7.酔い止めに考えを巡らせたら、見落としました
乗り心地の悪い馬車に再び揺られながら、王太子リアトリスは溜め息をついた。正面に座る聖女に席を譲ったため、進行方向に背を向けて座っている。おかげで、行きより酔いが早かった。王太子たるもの、ここで吐くわけにいかない。
貴族女性を悩殺する整った顔を顰め、王太子は必死に耐えていた。その表情を正面で受け止めるクナウティアは、居心地の悪さに視線を外へずらす。さきほどの神殿でのやり取りで、王太子リアトリス殿下と騎士ガウナを伴い、王宮へ向かうことになった。
聖女は国王と並ぶ高い地位を与えられる。彼女を着飾らせて王宮の謁見に向かわせるのは、神殿の役目だった。しかし聖女本人が神殿を嫌うのなら、王宮へ連れ帰るのが正解だろう。向かいで青ざめた顔の聖女は、きょろきょろと窓の外を気にしている。
「あの、帰してくれるんですよね? 道が違うみたいで」
「道が? この馬車は王宮へ向かっている」
きょとんとした顔の聖女は、16歳とは思えない幼さだった。外見はもちろん、考え方や口調も幼い気がする。よほど大切に箱入りで育てられたのか。男爵令嬢だったと聞くが……事前情報を頭の中で整理しながら、目の前の少女と照合していく。
高価ではないが絹のドレスを着ている。清潔そうなアイボリーの色は好感が持てた。袖と襟に刺繍が施され、瞳と同じ若草色の糸が茎や葉を表現している。髪色のピンクで小花が刺された刺繍は、素人の作品なのだろう。わずかに歪な部分もあるが、逆に彼女の素朴さを引き立てていた。
艶のある髪はピンクブロンド、女神ネメシアの薔薇色をふわふわと背に揺らす。帽子を被った跡が髪に癖を残していた。気になって手を伸ばしかけ、無礼かもしれないと声をかける。
「髪が少し乱れているようだが、触れてもいいか?」
「は、はい」
そっと触れた髪は柔らかかった。手触りのいい絹のような髪を指先で直してやり、リアトリスは微笑んだ。王太子としての口調は少し硬い。普段は一人称を僕とするリアトリスは、それでも地位に相応しい話し方を心がけた。
これから数十年にわたり、このセントランサス国を守護する聖女なのだ。女神の加護を請うて与える聖女の存在は吉兆であり、同時に魔王復活の凶兆でもあった。
聖女誕生は、光と闇を同時にもたらす。国を富ませる女神の加護を得るには、聖女の存在は不可欠だった。聖女がいれば実りは豊かになり、他国の脅威も退けることができる。天候も温暖で雨に困らず、天災も減った。
いいことばかりのようだが、聖女が不定期に選ばれる理由は別にある。女神ネメシアが己の代理人である聖女を地上の乙女から選ぶのは、魔王が復活するからだ。倒された魔王が魔力を溜めて復活する、そのたびに聖女は現れた。
聖力を使うことができる聖女、魔法を使う血筋を護る王侯貴族から選ばれる賢者、異世界から召喚する勇者――この3人が集まり、初めて魔王と戦うことが出来る。聖女が選ばれた今、選ばれた血を持つ王侯貴族の中で最も魔力量の高い王太子は、賢者として魔王と戦うことになるだろう。
戦いに赴くなら、まだ幼い弟に王太子の座を預ける必要があるか。召喚の準備は王宮で進められている。魔王復活の噂はまだだが、近々どこかの村が襲撃される可能性があった。軍を派遣して民を守るよう指示を出さなくては……。
王太子の頭の中は忙しく、それゆえに目の前の少女の動向を見逃してしまった。
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