第11話 記憶
(父と母と、兄とボク。)
(ボクら家族は山の奥でひっそりと暮らしていた。)
「いいか×××。俺たちは決して村の人間と関わってはいけないよ。なあに、ここは山の恵みで溢れている。山から下りる必要なんてないんだ」
(ボクと兄にそう言い聞かせる父の言葉は、まるで父が自身に言い聞かせているように感じた。)
(父の言うとおり、ボクらの暮らしている山はとても豊かな自然に溢れていた。木の実や果実、食べられる野草。動物を罠にかけて捕まえたり、川で魚を捕ったりと食べ物に困った事は無い。)
(木々の間を走り抜け、鳥の声に耳を澄ませる。ボクら兄弟はそうして朝から晩まで自然と供に遊ぶ日々を送っていたんだ。)
(幸せだった。)
(少なくともボクは山を下りる気なんて無かったし。家族と過ごす日々は十分に満ち足りたものだった筈だ。)
だが兄は××× そして村×××××
あの×× ・・・・・・
『この鬼め』『化け物め、村から出て行け』
声が、聞こえる。
そして、恐怖の色を浮かべているたくさんの瞳・・・
(目の前の景色が霞んで見える。
どうやらボクは目覚めようとしているらしい。)
ズキズキと痛む頭を押さえながら、マオはゆっくりと目を開いた。
どれだけの間眠っていたのだろうか? 彼の視界に映ったのは見慣れない木製の天井だった。
・・・どうやらわずかだが、失っていたマオの記憶が戻ったようで。でもだからどうだと言うのか。どうやら彼には家族がいたらしいという事。そして、鬼と呼ばれていた化け物であった事は思い出した。
だがそもそも鬼とは何なのか、どうして捕まっていたのはまだ思い出せない。そして、自身の名さえも。
そっと唇を噛みしめる。
自分が化け物だとわかって・・・それでどうしろと言うのだ?
わからない
わからない
彼にはそれを判断するための記憶が足りていない。
噛みしめた唇から血の味が広がった。
「あら、目を覚ましたようですね」
柔らかな声が聞こえた。顔を上げると、そこには緑色の髪が美しい女性が何やら木の器を持ってやってきた。
「はじめましてマオさん。私の名前はハヤテ、見ての通り森の民です」
にこりと笑ったその笑顔が眩しすぎて、マオは思わず見とれてしまった。
「えっと・・・はじめまして」
「ええ、よろしくお願いしますね。まだ起きたばかりで混乱しているのでしょう? ここは山小屋です。重傷のアナタを看病するために、偶然会った猟師さんにお願いしてこの場所をお借りしているんですよ」
そう説明しながらハヤテは持ってきた木の器から濡らした布を取り出すと、マオの額にそれをおいた。
ヒンヤリとしたソレの感触が、火照った体に心地よい。
「ええとハヤテさん? アナタはいったい何故ボクを看病してくれているんです?」
そうだ、マオは脱獄犯。そんな彼を治療するなんて物好きがいるだろうか? それともその事実を知らない善人が怪我人を放っておけなくて看病してくれたとか?
「ああ、そうですね。その事については・・・」
ハヤテの言葉の途中で、部屋のドアが開いた。
「ハヤテさん。頼まれていたものを持ってきたぜっと・・・お?」
無精ひげをはやした軽薄そうな小男。ダンプは目を覚ましたマオを見るなり嬉しそうにその表情を崩した。
「目を覚ましたのかマオ!」
「なるほどね。どうやらボクは貴方たちに迷惑をかけたようだ」
マオはダンプから自身が倒れた後の話を聞いて、感謝の気持ちと供に迷惑をかけたという罪悪感ですまなそうな表情で謝った。
怪我人を連れてあの戦火の中から脱出するのは骨が折れただろう。
「何言ってんだマオ。迷惑なんてとんでもない、お前がいなかったら俺たちはあの場で死んでいたんだぜ? ありがとうマオ。お前がいたから生き残れた」
ああ彼は何という優しい男だろう。マオは心から優しい仲間たちに感謝をする。
彼はマオのあの姿について何も触れなかった。それが、とてもありがたかったのだ。
「それで、これからボクたちはどうするんだい?」
「ああ、そうだな。とりあえず今はお前の回復を待ってから旦那の故郷に向かおうと思ってる。もちろんお前が賛成してくれるならだが」
「うん、それでいい。ボクに用事は無いしね。道はわかってるの?」
話を聞いた限りでは反乱軍の拠点からは適当に逃げていた筈だ。今のこの位置をテオは把握しているのだろうか?
