第9話 動乱の日々

「・・・ふっ、ふっ、ふ」




 まだ日も昇らぬ早朝。自宅の庭先でアリシアは木剣を素振りしていた。




 鍛錬用に通常の剣よりも重く作られた木剣を、彼女は流れるような動きで振るっている。それは長年の反復練習による賜物か、木剣を振り上げそして振り下ろす。その単純な一連の動作がとても美しかった。




 素振りの数が五千を超えた時、外から何やら声が聞こえた。




「衛兵長! 早朝から申し訳ございません。至急お耳に入れたいことが」




 聞こえてきたのは聞き慣れた彼女の副官の声。




 アリシアは深いため息をついた。この時間帯から彼がアリシアの家を訪ねてくるなんて良い報告な訳が無い。木剣を壁に立てかけ、額から流れ出た汗をタオルで拭いながらアリシアは報告とやらを聞く為に動き出した。




「そうですか。夜間巡回中の二人が・・・」




 制服に着替え、副官に連れられてアリシアが向かったのは昨夜殺害されたという部下二人の死体が発見された現場であった。




 すでに手配されていた馬車に乗り込むと、その中には死体を鑑定するための宮廷魔術師の弟子が座っており、無言で会釈をしてきた。




 副官の移動中の説明によると、夜間巡回中の二人が交代の時間になっても戻ってこない事を不振に思った衛兵が巡回コースを回っていた所、死体となった二人を発見したという。




「やはり反乱軍の手によるモノでしょうか」




 アリシアの言葉に副官は首を横に振る。




「まだわかりません。現場はそのままにしてありますので確認をお願いします」




 ギリリと歯を食いしばる。




 悔しかった。むざむざと部下を殺されてしまった自分の無能さが。そして、いつまでたっても収まることの無い戦乱の火が、言い様もなく苛立たしいのだ。




 馬車の中は重苦しい空気に包まれる。




 ふと窓から外の風景を見渡した。いつの間にかゆっくりと空に顔を出した朝日が街をやさしく照らし出している。いつもと変わらぬ朝の風景、そんな様子に今日は何故だか無性に腹が立ってならないのだ。


















「・・・これはむごいですね」




 アリシアは部下二人の死体を前に眉をひそめた。職業柄死体は見慣れているとはいえ、近しい人の死が平気な訳では無い。




 二人の死体はひどい有様だった。




 首を切断された死体、そして胴体を見事に両断された死体。




 しかしこの死体は少々引っかかる。首を切断したり胴体を両断したり何て離れ業は、剛剣の達人であるアリシアにも困難なものだ。わざわざそんな面倒な事をしなくても人は殺せるし、こんな街中でこのような絶技を出す必要も無いだろう。




 反乱軍が犯人かと思っていたが違うかもしれない。彼らならもっと手早く事を済ませるだろう・・・快楽殺人犯、剣の達人による辻斬り・・・・。




 考えても答えは出ない。そも、刃物による犯行では無く魔術によるものかもしれないのだ。アリシアは首を振ると隣の魔術師に向き直った。




「では鑑定をお願いします」




 魔術師は無言で頷くと死体の側に立つ。




 アリシアは魔術師の様子を興味深く見つめた。魔術というものの存在は知っていたが、その行使を見るのはコレが初めてだったのだ。そも、騎士の誇りを重んじるこの王国では魔術師の絶対数が少ない。新しく出来たマイナーな技術という事もあって、あまり高い地位は得られていないのだ。




