誰が殺した?ジョシュア・エヴァンズ
紅茶は濃いめ、ミルクは少なめ。
いつもどおりの紅茶の味が、今日は口の中にべたべたと残る。
「そう睨まないでください、サー」
ジャックは困ったように笑った。一方のジョシュアは到底、笑えない。まだ熱い紅茶を無言で啜った。
ちらりと床に目をやると、醜悪な獣が絨毯の上に寝そべって、こちらに牙を見せて低く唸っている。ふたつある頭部のもう一方は、血で汚れた前脚を舐めていた。
(悪夢だ……)
いったいどこで間違ったのか。
「はじめから気に入らなかったんですよ。相手は貴族とはいえ、何人の男を咥えこんでいるかわからないんですよ?そんな女が旦那様を跪かせるなんて、厚かましいことこの上ない。自分を貴婦人か何かだと勘違いしているのか知りませんが――」
ジャックの端正な唇から、涼やかな声で悪意が滴り落ちる。ジョシュアは耳を塞ぎたくなった。
「連れ出すのは簡単でしたよ。旦那様が会いたがって眠れないでいると言ったら、真夜中だというのにほいほいと出てきた。まったく、何を期待していたんでしょうねぇ。これだから尻の軽い女は」
「ジャック、まさかお前、ポーリーンに……」
「まさか。あんな汚れた女、触れるのもおぞましい」
ジャックの瞳が冷たさと嫌悪感を放って鈍く光った。
「……狂ってる……」
これは別人ではないのか?とジョシュアは思った。とてもよく知ったジャックとは思えない。
「狂っている?は!どちらがです?」
ジャックは冷酷な笑顔で言い捨てた。
「……ジャック、君はいったい、どうしてしまったんだ?僕の知っている君は、誠実で優しくて」
ぐるる……と唸り声がして、双頭の犬が立ち上がった。
「――狂っているのは――この世界の方ではないですか?私が、誠実で優しいですって?それこそ戯言ですよ……ほんとうの私など、あなたにお見せするとでも?見たいものしか見えない、おめでたい旦那様――」
憎悪と執着と諦観の入り混じったような
「いい加減、目をそらすのをおやめになっては?サー」
犬が喉を低く鳴らしながら近付いてくる。獲物を見る、獰猛な眼つきだ。
「……僕を、どうするつもりだ?ジャック」
ジョシュアは思考がまとまらない。目をそらすな?いったい何から?
「ともに生きるか、ともに――死ぬか」
ジャックの長い指が、ジョシュアの白い首筋に絡みつく。
「私の――旦那様――」
「ジャ……ク、やめ……」
気道を塞がれたジョシュアの喘ぎを飲み込むように、ジャックは冷たい唇を重ねた。
あの醜悪な犬に引き裂かれて死ぬくらいなら、このままジャックに
そんな思いが酸欠になった脳内を過ぎった時。
「
背後で歌うような声がして、ジャックは咄嗟にジョシュアを締め上げていた手の力を緩めた。
「……げほっ!げほ!……かはっ……!」
酸素を求めて、肺が引きつったように収縮と膨張を繰り返す。かすむ視界の向こうに、金髪の紳士が見えた。
「
「……ハ……ル……?」
グギャウ!!と耳障りな声を上げ、犬の化物がハルに飛びかかった。が、ハルの方が速かった。
タァン、タァン!と立て続けに銃声が鳴り、犬は地面に倒れ伏した。ハルは肘で窓ガラスを割ると、どこからか白い大鴉が飛んできた。
「逃げるぞ。銃声を聞きつけて、警察が来る」
ハルに引きずられるようにして、大鴉――ロッドにつかまり空へ飛び出す。と、目を疑うような光景が広がっていた。
見慣れたロンドンの空を行き交う、巨大な翼と鋭い鉤爪。戸惑い怯える馬車馬たちの間を、我が物顔ですり抜ける、奇怪な姿の獣たち。
「これは――こいつらは、
「または、キメラ、ともいうね」
キメラ、とジョシュアは口の中で繰り返した。それがジル博士が作り出したバイオアンドロイドキメラのことだと、ジョシュアはかろうじて理解したが、それが意味することまでは思考が及ばない。それよりも。
「ハル!なぜだ、なぜポーリーンが死んでしまった?なぜジャックは……」
変わってしまったのか。
「……
「ああ、そうだ!でもそれは、ポーリーンじゃなかった!絶対に!こんな結末のために、僕は
「じゃあ君は、どういう結末を望んでいる?」
「望む結末、だって?」
ロッドは高度を下げ、着陸の体勢をとった。時間迷宮の館に着いたのだ。
「……死体の数が変わることはない。違うのは、誰が死んだのか」
そう言いながら、ハルはドアを開けた。館の中は薄暗い。
「思い出せ。君は知っているはずだ、誰が死んだのか」
ハルに先導されるままに、ジョシュアは吹き抜けの玄関ホールを横切って、正面の階段を登る。一層暗い廊下を通り過ぎ、奥の部屋の扉を開ける。
「……ひっ……!」
そこには巨大な円筒形の水槽が並んでいた。水槽の中には、青白い光に照らされた人間が――それも、ジョシュアのよく知っている人物が、透明な液体に沈んでいた。
「ああ、そんな……なぜここに……!?」
「思い出すんだ、ジョシュア。誰が――殺したのか」
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