72.リクニスの巫女の使者

 ミューレンベルギアの使者として、リクニスの直系であるリナリアが立つ。護衛を夫のルドベキアが務めることで決まった。大急ぎで衣装や杖が用意される。


 リクニスは魔術師の一族だ。そのため魔術に使う杖は必須だった。リナリアは嫁に出たため、杖を里に置いて行った。それを引っ張り出したミューレンベルギアから受け取り、埃を払って磨く。


 杖の上に輝く透明の宝石は、求愛する権利を勝ち取るためにルドベキアが用意した。彼が仕留めた魔物の額にあった宝石は魔力を帯びており、リナリアの魔術の助けになる。


 高価な品のわりに、扱いが荒いのはミューレンベルギアの性格だろう。大雑把なところがあり、巫女として預かった物をなくしたことも数えきれない。


「では言霊を授ける」


「承ります」


 膝をついて言霊を受け取るリナリアに、ミューレンベルギアは小さな球体を渡した。美しい真円の玉は歪みがない。透明の玉の中に、何かが揺れていた。


 炎に似ているだろうか。陽炎の方が近いかもしれない。ゆらゆらと動く光のような物が、ミューレンベルギアが魔王シオンへ向けた言葉だった。言霊とは魂を授けた言葉を指すが、同時に玉に封じた言葉そのものを示す。


 特殊な魔術が施された球体を割り、中の言葉を聞くには、魔王シオンが受け取る必要があった。大切な預かり物を恭しく受け取り、リナリアは無造作にバッグへ放り込む。中に詰めた瓶入りの蜂蜜とぶつかり、がちゃんと音を立てた。


「相変わらず、ガサツじゃのう」


「あら、巫女様ほどではありません」


 数世代を挟んで直系で繋がる2人は、遠慮がない。似た者同士で気も合うため、揉めることなく儀式は終わった。祖母が孫に玩具を渡すような光景だが、これでも儀式だったのだ。簡略化しすぎて原型を留めていないのは、ご愛嬌だった。


「行ってきます」


 簡単な挨拶を残し、リナリアは見送りの人々に手を振った。軽い足取りで森に入ってく彼らが見えなくなったところで、村人はそれぞれの仕事に戻る。


「大変よ!」


 踵を返した村人の背中に、リナリアの声がかかった。慌てて振り返って駆けつけようとする彼らの前に戻ってきたリナリアに、何があったのかと不安げな人の目が集まる。


 一緒にルドベキアが戻ってこなかったのもあり、数人は助けに飛び出そうとした。ルドベキアが魔獣か魔物を食い止めたと考えたのだ。


「……っ、忘れてたの。2番目の息子ニームが来るから、そのお嫁さん一家ごと受け入れてね」


「「はあ……?」」


 わざわざそれを伝えに走ったのか? 村人の心の中に「やっぱり巫女の末裔だ」と呆れが広がった。ミューレンベルギアの直系は、基本的に変わり者ばかりだ。理知的に見えるが、やはりリナリアも一族の娘だった。


「ああ、わかった。ニームだな? ちゃんと面倒みておくから、心置きなく役目を果たしてこい」


 彼女の奇行を幼少時から知る爺が頷くと、安心したのか。リナリアは手を振って再び旅立っていった。その後ろ姿を見送る村人の心境が「大丈夫か?」と不安に満ちていたのは言うまでもない。

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