第22話

「まずは軽~く、揉んでやるよ、そら!」


サーブ権を得たケンジが短いサーブを出すとレンジローが腕を思い切り伸ばしてこの打球をリターン。ミドルに跳ねたこのボールをケンジがコンパクトな振りでレンジローのフォアにドライブ。パン!と乾いた音が響いたと思えばピン球は体育館の壁に向かって消えていき、得点したケンジは「しゃぁ!」と拳を握り締めた。


「こら!ケンジ!相手は初心者なんだから打たせなさいよ!」

「へへーん、オレだって未勝利が続いてんだ。相手が誰であろうと手加減はしないっすよ!」

「今のケンジの打球を見たか?今のが三球目攻撃だ」


レンジローに近寄って今のプレーを彼の頭の中で振り返るように助言すると「タオルタイムはまだっすよモリア先輩!」とケンジが余裕の野次を飛ばす。レンジロ―はケンジの圧にうろたえることなく、ぼくの指示に二度三度うなづくと素振りを繰り返しながらテーブルに戻っていく。試合再開だ。


「ショートを狙うよう、アイツに言ったな?」


はっさんがぼくの隣に並んで耳打ちをした。そのとおり、レンジローがネット際にボールを落とすようにリターンするようになってからケンジお得意の強打が封じられた。ラリーが続くようになり、焦ったケンジが無理やり放ったスマッシュがネットに吸い込まれると「レンジローくん、初得点ですっ!」と田中が勢いよく得点板を捲る。


「うわ、初心者相手に好勝負。カッコ悪」

「うっせー!黙っとけすばる!オレ様はこういう細かい打ち合いが苦手なんだよ!」

「へぇー、今みたいなプレーを続ければ良いんですね。弱点を教えてくれてありがとうございます」

「こ、こんにゃろぅ」


したたかなレンジローに対して火が付いたのか、睨むようにしてラケットを構えるケンジ。サーブ権が移り変わりレンジローがサーブを放つタイミングをうかがっている。


「彼は一体何者なんです?そろそろ教えてくれて良いんじゃないですか?」


ぼくの問いを受けて「さすがに経験者の目は騙せんな」と白い歯を見せてはっさんは笑う。卓球部志望者らしからぬ高いコミュニケーション能力、戦術指示の呑み込みの良さ、瞬時にドライブのコースを見抜ける動体視力。何かしらのスポーツ経験といった下地があるに違いない。すると予想外の回答がはっさんから返ってきた。


「ヤツはe-Sportsの今年度小学生部門の優勝者だ」

「イースポーツって人前でゲームをピコピコやって、小難しいルールのカードゲームをやるやつでしょ?そんな遊びで未経験の卓球があんなに上手く出来る訳ないじゃないですか」

「俺も最初はそう思っていたんだがな」


得点して控えめに拳を握ったレンジローを見てはっさんは微笑む。


「俺たちがやってきた卓球とアイツがやってきたe-Sportsは互換性が高い事に気づいたんだ。超時間プレーや過集中を支える強靭な体力。相手の裏を読みあう戦術性。

頻繁に変わる大会ルールに対する対応。ゲーム中にプラン変更を試みる状況判断力。e-Sportsに真摯に取り組んできたアイツなら経験者相手でもいい勝負ができるんじゃないかってな」

「すこし買いかぶり過ぎな気もしますけど。e-Sportsと彼の両方をね」


面白くなさそうな口調ですばるが口を挟んできた。


「ケンジだってあの厳しい夏合宿を耐え抜いてオレと一緒にダブルスペアとして夏の予選大会すべてに出場した。その上積みが彼に打ち破れるとは思えませんね」

「まあ、見てみろって」


すばるをなだめると得点板に目をやった。得点は6-6。文字通りのいい勝負である。しかしケンジの強打に押され始めたのか、レンジローのリターンが長くなっている。スマッシュ命のこの男がその勝機を見逃すはずがない。テーブルの端に飛んだこの打球の最高到達点を見極めるとケンジは空中に飛び上がり空中で足を引っかけるように左足を畳んで腰をひねると完璧なフォームでジャンプスマッシュを打ち込んだ。一歩も反応することのできなかったレンジローがピン球が壁に跳ね返る音で正気に戻る。豊田ケンジ、スランプからの完全復活である。


