第4話「対エース戦」

 信じられない光景が広がっていた。


 廊下を濡らす、赤い液体。


 倒れ込んで目を見開いたまま動かない、同校の生徒たち。


   血、血、血――


   死体、死体、死体――


 見慣れた学内の風景が、凄惨な大量虐殺の現場へと変容していた。


「くっ……」


 頭の奥のほうが痛み、こめかみを押さえる。


 似たような景色を、過去にも見たような気がした。


「……死体は上に続いてる」


 死体の場所には規則性があった。


 現在地の保健室から見て、右手側の廊下から正面の階段に掛けて死体は点在し、左手側の廊下には一切痕跡が無い。

 右手側に昇降口があることから考えても、殺人者は外部から侵入し、目に付いた生徒たちを殺しながら、階段を登っていったと推測できた。


「誰だ……誰がやった……」


 ユウは階段を登っていく。血溜まりに白いシューズを濡らしながら。



 ――酷く冷静な自分に、少しの疑問も持つことなく。



 2‐Aの教室の中にも、生徒たちの死体が無数に転がっていた。


 ある男子は喉を切り裂かれ、体中血まみれになって。


 あの女子は首の骨を折られ、不自然なまでにだらりと頭を垂れていた。


「ふざけんなああああああ!!」


 一人の男子生徒が――丸岡ケンタが怒号と共に突進する。


 その先には、フードを被った少年の姿がある。同じ中学生くらいの少年だ。


「へえ。立ち向かってくる根性のある奴がいたか」


 フードの少年は余裕ぶった表情でそう言うと、猛然と迫り来るケンタに向かって、そっと片手を翳した。


 フードの少年の瞳が、青く光る――


 瞬間、突進のスピードがゼロになった。

 走った勢いなど最初から無かったかのように静止したかと思うと、ケンタの体はふわりと宙に浮かび上がった。


「くそっ、なんだよコレ! ちくしょう!」


 ケンタの足は床から三十センチメートルほど離れており、いくら手足を振ってもがこうとその場から動くことはできなかった。


「お前ら『旧人類』には無いチカラ、超能力って奴さ。すげえだろ?」


 バタフライナイフの鋭利な刃が、銀色に光る。


 フードの少年が、ケンタの首筋にナイフを突きつけていた。


 その冷たい色を目にして、ケンタが身をすくめる。


「なあ、お前さ。愛沢ユウってヤツ、知らねえ?」


「愛沢……?」


「ここにいるはずなんだが、見当たらねえ。心当たりはあるか?」


「知ってたとしても、お前みたいな人殺しのクズになんか言うかよ!」


「知ってるっぽいな。別に教えて欲しくて聞いたんじゃない。知ってるかどうか聞いただけだ。あとは勝手にから」


 フードの少年がケンタの頭を片手で掴む。ぐっと掌を押し当てる。


 そのときだった。


「お前、丸岡に何してんだよ……」


 ユウが教室に足を踏み入れていた。


「手間が省けた」


 フードの少年、そしてケンタがユウの姿を見つける。


 そのケンタの目に、大粒の涙が溢れ出す。悔しさと、悲しみの入り混じった――


「こいつがッ……! こいつが、マキを殺しやがった!」


 ケンタが震える指で教室の隅のほうを指差す。


 ユウはその言葉が信じられず、信じたくなく、ゆっくりと、視線を這わせる。


 最初は誰だか分からなかった。血まみれで、普段の快活とした表情などそこには無くて。恐怖に顔を引き攣らせ、目を見開いたそれは、別人、あるいは精巧な蝋人形のように見えた。


