第2話「日常の終わり」
キャベツの千切り。包丁がまな板を叩く小気味のよい音が響く。
片手で卵を割り、フライパンへ。目玉焼きを作る。
炊飯ジャーから白米をよそえば、朝食の出来上がりだ。
家族二人分、テーブルに配膳したところで、部屋の掛け時計を見上げる。
「遅いな、トウコさん。また道端で酔い潰れてないといいけど」
黒髪の少年がため息交じりに呟く。
名前は
ピンポーン、と部屋の呼び鈴が鳴る。
ようやく家主が帰ってきたようだ。
「トウコさん? だいじょう――」
大丈夫では無かった。
玄関のドアを開ければ、そこには、酔っぱらい女性とそれを介抱するセーラー服の少女がいた。
「トウコさん、アパートの階段で寝てたよ? お母さんが出勤するときに発見したから、わたしが代わりに連れてきた」
親切な女子中学生は苦笑いで説明した。
「ありがとう、ミナギ。おばさん共々、いつも申し訳ない」
――あれ? ここどこ?
酔っぱらい女性が赤ら顔を上げる。目の前にいるユウと目が合った。
「家だよ、トウコさん。途中で力尽きたみたいだね。お疲れさま」
「あぁうん……ただいま、ユウ。あたし、またオチてた?」
「これで通算十一回目だね」
「そんなにやってるか……。仕事中はいいけど、帰りは気が抜けるのよねー」
痛そうに頭を押さえるトウコの服装は、谷間が見えるくらい大きく胸元の空いたドレスに膝上丈のタイトスカートだった。
「朝ごはん出来てるよ、早く中に入って。ミナギの代わりにオレの肩を貸すから」
「大丈夫よ、一人で歩ける。爆睡してたおかげで酔いはあらかた醒めたわ」
トウコはミナギにお礼を言うと、千鳥足ながらも一人で歩き出し、ユウの脇を抜けて部屋へと入っていった。
「ミナギにも朝飯作ろうか?」
「ううん、もう食べてきた。お茶だけもらっていい?」
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茶の間に置かれたテレビにはニュースが流れていた。
《国際テロ組織『ファミリー』が製薬会社を襲撃、民間人十四名が死傷…》
トウコはリモコンでテレビを消し、箸でご飯を口に掻き込んだ。
テーブルの対面側に座るユウが非難の声を上げる。
「ニュース見てたんだけど。つけてよ」
「我が家では食事のときテレビはつけません」
「いやいや、今までそんな家族ルール無かったでしょ」
「そりゃそうよ。今作ったもの」
「…………」
ユウが恨めしげにトウコを睨む。その隣で、ミナギはまったりとお茶をすすっていた。
理不尽なトウコは、平然と、食事を続けている。
腹立たしい顔だった。ユウが素早くシュバッとリモコンへと手を伸ばす。
しかしその前にトウコが反応、リモコンが天高く掲げられる。
「どうしてそんなにテレビを見せたくないんだよっ」
「理由なんてないわよ。ユウをいじめたいだけー」
「出たよ、イジワルばばあ」
「なんですって!? 誰がババアよ! まだギリで二十代じゃない!」
反論しつつもショックを受けている隙にリモコンが奪われ、テレビの電源が入る。
しかし流れたのは浮気やら不倫の芸能ニュースだった。
ユウは肩を落としたが、ミナギの視線は画面に釘付けだ。ミナギのほうのテーブルにリモコンを置いてやる。
「そういえば、あんたまだ、アルバイトのこと諦めてなかったみたいね?」
トウコに低い声でそう指摘され、ユウは目玉焼きに箸を刺したまま動きを止めた。
「なんでトウコさんが知ってるの?」
「ミナギちゃんにバイト紹介してもらおうとしたでしょ」
ごめん! とミナギが手を合わせる。
「ようやくトウコさんに許しをもらえたんだと思って、つい」
ユウは頭を抱えた。
「ミナギちゃんは悪くないわ。隠してたユウが悪い。お小遣い、足りないわけ?」
「違うよ。そうじゃない。半分でもいいくらいだよ」
「……変な気は使わなくていいって言ったでしょ。学生は勉強が本分だし、あんたは普通に学校に行って、フツーに男友達とダベって、フツーに幼馴染の女子とイチャついていればいいのよ」
ミナギがブッとお茶を吹き出す。ゴホゴホと咳き込んだ。
「……中学生がバイトするのも、けっこう普通のことだと思うんだけど」
「んなことないわよ。法律的にも基本的に中学生は働いちゃダメなの。だから、あんたもまだしなくていいの。のほほんと平凡な学生生活送ってりゃいいの。分かった?」
ユウは口答えすることなく頭を掻いた。
このやりとりをするのは今回が初めてでは無かった。トウコさんは普通であることにやたらこだわる。説得は時間の無駄なのだ。
ごちそうさま、とトウコが席を立つ。
「あ~、もう限界。あたし寝るわ。悪いんだけど、戸締りよろしくね、ユウ」
「うん。おやすみ、トウコさん」
ユウがリモコンでテレビを消す。
芸能ニュースに見入っていたミナギは肩を落とした。
トウコがばふっと布団の中にうつ伏せに倒れ込む。枕を抱きかかえたそのとき、家の電話がリリリと鳴った。
「誰よっ! クソみたいなタイミングで電話しやがって!」
トウコが枕越しにくぐもった声でキレる。
「オレが出るよ」
ユウが席を立って家電話のほうへと向かう。しかし、その途中でトウコに足首を掴まれて止められた。
「びっくりした。ゾンビのモノマネのつもり?」
ふざけているのかと思ったが、顔を上げたトウコの表情は険しかった。
「あたしが出る。……きっと仕事の話よ。それより、時間は大丈夫なの?」
ユウとミナギが揃って掛け時計を見上げる。やばい! と声をハモらせた。
いってきまーす、と部屋を出て行った二人の背中を見送り、トウコは鳴り続ける電話の受話器を面倒そうに取った。
「……やっぱり、アンタか」
トウコは腰に手を当て、凄んだ声で答える。
「何度言えば分かるの? アンタたちに協力なんてしない。もしあの子に指一本でも触れたら、警察にタレ込んでやるから」
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