第56話

体重。それはスポーツマンのみならず日常生活を送る人々にとっても様々な場面で話題に上がる数字である。前回計測した時から現在までの増減、車やバイクの重量制限、夏まで何キロ痩せたい、エトセトラ、エトセトラ……


卓球というスポーツにもベストな体重が選手それぞれに決まっていると思うのだが、テーブルに向うショージの現在の体格は明らかにそれを超越しているように思えた。顔はパンパンに張り、ジャストサイズのウェアからは下っ腹が突き出ているのか、丈が異様に小さく見えた。顔を塞いでいた両手を下げるとくらげは想い人の変わり果てた姿を達観した表情で見下ろした。


「あ、アイツだって意味もなく太った訳じゃないさ。『吉村兄弟の弟』吉村和弘みたいにパワー卓球を目指してるのかもしれないし!」


くらげのフォローのつもりで言った言葉が辺りに空しく響く。筋肉を付けるにはまず太る事が一番大事。そこからトレーニングで体を追い込み、脂肪を磨き上げていくというのがプロビルダーとしての常套句なのだが、現役中学生のショージにはそれが当てはまるのかどうか。それはこの試合を通してみないと分からない。


「フッ、悩めるお前たちに俺が手っ取り早く痩せる方法を教えてやろう」


隣に座るオボキタが自嘲気味に呟くとジャージの下のシャツを捲った。すると細く浮き出たあばら骨が目に入った。


「あの方への当てつけのつもりですの?止めてくださいまし!」


ぼくを挟んでひとつ隣の席からくらげの腕が伸びてオボキタのシャツを下ろす。するとヤツはくっくっと笑い、眼鏡を押し上げて言った。


「俺は夏の団体戦で本田の学校の一年生に負けてから5キロ痩せた。部を辞めた心労もあったが一番堪えたのが、大切な人を失った事だ」

「おまえ...」

「ここでッ!試合前の2分間ラリー練習とタオルタイムの助言を務める各選手、セコンドの登場ですッ!」


実況が声を張ると入口から会場の女子達に手を振りながらショージのセコンド、茸村先生が現れた。ショージの近くに駆け寄り、実況席横のえなP☆に投げキスを飛ばすとそれを避けるようにオーバーなリアクションでえなPが実況アナの背中に隠れた。


「地衣太のセコンドは誰がやるんだ?兄の大河さんか?ってあの人は!?」


ぼくが声を挙げるとオボキタがその場を立ち上がって入口からブースに向う女性を見つめた。


「港内中、山破ショージ君のセコンドを務めるのはッ、卓球部顧問の茸村監督、そして双峰中ッ、江草地衣太のセコンドを務めるのはこの試合が現場復帰初仕事ッ!舞い戻りし双力そうりきのコンキスタドールッ!貝谷ハツエーッ!!」

「戻って来ましたわよ。貴方の大切な人」


冷やかすようなくらげの言葉を耳にせず、オボキタは顔を覆ってその場に座りこんで嗚咽をあげた。会場入りしてから怒ったり叫んだり泣いたり忙しい男である。彼が現時点で最もこの試合を楽しんでいる幸福者ともいえよう。


貝谷監督は観客に向って深く頭を下げた後、「大変申し訳ございませんでした。今後このような事のないよう、誠心誠意、監督業に取り組んでいきます!」とマイクを使わずに細い声で自分の心の内をみんなに伝えた。


会場を温かい拍手と復帰が早すぎる事への異議としての野次が体育館を包む。ぼくも天敵である彼女に一言、二言言ってやりたい気持ちはあったが、気持ちをぐっと堪え、野次を飛ばす面々を他の客と睨んで鎮圧化させると彼らは体育館の入口手前側のブースに入り、2分間のラリー練習に取り掛かった。


「おい、江草側のラリー、速度が上がってないか?」

「あの監督、ボールがいっぱい入ったカゴを持ってこさせたぞ!?」

「…最初から全開という事か。あの人らしい」


目を腫らしたオボキタがハッと息を吐いて笑うと貝谷さんがカゴに手を入れ、短いトスからピン球を打ち込む。地衣太がクロスにドライブを返球すると矢継ぎ早に貝谷さんが次のピン球を打ち込む。ぼくはこの光景に見覚えがある。


――ぼくの相棒、タクがコーチと一緒にハロウィン大会でぼくに見せた無呼吸ドライブと同じ。地衣太のドライブは徐々に鋭さを増し、コースもクロスからフォア、ストレート、ミドルなど各コースに打ち分けていく。


「危ないっ!」


女学生の声が飛び、球出しをする貝谷さんの腕や爪、顔にピン球が跳ね跳ぶが地衣太はお構いなしにドライブを打ち込んでいく。2分間経過を伝えるベルが響き、地衣太が今日一番良いドライブをミドルに放つ。貝谷さんがそれを逆手でキャッチすると彼らはハイタッチを交わし、中央の試合が行われるブースへと向かっていった。


「すげぇ…」

「ほとんど実戦形式の練習じゃねーか」

「地衣太の試合前にハイペースでギアをあげる調整力。どんな事があっても自分の職務を全うせんとする貝谷氏の精神力。タダで良いもん見れたな。俗物どもが」


吐き捨てるようにオボキタが呟き、地衣太と貝谷さんに拍手を送る。そういえば相対するショージ陣営のラリー連を見ていなかった。くらげに目で訊ねると彼女は静かに首を横に振った。やはりショージは現時点では本調子ではないらしい。


「サァっ、いよいよ始まりますッ!地区王者を賭けたワンマッチッッ!!勝つのは最速の男、江草地衣太かッ!?それとも魔術師、山破ショージかッ!?ラブオールで山破君のサーブから試合が始まりますッ!」


持ち時間一杯、サーブ権を得たショージがピン球を掌でかざす。決戦の火ぶたが切って落とされた。


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