 だが、喉を掻き切られて絶命したその女子生徒の死体は、紛れもなく……友人の和泉マキだった。


「こうなりゃコイツも用済みだな」


 フードの少年がナイフを横に引く。

 ケンタの喉から血が吹き出した。


 ケンタが必死に両手で喉を押さえる。

 しかし手を赤く染めるだけで、溢れ出す血を止めることはできなかった。


 フードの少年が空き缶でも捨てるみたいに片手をひょいと振る。

 するとそれをなぞるようにして、宙に浮いていたケンタの体が放物落下した。


 床に転がったケンタは、喉を押さえながら、苦しみもがいて、やがて動かなくなった。


 他の生徒たちと同様……死体になった。


 あっと言う間に、また友人が死んだ。


 いつもの、平穏な、教室の中で。



 ――ドクン。



 心臓が跳ねた。


 ズキズキと、頭の奥が痛み出す。


 ユウは頭に手を当てる。


 そのまま、大きく見開いた目で、フードの少年を睨みつける。


 微かに――ユウの瞳が青く発光した。


 そよ風が吹いたように、フードの少年の服の裾が僅かに揺れる。

 そして、少年の近くにあった椅子がひとつ、独りでにガタンと横に倒れた。


 ユウの瞳から青い光が消える。


「……あ? 終わり?」


 プッとフードの少年が吹き出す。さも可笑しそうに腹を抱えてゲラゲラと笑う。


「やっとチカラを使ったかと思ったら、なんてザマだよ、『ジョーカー』。いくらお前が五人の中で最弱だからって、そいつはねえだろ。ギャグでやってんのか?」


 ユウが混乱して手で顔を覆う。


「今のは、一体……? チカラ? ジョーカー?」


 フードの少年が不思議そうに眉を顰める。


「あん? なにパニクってんだよ? 七年経って、自分のチカラも、本当の名前も忘れちまったのか? なぁ、?」


 その名で呼ばれ、ズキリと一際強い頭痛がユウを襲った。


 脳裏に、見たことの無いはずの景色が広がる――


 白い壁と白い天井に囲まれた部屋――自分の他に、四人の幼い子供たちがいて――彼らの名は、キング、クイーン、ジャック、そして――


「エース」


 ユウはフードの少年の名前を呼んだ。


「覚えてるじゃねえか。平和ボケも大概にしろよな。イラついて、殺したくなってくるだろ」


 エースの瞳が、再び青く発光する。


 念動力サイコキネシス――


 今まさにエースが使おうとしている超能力の名称。ユウは直観的にそうだと分かった。そしてその暴力が、自分に向けられたことも分かった。


 だが――分かっただけだった。


 ユウの体が後方に吹き飛ばされる。

 開け放しだった教室の戸をくぐり抜け、廊下の壁まで。弾丸のような猛烈な勢いで、背中を叩きつけられる。


「がはっ……」


 内臓を吐き出すような呻き声を漏らして、ユウががくりと頭を垂れる。壁を背にしたまま動かなくなる。


「おいおい、マジでどうしちまったんだよ? 支配領域フィールドくらい張れよ。死にてえのか?」


 エースはユウのほうに歩み寄ると、その髪の毛を掴んで強引に顔を上げさせた。

 苦痛に歪んで、耐えることしかできない、弱弱しい普通の少年の顔が目に入る。


「本当にその少年で間違いないのか?」


 廊下の奥から、一人の男が歩いてくる。年は三十代後半で、防弾使用の装備に身を包んだ兵士の姿をしていた。


「俺には普通の子供に見えるぞ。本当にお前と同じサイキックなのか?『オリジン』の子供たちはみんな、頭のイカれた奴らだと思っていたが」


「口を慎めよ、ザコ傭兵。俺たちと違って、お前らみたいな雑用なんて、いくらでもいるんだ」


 エースが兵士の防弾ベストに向かって唾を吐く。


 しかし兵士は眉ひとつ動かさなかった。エースが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「こいつがジョーカーなのは間違いねえが、確かに様子がおかしい。少し記憶を探ってみるか」


 エースがユウの頭を片手で掴む。ぐっと掌を押し当てる。


 ――サイコメトリー。

 エースの掌から、ユウの頭へ、脳内へ、静電気のような光の束が無数に伝う――枝分かれしながら神経の経路を走り抜けていく――深く深く、内へと侵入していく――その先にあったのは――


