殺人者の夜明け
いったいどこからが夢だったか――
夢と夢が錯綜して、記憶を侵略する。
どこかで鴉の鳴き声がして、空がしらじらと明けていく。
さっきまで真っ暗だった通りも、埃っぽい空気の中で気怠そうに朝日を迎えている。
玄関の前の階段に腰掛けて、ジョシュアはぼんやりと通りを眺めていた。かさかさと乾いた音を立てて、色づいた街路樹の葉が落ちる。見慣れた秋の風景。ただひとつ――ジョシュアの両手が抱えているもののほかは。
生あたたかかったそれは、早朝の冷たい空気にさらされて急激に温度が下がっていった。どんどん冷たくなるポーリーンを温めるかのように、血でぬめってずり落ちていく身体をジョシュアは何度も抱きしめ直した。
このままここにいてはいけない、と、わかっているのに、身体が動かない。身寄りのないポーリーンは、遺体安置所の冷たく硬いベッドの上で検死され、年中腐臭の絶えない共同墓地に墓石もなく葬られるだろう。これで最後だと思うと、一秒でも長くポーリーンを抱いていたかった。
どれくらい時間が経っただろう。
ジョシュアの目の前に、黒い人影が立った。
「えー……ロンドン警視庁のチェスター警部です。こちらは部下のニコル。朝早くすみません、ミスター…」
「エヴァンズです。ジョシュア・エヴァンズ」
ジョシュアはかすれた声で、顔も上げずに答えた。
「ミスター・エヴァンズ。あなたが殺したのか?」
「違う」
「しかし、あなたの家の前だ」
「……違う……」
ジョシュアは力なく首を振った。
「これはあなたの恋人?見たところ娼婦のようだが」
ジョシュアはまた首を振った。
「……友人です」
先程まで人っ子一人いなかったのに、あっという間に警察官がわらわらと家の周りを取り囲み、その外側には野次馬の人だかりができている。
「ミスター・エヴァンズ、署までご同行願えますか」
「断る。私が殺ったんじゃない」
ジョシュアはふらつきながら立ち上がった。
「ミスター・エヴァンズ!状況はあんたに不利ですよ!警察で弁明したほうが良いんじゃないですかねぇ!」
チェスターの口調が荒くなる。まるでジョシュアを犯人と決めつけているかのようだ。
ジョシュアはチェスター警部の手を振り払い、野次馬たちを押し返している警官たちのわずかなすきをついて、その場から逃げた。
「おい、捕まえろ!」
チェスター警部の声が背中から追ってきた。
「ミスター・エヴァンズ!逃げると余計に不利になりますよ!」
もつれる脚を叱咤して走りながら、ジョシュアは思った。
――ジャックは、ちゃんと逃げられただろうか。
朝日が眩しすぎて、くらくらと目眩がする。奇妙に白い街を、どこへ向かっているのかもわからずに、ジョシュアはよろめきながら走った。両手に付着した血液が固まって、妙な感覚だ。道行く人々の幾人かは、ジョシュアのただならぬ様子に気がついて、好奇の目を向けてくる。
(あの光景を、見たことがある。夢の中で――あれは、いつだっただろう?)
玄関の前に横たわった、血まみれのポーリーン。強烈な錆の匂い。
(そうだ、ラーンスロット卿の城だ……目が覚めたら、ワインの瓶を抱えたラーンスロット卿がベッドにいて)
ではあれは、予知夢だったのか?それともやはり、あの時代に行ったことがそもそも夢だった?
むしろこの現実感のない
「ミスター・エヴァンズ!」
聞き覚えのある声がしたかと思うと、ジョシュアは薄茶色のスーツを着た大柄な男に手首を掴まれた。
「ヘイゼル……?」
「ミスター、顔が真っ青だ。それにその血は一体、どうしたんです?」
その時、通りの向こうで警官隊の呼子が鳴った。
「追われて……いるんだ……」
「そりゃまた一体……とにかく、こっちへ!」
ヘイゼルに手を引かれるままに、路地をいくつも走り抜ける。息が上がり、目を開けていることすら辛くなってきた頃、ようやくヘイゼルは立ち止まった。
顔を上げると、そこには、高い鉄柵に囲まれた、石造りの古めかしい屋敷が建っていた。
「
ドアが開き、細い銀縁の眼鏡を掛けた、金髪の青年が現れた。
「ようこそ『時間迷宮の館』へ、ジョシュア・エヴァンズ」
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