第30話

「勝負は21点先取の1ゲームマッチ。俺たちは揉め事が起こるといつもこのルールで場を治めている。今回もそれでいいか?」

「へへっ、穀山ルールかい。それでいいさ。勤体の使用時間も迫ってるしささっと始めるさ」


鼻をさすりながら台を挟んで対面に周りこんだガッツを見据えてぼくはサーブ体制を取る。この勝負で自分を見くびった1年生に力を示してやる。そう意気込んでピン球を宙に浮かべたその時だった。


「おまえたち、なにをやってるんだぁぁあああーーー!!?」


体育館のドアが勢いよく開いて茸村先生がぼくらを見て大声を上げた。ピン球を握り直してドアの方を振り向くと先生がずんずんとふくらんだ腹を揺らしながらこっちに近づいてきてぼくたちに言った。


「別区内の部員同士の対戦は許可がない限り禁止!この高度情報化社会で自分の手の内を晒して公式戦で敗れるような事があったらどうすんの!?俺が巡回で戻ってきて良かったな。さ、本田くん。早く帰宅の路に着く準備をするんだ」


指さしで唾を飛ばす茸村先生にぼくは頭を捻ってこう告げた。


「いえ、これは茸村先生が言うところの“決闘”とは違います。ぼくと彼はこの体育館で偶然であった。そして相手がそれぞれ卓球部に所属している事を知らずに台で打ちあった。そういうシチュエーションは世の中にいくらでもあるはずです」

「しかし、俺が事情を知っているからには…」

「先生、さっき巡回に行っていたと話していましたね?くらげが帰ってからどこを巡回していたんですか?この戦いを見逃してもらえればその事は不問としますけど」

「うぐっ!なかなか交渉上手だなチミは。いいだろう。この勝負を認めよう。その代わりといっちゃなんだが私が得点係を務めよう」


茸村先生はそう言うとせかせかと用具室からバスケやバレーで使う得点板を引っ張り出してきてそれを台の横に置いて首から下げた笛を咥えた。「なんでもいいから早く初めてほしいさー」焦れるガッツにラケットを構えるように顎をしゃくるとぼくは再びサーブの体制を取った。横やりが入ったが、決戦開始だ。


まずは一球目にロングサーブを選択。フォアにドライブが返ってくると同じ場所にリターン。ラリーで相手の動きを確認してみる。なにしろガッツはさっき体育館の二階から飛び降りて登場をかました。身体能力には自信があるはずだ。4回目のラリーが乱れてぼくはラケットで払うようにしてバックにリターン。逆を突かれたガッツがこの打球に飛びつく。ラケットの先端で弾かれたピン球を勢いよく対角線に放ってやる。これで先制、と思いきや、ガッツは自慢の脚力を生かしてこの打球に追いついた。ぱちん、と乾いた打音が体育館に響くと手を伸ばした延長線上にあるラケットの裏がピン球をこっちのコートに返していた。さすがにいいモノを持っている。ぼくは冷静に拾いあげるようにしてその打球をフリックで相手のコートに沈めてみせた。


「得点!穀山中、本田!1-0!」

「学校名は隠して。茸村先生」

「あっ、すまん。そういう設定だったな。ははは」

「頼みますよ。本当に」


白々しく笑う審判をたしなめるとリターンを返した壁際からゆっくりと立ち上がるガッツに目をやる。彼はうんうん、と頷きながらこっちに歩み寄ってくると口元に笑みを浮かべてぼくに言った。


「モリアさん、あんた抜け目ないねー。最後の打球、ゼロバウンド狙ってたさー」


ぼくはフン、と鼻で笑うとさっきあまり沈まなかったフリックでの一撃を思い出した。マツ部長との対戦の後、ひそかに練習していたのだけど、どうもまだ切れ味が甘かったようだ。それにしても離れたあの位置から台上のピン球が見えていたとしたらたいした動体視力だ。ゲームが再開し、今度は短いラリーを続けると慎重に置きにいった打球をネットに引っかけてガッツが悔しがる。茸村先生が笛を吹くと点差は2点に開いた。


その後も長短に打球を打ち分け、得意のマジェスティも織り交ぜ得点を伸ばしていく。最初は「お姫のダブルスパートナーは俺っちの方がふさわしいさー」と意気込んでいたガッツだったが点差が開くにつれ、明らかに口数が減り、打ち込むサーブにも力が無くなっていた。ぼくがチキータでそれをはじき返すと、がっくりうなだれたガッツがそれを取りに壁側に向かう。その姿を見ながら茸村先生が大きくため息をついた。


「本田くん、キミはこの勝負に勝って何がしたい?あいつはすっかりやる気をなくしている。これ以上続けていても時間の無駄だとおもうんだが」


ぼくは得点板に目を落としながら先生に答える。


「年下のあいつが仕掛けてきたんです。それを点差が開いたから諦めるっていうのはそちらの怠慢だと思いますけど」

「それがあいつ、小笠原達臣おがさわらたつおみが『ガッツ』と呼ばれる所以だ。重要な局面でなければ試合を楽しめない。あの覇気の無いプレーをどうにか矯正できんもんか…そうだ、いいこと思いついた」


ぽん、とコントのように手を叩くと茸村先生はとぼとぼ歩きのガッツに駆け寄った。ぼくはその間も得点板の数字から目を離すと事が出来なかった。点差は10点。実際の試合だったらあと1点でそのゲームのスコンク成立だ。卓球プレーヤーなら一度は夢見る芸当に静かに心を躍らせているとガッツが茸村先生に肩を組まれて戻ってきた。ガッツは先生の話をいぶかしがっていたが熱意のある先生の言葉に次第にほだされていくのを見ていて感じた。話の内容は大体こんな感じだ。


「さっき、女子更衣室でえげつないのを見つけてよー。あれは絶対お姫のだと思うぜー。お前が今この状況から逆転してみせたら譲ってやらないとも限らんけどな」

「不法侵入に窃盗。おまけに賭博ときたら犯罪の数え役満さー。まあでも、お姫のえげつないものには興味があるさー。よし、いっちょやってみっか」


小声でのやりとりが終わると「待たしたっすね、モリアさん」とガッツが首をコキコキと鳴らしながらぼくに向き直った。「こっからゲームスタートだ。ガッツを見せろ、一球入魂!」焚きつけるように顧問の茸村先生も発破をかける。


ピン球を握るとガッツはヒットマンスタイル、いわゆる横向きでピン球を宙に浮かべるとそのまま押し出しように短いサーブを打ち込んできた。チキータで返すには難しいと判断してそのままフォアで押し返すとその空いたスペースに物凄い速さでリターンが返ってきた。


「おっしゃ!10-1!タツオミ初得点!」


茸村先生がガッツとハイタッチを交わすとぼくは振り返って体育館の壁にぶつかって跳ね返ってきたピン球を拾い上げる。なんなんだあの打球。今の一打を振り返りながら顔をあげるとガッツが腰に手を当ててぼくをみてへへっと笑った。


「スコンクは不成立さ。モリアさん。残念だったね」

「気づいてたのかよ。抜け目ないのはどっちだ」


ガッツの目に火が灯りゲームは中盤戦へと移行する。ラケットを握りピン球を放る教え子を見て茸村先生は「目の前の事にただ、夢中になれタツオミ」と短く呟いた。


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