 ポップコーン。

 暗い映画館の中で、スクリーンの光が、隣り合った二つの影を照らす。

 まだ二十代前半の若いトウコと七歳くらいの小さなユウが、二人でひとつのポップコーンを食べていた。


 クリスマスツリー。

 イルミネーションがチカチカと輝いている。

 サンタの格好をしたトウコが、ラッピングしたプレゼントをユウに手渡していた。


 お粥。

 風邪を引いて寝込んだユウに、トウコがレンゲでお粥を食べさせてあげていた。トウコの服装は派手な仕事着のまま。走ってきたのか、髪はボサボサだった。


 バースデーケーキ。

 ホールケーキに立てられた十本のロウソクの火が、トウコの笑顔を照らす。楽しそうな、ユウの笑顔を照らす。


 ……そう。笑顔だった。


 今までの、全部の思い出が、笑顔で満ちていた。


 風邪を引いて、苦しかったはずの記憶でさえも。


 笑っていた。


 心の底から楽しそうな、


 幸せそうな、


『**』に溢れた記憶――


「ざ、け、ん、なあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 エースが絶叫する。ユウの思い出きおくの中で。


 ――現実で。


 強引に引き剥がすようにエースがユウの頭から手を離す。


 そのエースの顔は、追い詰められたように様々な感情で歪んでいた。呼吸も荒い。


「何があった? そんなに辛辣な過去が見えたのか?」


 兵士の男が悪意なく尋ねる。


 エースは今にも襲いかかりそうなほど殺意に満ちた眼光で兵士の男を睨みつけた。あまりの殺気に、男が後ずさりをする。


 エースがユウの顔を見つめながら、呪うように呟く。


「どうしてなんだ……どうして、お前ばっかり愛される? 昔からそうだ。『先生』が助けようとしたのも、キングとお前。キングは一番優秀だから分かるけど、お前は出来損ないのカスなのに。キングだって、なぜかお前の味方ばかりしていた。お前はいつも、誰かの陰に隠れて、誰かに守ってもらって。けど、先生が死んで、キングが戻ってきて、イイ気味だって思ってたのに、それなのに――」


 エースがユウの首を絞める。超能力ではなく、自身の両手で。憎々しげにゆっくりと締め上げていく。


「どうして家族がいる? どうして幸せな日常を送っている? おかしいだろ! 出来損ないのカス野郎は独りになったはずだ!『親父』を裏切って、兄弟を見捨てて、全部放り投げて逃げ出したクソ野郎は、不幸になるべきだろうがよ!!」


 全身の力を込め、強く首を絞める。

 大きく体を動かしたため、エースが被っていたフードが外れて、頭部が見えた。


 ……ジグザグの縫合痕。スキンヘッドの頭には、開頭手術の形跡が生々しく刻まれていた。

 しかも、一度では無い。何年にも渡って繰り返し切り開かれ、閉じられたのだろう、治癒した年代の異なる傷が無数に走っていた。


 ユウの顎が高く上がり、その見開かれた目が死を捉える。


「そこまでだ、エース。受けた命令はジョーカーの捕獲だ。オリジンに逆らうつもりか?」


 そう言って兵士の男がエースの腕を掴む。


 エースは悔しそうに奥歯を噛み締めると、ユウの首から手を離した。


 ユウが咳き込む。

 必死に酸素を求め、床に倒れてもがき苦しむ。


「酸欠のところ悪いが、一緒に来てもらうぞ、少年。抵抗はするな。これ以上苦しみたくないだろう?」


 兵士の男がユウに背中側で手錠を掛け、立ち上がらせる。


 エースは不服そうにユウを睨みつけていた。


「どこへ……連れて行くつもりですか?」


 か細い声でユウが尋ねる。


「オリジンのところだ。なぜ今更そんなことを聞く?」


「オリジン……? なんですか、それ?」


 兵士の男が怪訝そうな顔でユウの表情を窺う。


「……まさか。きみは、記憶を――」


 言いかけたとき、突然、エースが笑い出した。クククと愉快そうな声を漏らす。


「イイコトを思いついたぞ。そうだよ、おかしいことなら正すべきだ。お前にだけ、優しい家族がいるなんて、そんな理不尽なことは許されない。許すべきじゃない」


 エースがユウのほうを見る。ユウと目が合うと、狂気に満ちた笑みを浮かべてみせた。


「あの女を殺してやるよ。お前の大事な『トウコさん』を殺してやる」


 その言葉に、ユウが目を見開く。痛めつけられて生気を失いかけていた瞳に、意志が宿る。


 ――殺す?


