようにスマホをいじり始めた。


 今思うと、止めるべきだったのかもしれない。それから吉川君は学校にあまり来なくなった。来た時は特に何事もなかったかのように振る舞っていたけれど、駅のホームに座る吉川君はほとんど死体のように動かなかった。斜めに傾いて、涙が流れるままにどこかを見つめている。私は声をかけられず、ただただ、吉川君を誰かが助けてくれないか祈り続けるほかなかった。


 卒業してから、吉川君をホームで見ることはなくなった。風の噂では、新宿の辺りで怪しいおじさんと歩いているのを見た人がいたらしい。私は新宿駅を探して回ったが、吉川君に再び会うことはついになかった。

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