 魔術師は手にした木製の杖でコンと地面に軽く叩くと、何やら小声でぶつぶつと呟き始める。




 突如魔術師の体からうっすらとした青いオーラのようなモノがわき出した。それはユルユルと広がり、二人の死体を包み込む。




「・・・え?」




 集中して魔術を行使していた魔術師が間抜けな声を上げる。杖を手にしていた右手がゆっくりと開かれ、木製の杖は力なく地面に転がった。




「何か分かったのですか?」




 アリシアの問いに魔術師は恐る恐ると言った様子で顔を上げ、彼女と視線を合わせる。その瞳には恐怖の色が広がっていた。




「・・・光ヲ喰ラウ者・・・・・・」




 魔術師の言葉はアリシアには理解出来ないものであった。しかしその様子からソレが何やらとんでもない代物だという事は予想できる。




「光を喰らう? 何ですかそれは」




 魔術師はまるで言葉を忘れてしまったかのようにゆっくりと一言ずつ言葉を発した。




「・・・古い・・・・伝承です。・・・・・・光を喰らい・・・闇に生きる呪われた戦士」 




 そう呟いてから彼はその身をぶるりと振るわせた。




「申し訳ありません、この件は私の身に余ります。師に相談させて頂けませんか?」


「・・・わかりました。では私もご一緒します」




 光を喰らう伝説の戦士。




 それが何者であれ、彼女は知らねばならない。部下を二人も殺された黙っているほど温厚な性格はしていないのだ。






















 王城の特別資料室。そこが宮廷魔術師である自らの師の研究場所もかねているのだと、目の前の魔術師はアリシアに語った。




 そうして案内された場所は、城の隅に目立たないようにひっそりと存在する質素な扉の前であった。申し訳程度に扉にはかすれた文字で”特別資料室”と刻まれている。




 魔術師は慣れた手つきでドアをノックすると大きな声で名乗りを上げた。




「失礼いたします師匠。ジェームズでございます」




 そしてドアノブを回すと、自分の後に続くようにアリシアにジェスチャーで促して資料室に足を踏み入れる。




 乱雑。




 そう表現するのが適当だろうか。




 資料室の中は膨大な本、そして殴り書きされたレポートがこれでもかとばかりに山積みにされ、足の踏み場も無いほどだった。




「おお、どうした馬鹿弟子。仕事に行ってたんじゃないのか?」




 本の山の向こう側から女性の声が聞こえる。




 のっしと怠そうな様子でゆっくり姿を現したその人物は、女性・・・それも見たところ13から14才に見える幼い少女がだぶだぶの黒いローブに身を包み、やぼったい黒縁の眼鏡を身につけて頭をポリポリと掻いていた。




「はい、仕事に行っていたのですが・・・どうやらこの案件は私の手に負えないようでして。師匠の力をお借りできればと」




 少女の前に跪く魔術師ジェームズ。どうやらこの少女が王国の宮廷魔術師らしい。




 相手が何者であれ、それなりの地位につくものならば礼をつくすのが道理だ。アリシアもジェームズの隣に並び頭を下げた。




「初めまして宮廷魔術師殿。私はアリシア・カタフィギオ、衛兵長という役職についております」




 アリシアの挨拶に少女は飄々とした態度で答える。




「うん、アリシアちゃんねよろしく。君のことはよく知ってるよ、有名人だからね。アタシはセシリア・ガーネット。ご存じの通り宮廷魔術師さ、セシリアちゃんと呼んでくれ」


「では宮廷魔術師殿、今回の件なんですが・・・」




 今回の用件について話そうとしたアリシアに、いつの間にか距離を詰めていたセシリアがその唇に人差し指を押し当てて妨害する。




 気がつくと間合いを詰められていた。




 アリシアはその事実に驚愕した。仮にも彼女は若くして衛兵団の長に任命されるほどの人物だ。その彼女に気づかれる事無く距離を詰めるとは・・・。




 アリシアはセシリアと名乗る少女の一挙一動に、先ほどとは違った意味の警戒を払って凝視する。




「セシリアちゃんと呼んでくれよアリシアちゃん。それにアタシの力が必要な案件なんだろ?きっと魔術関連のやっかいなものだ。なら君から聞くよりもそこの馬鹿弟子から聞いた方が早い」