 ――トウコさんを殺す?


 今も廊下に伏している同校の生徒たちのように。


 いつも四人一緒にダベっていた教室で、あっけなく肉塊にされたマキやケンタのように。


 ――母さんを殺す?


 心臓が強く鼓動する。


 エースの笑い声が、やけに強調されて聞こえた。


 視界が、赤く染まっていく……


 突然、ユウに掛けられていた手錠の鎖が千切れた。鉄の連鎖が、輪ゴムみたいにあっさりと。


 それに気づいた兵士の男が、弾けたように飛び退いてユウから距離を取る。流れるようなモーションで腰に下げた拳銃を構え、ユウの後頭部を狙った。


 ……ユウの瞳が、光を放っていた。


 今度は青ではなく、赤だ。


 微かな光ではなく、闇に潜む獣のように煌々と。


「二度と母さんは殺させない。死ぬのはお前だ、エース」


 まるで別人のようだった。されるがままにいたぶられ、弱弱しかった表情はもう無い。

 その悪魔のような赤い瞳の中には、強い意思が――確かな殺意があった。


「ようやく本気になったみたいだな、ジョーカー。けどよ、お前みたいなカスに俺がやられ――」


 サイコキネシスでエースが吹き飛ぶ。

 お返しとばかりにユウが飛ばされたときとは反対方向へ。弾丸のような速さで教室の中にぶち込まれ、壁に叩きつけられる。


「やめろ、ジョーカー! 抵抗するつもりか!」


 兵士の男が拳銃の撃鉄を起こす。ユウの頭まで、ほんの一メートルの至近距離。外すわけもなく、充分すぎるほどの威嚇のはずだった。


 しかし、ユウが振り向き、その赤い瞳と目が合ったとき……兵士の男の顔には脂汗が噴き出していた。


「死にたくないのなら、引っ込んでいろ」


 サイコキネシスで拳銃が『分解』される。兵士の男の手を離れて宙に浮かぶと、各パーツへとバラバラに解体されて地面に落ちていった。


「……それをやられたのはこれで二回目だ。分かった。降参しよう」


 兵士の男は両手を上げ、一歩後ろに引いた。

 呆気ないものだったが、彼が臆病者だったわけではない。経験上、勝ち目が無いと分かっていたのだ。


 ユウが教室の中に入ると、エースが立ち上がっていた。壁に手を付いたまま、ユウを睨みつける。


「やりやがったな、この野郎! マグレ当たりだろうが許さねえ! 全身の骨という骨をバキバキに折ってやるよ!!」


 エースの瞳が青く光った。


 サイコキネシスの波動がユウを襲う。


 しかし、波動がユウの体に触れる直前、バリアのような透明な障壁で掻き消された。


 結局、何も起こらない。エースは目を丸くして狼狽した。自分のチカラが完全に無効化されたなんて、有り得ないはずだった。


「そんなものか。四番目」


 嘲るようにそう言って、赤い瞳のユウが右手を横に払う。


 瞬間、それをなぞるようにエースの体が横に吹き飛んだ。

 途中にある机や椅子にぶち当たり、巻き込み、黒板に衝突してようやく停止した。


「う……ぁ……」


 声にならない呻きを上げた口から血が垂れる。エースの体は不自然にねじれた格好になっており、上下逆さま、床で頬を潰していた。