「ああそれでこの小屋の持ち主の猟師と旦那が今話してるところだ。猟師からこの辺の地図を借りて確認してんだよ」
ならばいよいよマオの体が治れば出発だろう。マオは早く体力を回復させるため、また深い眠りへと落ちるのであった。
「ほら、たんと食え。新鮮な熊肉はうめえぞ」
ニコニコと熊肉の入ったスープを勧めてくる人の良さそうな猟師の男に、マオは頷くとスープの入った器を受け取った。
出汁のしみ出たスープを一口啜る。塩味と肉の旨みが疲れた体に染みいるようだ。
「・・・おいしい」
思わずそう呟いたマオに、猟師の男は大声で笑った。
「何から何までお世話になりました。マオの調子も良さそうなので我々は明日には旅立とうと思います」
テオが皆を代表して猟師に礼を言う。
「なあに気にすんなって。困ったときはお互い様だ」
そう言って豪快に笑う猟師に、テオは無言でもう一度頭を下げた。
「さて、猟師のおっちゃん。オイラ達に何か手伝える事はねえかい? 恩返しってほどじぇねえが旅立ちまでに何か手伝いてえんだ」
ダンプの言葉に猟師は少し考えるように頭上を見上げると話し出した。
「うーん、そうだな。それじゃ薪割りをお願いするとしよう」
「ほいさ。じゃあ飯食い終わったら旦那と二人で薪割りだ。マオは安静にしとけよ、もう明日は出発だからな」
ダンプの言葉にマオの隣で食事をしていたハヤテが首をかしげる。
「私もお手伝いしましょうか?」
「いやいや、ハヤテさんはマオの治療で大分お世話になったからな。ゆっくりしておいてくれ。薪割りは二人で十分だからさ」
夜が更けてゆく。
シンと静まりかえった森の夜に、猟師の暖かさと熊肉の旨さがマオの心にじんわりと広がった。
草木も眠る夜の森で、マオは一人寝床を抜け出して空を見上げていた。
うっそうと茂る木の枝の隙間から欠けた月がひょっこりと顔を覗かせている。耳を澄ませば名も知らない虫の鳴き声がバックコーラスのように美しく、それでいて控えめに鳴り響いていた。
「ボクは・・・・いったい何者だ?」
幾度となく己に問うてきた。
答えは出ない。
ボクにはまだわからない。
「一人でお月見なんてずいぶんと風流ですね」
柔らかな声が聞こえた。
振り返ると、思っていたとおりそこに立っていたのは緑の髪をきらきらとなびかせた美しい森の民の姿。
「こんばんはハヤテ。アナタも眠れないの?」
ハヤテは無言で微笑むと、ゆっくりとマオの隣に並び空を見上げる。
「欠け月ですね、とても美しい」
月光に照らされたその横顔は、まるで作り物のように生気が感じられなく、そしてどうしようも無く引きつけられる美しさを持っていた。
「私たち森の民は精霊の神秘の守護者なのです。精霊術において月の満ち欠けは生と死、そして隆盛と衰退を意味します・・・・・・まあ、そんな難しい理屈はさておいて私も月見は好きなんですよ。単純に綺麗ですからね」
そう言っていたずらっ子のように微笑むハヤテの顔はやけに人間くさく、先ほどの非現実的な美しさとは違った可愛らしさがあった。
「マオ、アナタには過去の記憶がないと聞きました。その事で悩んでいるのですか?」
「ボクは・・・」
そうなのだろうか。ハヤテの言葉に、マオは自分の心に問いかける。
「・・・わからない。そうなのかもしれないし、そうじゃないかも。むしろ中途半端に思い出したせいで余計に混乱しているのかもしれない」
鬼
その言葉が脳に焼き付いて離れない。
「自分の事が完全に理解できる生物などいません。それは悠久の時を生きる私たち森の民とて同じ事・・・それを悩み続けるのが知性を持つ生物の特権であり、業なのです」
悩み続ける事
問い続ける事
自分の事なんてわからない。だからせめて悩みつづけよう。大切な優しい仲間たちに、誇れるような自分である為に。
◇
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