少女、遠近を知る。
fujiyu
少女、遠近を知る
まだかな、まだかな。翔先輩を待っているときは何だか落ち着かない。
夏休み直前の部活を終え、喫茶店へ向かう友人たちを見送って、わたしは校門前にいた。喫茶店にも行きたかったけど「放課後に校門で待ち合わせ」と連絡が入っていたから断ってしまった。
心を落ち着かせようと、じっくり空を眺める。顔を上げたら綺麗な夕焼けが見えた。こちらの空には徐々に藍色が広がりつつある一方で、西の空には夕日に照らされて橙色に染まる優美な入道雲が浮かんでいた。
風が吹いているから、じきにあの入道雲はここまでやってくるかもしれない。現在時刻は午後六時。翔先輩はそろそろ来るかな。
雨が降る前に会えるといいな。
* * *
翔先輩は高校の有名人だ。
サッカー部ではエースで、生徒会にも所属していて委員会や部活会を取りまとめている。成績も良く、話し上手で背が高くてイケメン。先生からの信頼が厚い。まさに文武両道。
そんな翔先輩に憧れる女子はもちろん多い。わたしもその一人だった。
人気者でいつも華やかな人たちに囲まれている翔先輩は雲の上の存在だったけれど、わたしは玉砕覚悟で告白した。人生で初めての告白だった。
「月子っていったよね。もしかして今まで誰とも付き合ったことないの?」
先輩はいつもの涼しげな声でそう言う。一方で、わたしは緊張のあまり、「は、はい」と小さな声で答えるのが精一杯だった。
「オレ、こだわりがあるから、付き合う子には色々言ったりするかもしれないけど、それでも大丈夫?」
信じられない。驚きのあまり、わたしは言葉を失って、子どもみたいにうんうんと頷くことしかできなかった。人生でこれより幸福な瞬間はないかもってくらい嬉しくて、感極まって泣きそうになった。
自覚するくらい顔が真っ赤になってしまって恥ずかしかったけれど、翔先輩は優しい眼差しで微笑んでくれた。
* * *
それからは毎日が幸せだった。
今まで通りに、六時に起きて、制服を着て、電車に乗って、学校に通っているだけなのに、世界は今まで以上に色鮮やかで美しく、まるで夢をみているみたいだった。
少し経った頃から、翔先輩と一緒に帰るようになった。帰り道には様々なアドバイスを貰えた。例えば、服装や髪型、髪色、化粧の仕方とか。わたしがもっとよい彼女になれるように。
「髪はもっと明るい色の方が月子には似合うと思うけどな」
その帰り道にドラックストアに寄って、ヘアカラーを買い、その日のうちに染めた。
「髪巻くの苦手なの? もう少し練習した方がいいかもね」
それからは今までよりも早起きして、入念に髪をチェックするようにした。
「その化粧、月子には濃すぎて似合ってない気がするなぁ」
本屋さんでモテ系雑誌を買い、「あなたの顔はどのタイプ? 本当に似合うメイク法」というページを読み込んでお化粧も練習した。
翔先輩と付き合い始めてから、友人たちは、わたしが変わったと口を揃えて言う。
確かに、翔先輩に見合うような女の子に成長するために努力した。それは当然のことだった。それが完璧な翔先輩と、わたしがつり合うための唯一の方法だから。
* * *
今日は何も注意されないといいな、いつもみたいに至らぬ点を指摘されてアドバイスされるかもしれないのが不安だな、なんて考えていたら十五分が経っていた。
翔先輩は来ていない。生徒会の仕事が残ってるのかも。
生徒会室まで来て、扉をノックしようとしたとき、中から女性の声が聞こえてきた。
「え、付き合ってもらえるんですか?」
「いいよ。今は誰とも付き合ってないから。オレ、こだわりがあるから色々言うかもしれないけど、重たくならないでね」
いつも通りの翔先輩の涼しげな声。
わたしは茫然として駆け出した。足音に気付いた女生徒が何か言うのと、翔先輩の「知らないよ」という言葉だけが微かに聞こえた。
* * *
繁華街で行き交う人々の間をあてもなく漂っていた。
いつのまにかバケツを逆さにしたような雨が降りだしていたけれど、傘をさす気力もなくて、わたしはされるがまま雨に打たれる。
まるで夕立みたいだ、と思った。
だって、遠くから眺めた入道雲は空に浮かぶ雄大な山脈のようで美しいと感じられたのに、近づいた入道雲は空を覆い隠して灰色に塗りつぶし、その身にしまい込んでいた雨を地上に降らせて、わたしを打ちのめすから。
しばらく夕立は降り続くだろうけど、雨上がりには澄んだ空が見えるかもしれない。
雲の向こうの光を探して空を眺め続けた。
少女、遠近を知る。 fujiyu @poi_misw
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