 目の前には、彼が殺した生徒の顔があった。瞳孔の開いた目と、エースの目が合う。


 気づけば、和泉マキだったものが見つめていた。


 気づけば、丸岡ケンタだったものが見つめていた。


 エースが殺してきた屍たちが、彼をじっと見つめていた。


「ヒッ……!」


 エースの顔が恐怖で歪む。死はすぐそこまで迫っていた。


 実際に、足音が聞こえてくる。


 目を赤く光らせた死神が、目の前に立っていた。


 ――今までは、俺が、そっち側だったはずなのに。


「チクショウ! だったら、俺の本気を見せてやるよ! 俺はお前みたいな平和ボケのカスとは違う! 今まで何百人も殺しまくってきた最強の殺し屋・エースなんだよ!」


 瞬間移動テレポーテーション――エースの姿が一瞬にして消える。

 文字通りその体が跡形も無く消失した。


 教室には独り、ユウしかいなくなる。


 ……視界から脅威が消えた。


 瞳の赤い光が、弱まって明滅する。ユウは動揺したように頭を押さえた。


「なんだよ……これ。どうなってる? 自分が自分じゃないみたいだ」



 ――まだだ! 気を抜くな! 終わってない!



 頭の中で、白髪の少年の怒鳴り声が聞こえた。


 瞬間――


 ユウの居る教室の窓ガラスすべてが、一斉に、内側に向かって割れた。


 甲高い音が幾重にも重なり、オーケストラのように響き渡る。


 何千何万と散り散りにガラスが砕け、鋭利な刃と化す――教室の天井を埋め尽くす。


 ガラスの刃の群れ、その一枚一枚に、茫然と見上げるユウの顔が映り込んでいた。


 ――どこからか、エースがニヤリと笑う。


 大量のガラス片が、嵐のように降り注いだ。

 透明なナイフの群れは、エースの念を受けて、その切っ先すべてをユウへと向けた。


 ユウは咄嗟に両手で頭を庇う。

 バリアのような領域も展開するが、瞳の光の弱さに比例して明らかに脆くなっていた。完全には防げない。肩に、足に、ガラス片が突き刺さる。肉を削いでいく。血飛沫が飛び散る。


「ぐっ……うぅ……」


 雨がやんだとき、ガラス片の山に立ち尽くすユウの制服は、ズタズタに切り裂かれていた。致命傷こそ無いが、数え切れないほどの切り傷で赤く染まっていた。


 歯を食いしばり、肩に刺さったままのガラス片を抜く。どっぷりと血が溢れ出した。


 赤い光を失ったユウの目に涙が滲む。

 痛みで、恐怖で、心が埋め尽くされていく。


「こんなもんじゃ済まさねえぞおおおおお!!」


 エースが突進する。

 ユウが振り向いたときには、体当たりを喰らっていた。


 窓際まで押し込まれ、首を締め上げられる。

 背後にある窓はガラスが割られたため、支えが無い。転落すれば、ただでは済まないだろう。


「ほら、見ろよ。俺の勝ちだ。俺のほうが強いんだ。そうだろ、ジョーカー?」


 エースがユウの頭を外へ外へと押しこくる。ユウの視界の端に、遠い地面が見えた。

 校舎の壁から吹き上げた風が頬を打つ。ユウの表情は恐怖で歪んでいった。



 ――このまま死ぬつもりか? 流されるまま、殺されるつもりか?