「えー、今のは絶対無理では…ボクが初心者だってこと、皆さん忘れてますよー。次はゆるい球でお願いします」


吼えながらガッツポーズをしていたのを少し恥じたのか、「お、おう」と馬鹿正直にケンジは次のラリーで長いボールを寄越した。「あ!アイツ!」ぼくが口に出すがもう遅い。打ち頃の回転にレンジローはラケットを被せるようにしてリターン。これはさっきぼくが教えたループドライブだ。


「そんなん軽いぜ、って、んなっ!?」


一度目のバウンドから大きく変化した打球をスイングミス。必殺技で華麗にゲットしたケンジのリードはこれでチャラに。これにはケンジも憤慨したのか強気なプレーで前に出て勝負を賭ける。だけど、これがレンジローの思うつぼ。ゲームの雰囲気に慣れたのか細かいネットプレーで突き放し、強打にはループドライブでカウンター。見学していた他の部活の生徒たちの空気感が大きく変わっていく。


「おいおいおい」

「こんな事って」

「まじかよ。相手は小学生だぜ?」

「うおぉー!おまえらうるせぇー!このスマッシュで決めてやらー!」


レンジローにマッチポイントが入ったゲーム終盤。さっきのリプレイのように華麗なフォームでケンジがジャンプスマッシュを放つ。初心者でなくても足がすくんでしまうような強烈な打球。レンジローはその場から動かずにラケットを両手で支えるようにしてバウンドの位置を見極めるとツッツキでこれをリターン。無人のミドルにボールが転がると審判の田中がこのゲームの勝者をコールした。


「得点!11-8!三菱恋次郎くんの勝利ですっ!」

「あー!くそー!!小学生相手に負けるなんて恥ずかしくてもう表歩けねーぜ!くそがっ!!」


汗まみれで悪態をつくケンジの肩にぼくはタオルを掛けてなだめてやる。


「今の卓球の日本チャンピョンはオレと同じ14歳だ。年下に負けることは恥ずかしい事じゃない」

「モリア先輩も人が悪いっすよ。オレが苦手なところにばかり打つようにアイツに指示するなんて」

「なに言ってんだ。初心者相手にいいハンデだったろ。このゲーム、誰が見てもお前の負けだ」

不貞腐れて横を向いたケンジを見てぼくは自分がした事を今後、大いに後悔することになる。「最後のプレー、アレだけど」すばるが汗を拭うレンジローに声を掛けた。それにレンジローが明朗な態度で応じる。


「ああ、バレちゃいましたか。実は昨日の夜にねぇさんが録画していた赤星さんの映像を見てたんです。一か八かの選択だったんですけど地区大会新人戦準優勝のアナタの技を信じてよかったです」

「…オレの『スピア』はあんな苦し紛れの無様な技じゃない。もう一度映像を見返してくれ。オレからの宿題だ。キミがここに入部する事があれば、の話だけど」


すばるが勝者であるレンジローを鼻で笑うと体育館のドアがガラッと開き、顧問の竹岡センセイがぼくらを見て大声を張った。


「おぉい!初台!時間だ!何をやっとる!レンジローを早く返してやらんか!」

「…もしかして、門限?」

「ええ。小学生の秋の部活時間は6時で終わりなんです。防犯、教育上の悪影響を鑑みて、って。面倒な時代になりましたよねー」


いそいそと着替えを始めるレンジローに「あのさ」と呼び止めるとすばるは決心したように思いを口に出した。


「三菱さん、いや、綾香さんと話す機会があったら、赤星すばるは卓球部で立派に活動していると伝えてほしい。新人戦も会場のどこかにあの人の姿を探していた。綾香さんの前で成長した姿を見せたかった。『綾香さん、貴方の笑顔、やさしさそのものが俺を卓球台の前に向かわせるモチベーションです』と」


すばるの思いもよらない姉への告白に弟のレンジローはぽかんと口を開くと「ねぇさん、最近大学生のカレシが出来て毎日遅いから無理だと思います」と冷酷な宣言を残して竹岡センセイと体育館を後にした。


「すばる!」


ガシャン!とその場で膝を突いて卓球台に手を置いたすばるが泣き出しそうな声で言葉を振り絞った。


「大学生って…中学生相手に…それは犯罪だろうが…」

「乗り越えろ。これも青春だ。大人になるっていうのはたぶんこういう事だから」


嗚咽を始めたすばるにぼくは人生の先輩として優しい言葉をかけてやる。3年生が居た時間はもう終わった。ぼくたちの好きだった純真無垢な綾香先輩は帰ってこない。今は前に向かって突き進んでぼくたちが未来を創るほかない。嵐が去った体育館でぼくが後輩ふたりに吐き出した鼓舞が虚しく響いていた。


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