聖女としてではなく、セシリアとして

 聖女とは、長年の信仰を捧げ、もっとも女神の恩恵への適性が高いものが選ばれるという。

 誰よりも女神を称え、感謝し、女神の見元である民を誰よりも愛す。そんな者が代々聖女と言う称号を与えられてきた。


 それはセシリアとて同じ。誰よりも女神を信仰し、その身に多大なる女神の恩恵を受け、民の為に奮闘し、救ってきた。


 そんな彼女が、『友』と『民』という狭間に立たされている。友人の幸せをとるか、民の繁栄を選ぶか————彼女は、未だ少女であるにも関わらずそんな大きなものを背負っている。


「私は、人生の半分を聖女として過ごしてきました……」


 聖女には見合わないほどの血を拳から垂らしながら、ポツリと口を開く。


「それまでは普通の女の子として————ただ、女神を信仰しているどこにでもいるような子供。しかし、聖女としての役割を女神から頂いた瞬間……私はセシリアではなく、聖女として今まで過ごしてきました」


 聖女とは、人間からしてみれば主たる女神から一番近しい存在。そんな少女を対等な人間と称するには無理があるだろう。


 恐れ多い、立場が違う————だからこそ、誰も普通の女の子として対等に接してはくれなかった。


「そんな中、アリスとユリスだけは……私を友と呼んでくれました。旅を供にする仲間として、セシリアとして……私を見てくれたんです」


 聖女は、俺の血で塗られた手を己の胸へと持ってくる。

 そして、大事なものを抱えるような仕草で、懐かしむように言葉を続けた。


「感謝しています。私も、聖女としてではなくセシリアとして過ごせていた環境は、とても幸せなものでしたから————だからこそ、二人は私のかけがえのない人であり、一生の中で一番の友人だと思っています」


 人とは、誰かと寄り添っていかなければ不安を抱える生き物だと聞く。そんな生き物が、寄り添ってもらうための対等な存在などおらず、一歩後ろ————隣を歩いてくれないとなれば、不安、焦り、恐怖、寂しさを抱くに決まっている。


 そんな彼女の心の隙間を埋めてくれた存在。隣を歩いてくれるアリス達は、セシリアの支えとなる存在であると同時に、大切な存在なのだろう。


「そんな友であるアリスが、立場や役目を捨て去ってこの世界で幸せに過ごしている。私は、それを邪魔したくない、友の幸せを奪いたくありません。私と同じ……役目から解放され、一人の女の子として過ごしているアリスが悲しむようなことはしたくない————でもッ!」


そして、大きな涙を目尻に浮かべて、聖女は己の中の悲痛な叫びを吐露した。


「私は、聖女として民を守らないといけないんですっ! 人々の幸せを、私は守らなくてはいけない! 聖女としても、セシリアとしても、人を見捨てたくない、助けたいっ! で、でも……ぉ! わ、私は……アリスの幸せを奪いたくない……好きで、奪っているわけじゃないんですよぉ……っ!」


 悲痛な叫びは、大粒の涙と共に溢れ出す。やがて、我慢しきれなかったセシリアはその場で顔を覆いながら蹲ってしまった。


「あなたは……それでも、私の意見を突き通せと言うのですか……⁉ セシリアとして、友を大切にしたいこの気持ちを優先しろと言うのですか……長年信仰してきた主たる女神の信託に背き、友の幸せを優先しろと言うのですか……っ⁉」


「……」


 分かっている。分かっていたさ……。


 お前は、アリスによく似ているんだ。


 人を救うため、立場と宿命に追われた哀れな女の子。勇者としての力と、聖女としての立場を持ってしまったが故に、少女としての道を歩めなかった可哀想な人。

 お互い、立場や宿命などなければ、こんな気持ちも、迷いも、葛藤も、責任も負うことなんてなかっただろうに……。


 仕方ない————そう割り切ってしまえばそうなのだろう。大勢を救うためには多少の犠牲はやむを得ない。そうして、数少ない犠牲に選ばれたのが、この少女達なのだろう。


 しかし、犠牲者は犠牲者のままいていいわけじゃない。


 アリスが、この世界で幸せに過ごせたように、彼女も幸せになる権利はある。

 だから————



「もういいよ、セシリアちゃん……」



 泣き崩れるセシリアの背後から、突如薄っすらと輝く銀髪の少女が抱きしめる。

 泣く子をあやす様に銀髪の少女————アリスは優しくセシリアの頭を撫でる。


「ア……リス……?」


「ごめんね……セシリアちゃんばかりに背負わせちゃって……私、気づかなかったや」


 先ほどまで眠っていたのだが、どうやらアリスは目を覚ましたようだ。起きてしまったアリスに、聖女は驚き目を見開く。


「私ばかり幸せになっちゃってごめんね……セシリアちゃんに辛い想いをさせてごめんね……もう、大丈夫だから」


 そして、アリスは泣き崩れるセシリアの顔を上げ、頬に伝う涙をそっと拭った。


「セシリアちゃんが向こうの世界に戻ってきて欲しいって望むなら、私は行くよ。そりゃ、いつかはこの世界に帰して欲しいけど————それでも、友達が困っているなら、私はもう一回剣を握る、救って見せる。だって————私は勇者であると同時に、セシリアちゃんの友達だから」