 また頭の中で、白髪の少年の声が聞こえた。


 ――ここでお前が負ければ、コイツはどこに行くと思う? 醜い嫉妬に塗れた殺人鬼は何をすると言っていた? 恐怖に目を曇らせるな。やるべきことは一つだけだ。



 ――母さんを守るために、戦え。



「捕獲命令なんて知ったことか。俺を怒らせたお前が悪いんだ。死ねよ、ジョーカー」


 エースがユウを窓から突き落とす。


 真っ逆さまに落ちていく……はずだった。


 遠い地面へと大の字に身を投じた、そのユウの瞳が、再び赤く光り輝いていた。

 テレポーテーション――ユウの体は一度消失したかと思うと、次の瞬間、校庭の真ん中に出現していた。足元からふわりと柔らかく着地する。


 赤い瞳のユウは冷静な表情で、窓際に立つエースを見上げた。


「クソックソッ! さっきから俺の真似ばかりしやがって! お前みたいなザコに瞬間移動はできないはずだろうがよ!」


 エースは悔しそうに地団太を踏むと、テレポーテーションを使い、ユウの背後に出現する。

 振りかぶったその手には、ナイフがあった。


 ユウは振り向くことなくサイコキネシスで迎撃――エースの体を横に吹っ飛ばす。


「こ、ん、の、野郎おおおおおおお!!」


 エースはザザザと足を滑らせながら着地、速攻で反撃に転じる。サイコキネシスを使ってプレッシャーを掛けつつナイフで斬りかかる。


 ユウのバリアがジジジと電気的な音を立ててサイコキネシスを防いでいた。

 襲いかかってくるエースの姿を、ユウが横目で見る。その表情は酷く冷静で、そして……余裕だった。


 再び、エースの体が吹き飛ぶ。彼のバリアも展開したが、一瞬で破壊された。ワイングラスを床に落としたときのように、簡単に、粉々に。チカラが貫通した。


 丸太で腹をぶん殴られたようなその衝撃の強さに、エースが手からナイフを落とす。受け身を取る余裕すらなく、放り捨てられた人形みたいに派手に地面を転がっていく。


 相当なダメージだったはずだが、エースはすぐに立ち上がって体勢を立て直した。泥塗れになった姿で、歪み切った憤怒の形相で怒号を上げる。


「ぶっ殺す! てめえはゼッテエぶっ殺す! そのあとはトウコとかいう女もだ! てめえの全部をぶっ壊してやる! 俺を怒らせたことを、死ぬほど後悔させてやる!!」


 エースが両の腕を大きく広げる。大いなる力を持った君主のように。


 発火現象パイロキネシスで炎を生み出す――その背後に、後光の如く炎を舞い上がらせる。

 瞬く間に、燃え上がった大樹のような炎の柱を築いた。


 朱色の光に照らされ、得意げに君臨するエース。


 しかしその表情が……次の瞬間、一変した。


 それは――炎の山だった。


 一本の大樹どころではない。

 空を覆い尽くし、地上を埋め尽くす、視界一面の炎。地獄の業火とでも呼ぶべきその巨大な炎の渦が……ユウの周囲に出現していた。


 ユウの、パイロキネシスの力だった。最早エースの力とは比較にならない。別格だった。


 エースが唖然と口をパクパクと動かす。


「そんなわけねえ……ジョーカーがこんな強大な力を持ってるわけねえ。こんなの、まるで、キング――」


 ユウがエースに向かって片手を翳す。


 炎の山が、鳴動した。


 エースも反応したが、一本の大樹はあっけなく大山に押し潰された。


 地獄の業火が、エースの体を包み込む。その灼熱で、皮膚を、肉を、焼き尽くしていく。断末魔の叫び声すら掻き消す紅蓮の奔流だった。


 ユウが翳していた手を下げる。それだけで、あの大火がコンロの火を止めたみたいに一瞬で消え失せた。


 あとに残ったのは、黒焦げになったエースだった。頭からつま先まで全身の皮膚が炭化しており、見る影もなくなっていた。


 ギョロリとその目がユウに向く。まだ息はあるが、口が聞けないようだ。モゴモゴとくぐもった音を出す。


 焼けた喉から絞り出そうとしたのは、命乞いか、呪いの言葉か。


 どうでもいいとばかりに、ユウは無表情でエースを見下ろしていた。

 その瞳はもう、赤く光っていない。


「言っただろ、トウコさんは殺させない。もう誰も、殺させはしない」


 脳裏には、死んでいったマキやケンタの顔が浮かんでいた。震えるくらい、拳を握り締める。


「死ぬのはお前だ、殺人鬼」


 手を翳す。

 サイコキネシスで、エースの首の骨を横にヘシ折った。


 バキッと音がして、エースの目から生気が失われていく。


 ユウは立ったまま、静かに彼の死を見届けた。



「……ユウ? 今、何したの?」



 声に振り向けば、少し離れた場所にミナギが立っていた。


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