 そしてセシリアは近くの本を蹴飛ばすと、その小柄な体をひょいと持ち上げて机の上に座り込んだ。




「さあ聞こうか。どうせ面白くない話だと思うけど」
















「・・・・・・なるほどなるほど。どうやら予想していたより面倒くさい事になってるようだね」




 ジェームズの説明を聞いたセシリアは、その幼い顔を不快げに歪めると座っていた机から飛び降りる。




「ほら、馬鹿弟子。喉が渇いたからアタシが資料を探してる間に茶でも入れてきな」




 ついでとばかりにジェームズを蹴飛ばしながら命令すると、茶を入れる為に退室したジェームズとは反対の方向、部屋の奥へと歩き出した。




「アリシアちゃんはついてきて。面白いもん見せてやるからさ」




 セシリアについて行くと部屋の奥にはまた頑丈な扉があり、いかにもといった様子の怪しさを醸し出していた。




「この奥には一般にはとても公開できないような極秘資料がそろっていてね。本来なら衛兵長といえどもかってに入っちゃいけないんだけど、アリシアちゃんは可愛いから特別に入れてあげよう」




 「特別だよー」と良いながら懐から古びた鍵を取り出すと扉の鍵穴に差し込む。さび付いた音を立てて解錠されたのを確認すると、セシリアは振り返っていたずらっ子のような顔でアリシアの顔を一瞥すると扉の中へと入っていった。




 雑多に資料が散らばっていた特別資料室とは違い、その部屋は数多の資料が整頓され、厳重に保管されていた。




 セシリアは「流石にここを汚すと怒られるからさ」と言いながらお目当ての資料を探す。彼女が資料を探している間、手持ちぶさたになったアリシアは何気なく目の前に並んでいる本のタイトルと眺めていた。




 何について書かれているのかすら推測できない専門的なタイトルが続く中、一冊の本がアリシアの目にとまる。








――― 極東の国における幻想種  「鬼」について ―――






 何故だろう、たくさんある本の中でもこのタイトルがやけにひっかかる。




 アリシアはそっとその本が収められている本棚に近寄り、手を伸ばす・・・・・・。




「おっとごめんねアリシアちゃん。流石にここの資料をかってに見るのは許可できないな」




 いつの間にやら背後に立っていたセシリアが本に伸ばしたアリシアの手をつかんで引き留めている。口元には笑みを浮かべているが、その瞳には感情というものが抜け落ちているような虚ろが広がっているように感じられた。




「・・・・・・すいません。以後気をつけます」


「うんうん、そうしれくれると助かるよ。アタシ的には若いこの好奇心は応援したいんだけどね。ここにはマジで国家レベルの機密事項とか眠ってるからさ」




 一人でうんうんと頷いているセシリア。アリシアの事を若者扱いしているが、そんな彼女の外見は幼い少女にしか見えない。




「さてさて、やっとお目当ての資料を見つけたよ。この部屋は息が詰まるから、資料もって私の部屋で話そうか」




 セシリアに手を引かれて特別資料室へ戻る途中、アリシアはふと振り返った。吸い寄せられるように先ほどの本に目が行き・・・ぶんぶんと首を横に振る。




 あれは機密文書だろう。




 ならば国に仕えている自分が興味を持つこと自体が罪深い事だ。




 そんな風に自分に言い聞かせているアリシアを、少女の姿をした宮廷魔術師は、どこか冷めたような目で観察していた。


















「おーい馬鹿弟子。紅茶がまずいぞー」




 間延びした声でジェームズを罵倒しながら彼の持ってきた紅茶を啜るセシリア。その様子にジェームズは深いため息をついた。




「当たり前です、私は給仕では無いのですから。ご不満なら城のメイドに頼めば良いでしょう。そもそもなんで師匠は専属のメイドを配属させないのですか? 宮廷魔術師ともあろうお人が専属メイドの一人もいないなんて・・・」




 ジェームズのその言葉にセシリアはべえっと、桜色の可愛らしい舌を出した。




「専属のメイドだって? まっぴらごめんだね。アタシは人見知りなんだ。知らないメイドさんに旨い紅茶をいれてもらうくらいならお前の不味い紅茶を飲みながら文句を言ってた方が何倍もマシさ。ああ不味い不味い」




 おどけた様子でそうのたまう自分の師匠に、ジェームズはまた深い深いため息をつくのであった。




「さて、楽しい馬鹿弟子いじりもここまでにして本題にうつろうか」




 そしてセシリアは持ってきた資料をパラパラとめくるとお目当てのページを開いてアリシアとジェームスに見せる。




「二人とも見てごらん。これが”光ヲ喰ラウ者”と呼ばれる化け物の伝承だ」










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