 そっか……やっぱり、アリスはアリスなんだな。

 困っている人を放っておけなくて、優しくて、友達を大切にする————勇者らしい女の子。

 ……あぁ。彼女は、やっぱりこの選択を選ぶんだな。


「それに————クロちゃんも来てくれるでしょ?」


 そう言って、さも当然と言わんばかり顔で、俺の方を振り向いた。

 まったく……アリスには困ったものだ。

 人間の為に俺が動くなんて馬鹿げてる。魔王だった俺が、どうして人間の危機を救ってやらなきゃならん。

 でも————


「アリスが行くなら、行くしかないな。目を離したらアリスが何しでかすか分からんし、危なっかしいから————俺が傍で守ってやるよ。まぁ、夏休みのちょっとした故郷帰りとしゃれこむか」


 いつまで時間がかかるか分からない。でも、夏休みと言わず————あっちの問題が解決するまで向こうの世界に遊びに行ってもいいかもしれない。

 ……母さん達には、なにか言い訳を考えておかなきゃな。


「い、いいのですか……?」


 信じられないと言わんばかりの顔をして、聖女は俺達を見やる。


「一つ言っておくが、アリスがどうしても行きたいって言うからついて行くだけだ。お前達人間の為じゃない。それに、俺も可愛い部下達に会いに行きたいんだ。ちょっとした旅行として考えれば構わないよ」


「そうだね! 私も久しぶりにユリスくんに会いたいし! それに……クロちゃんが一緒に来てくれるなら————もう一回、剣だって握れると思うから」


 そう言って、アリスは痣ついた俺の手を握った。その手は若干震えていて————ははっ、不安なんじゃねぇか。

 ……まったく、強がりやがって。

 俺は、そんなアリスの手を強く握る。安心して欲しくて、守ってやると伝えたくて。


「クロちゃんはやっぱり優しいなぁ……」


 震えが止まった。横を見れば、アリスが嬉しそうに微笑んでいた。


 色々と問題はある。

 そもそも、三人を転移させる程の魔力が彼女に残っているのか、俺は向こうで魔術が使えるのか、俺達で厄災とやらを退けることはできるのか、無事この世界に帰ってくることはできるのか?


 そんな問題は、未だ解決する兆しも根拠もない。それでも、案外何とかなりそうで、最終的には皆幸せになれるのではないかと————そう思えてしまう。


「さぁ、まだやるか聖女? 今なら、鳩尾に一発ぶち込むだけで俺を倒せるぜ?」


 正直言って、もう俺の体は限界を迎えている。こうやって普通に話しているだけでもかなりしんどい。今なら、彼女の一発を食らっただけで倒れてしまうだろう。

 それでも、俺は最大限の見栄を張って、両手を広げる。


「ふふっ、魔王は本当に意地悪ですね……そこまで言われて、私があなたを倒すなんてできるわけがないのに」


 聖女は、無防備な姿を晒す俺を見て、涙を拭いながら笑った。

 その表情からは、先ほどまでの神妙な色見えなかった。


「二人共……よろしいのですか? あちらに行けば、再び平和とは程遠い出来事が待ち受けているのですよ?」


「攫っておいて今更だよね~」


「あぁ、俺なんか平和とは程遠い暴力を食らったばかりなのにな」


「そ、それは言わないでくださいっ!」


 そう、今更なのだ。 

 俺は彼女が望み、幸せでいられるというのであれば、大人しく引き下がるさ。その代わり、俺も傍で支えるに決まっているが。


「俺はアリスの願いの為、聖女と言う哀れな役目を背負った少女の為、お前の要求を飲もうと思う」


 セシリアが人類を助けたいと言った、アリスが友の為に剣を握ると言った————であれば、今の俺がどこまで役に立つか分からないが、その助けをしてやろう。


「さて————セシリア。お前はどの立場で俺達にお願いする? 女神の使徒として、神託を受けたからなのか、それとも、一人の人間を愛する女の子として、民を救いたいからお願いするのか?」


 俺はアリスの手を握り、蹲り涙の痕を残すセシリアに向かって、毅然と言い放つ。

 そして、聖女が出した答えとは————



「セシリアとして、二人にお願いいたします。どうか、民を救う為に、協力していただけないでしょうか?」


「「もちろん(だよ)!」」





 こうして、夜道における二人の衝突は人知れず幕を閉じた。

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