第21話
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田中巡査は交差点で足を止めた。谷町通りは既に夜の帳が落ち始めている。信号は赤のまま、まるで自分とロダンを見つめているように見えた。次に動き出すまでの僅かの時間がどこかもどかしく感じられた。
このもどかしさはどこから来るのだろう。自問しても答えはない。勿論、彼も。
巡査はロダンに語りかける。
「君の導きだした過去の事件に対する答えは完璧すぎるほどの推理で私としては感嘆するしかない。それでやっと『(「)三つ鏡(こいつ)』(」)が模造品で割れていちゃいけなかったという意味も良く分かる。そう確かに、君が言う通りだよ、こいつは割れていちゃいけない…、三室魔鵬(みむろまほう)にとっても彼等にとっても都合が悪いから…、本物は既に無いのに荒れていないものが存在するなんて、一発でそれが模造品である事が分かる。しかし世間には存在していると認識はさせておく、それはしかし本物としてではなく精緻な模造品として…」
そこまで話をすると信号が青になった。二人は連れ立つように歩き出す。
「でも…君は、いつ、どのように、これらを組み立てたの?どうも彼には詳しいようだけど」
ロダンが髪を掻き分けると「そっすねぇ…」と呟く。
「…うーん、正直言うと三室魔鵬(みむろまほう)について僕は任期の図書館勤めもあるんですが芸術好きもあって…、個人的に彼の色んな情報が実は彼らに会う前からインプットされていましてね。だから彼の晩年も良く知っているんです」
「そうなの?」
「ええ、まぁ…それはおいおい話しますが」
ロダンが突然言い淀む。
「彼らが僕の側を去ったあとからどうも何かこう、おかしくてしょうがないんです。胸がざわつくと言うか…」
髪を掻きむしる。そんな彼を見て巡査が言う。
「何がだい?」
「確かに僕はそれらの情報を組み立てて答えを導いたんですが、初めてこいつに出会った時の違和感というものが、どうしてもねぇ、自分の中で拭いきれなくて」
「違和感?」
「ええ、田中さん、分かりました?生首とこいつの重さがほぼ同じなんですよ。だから思ったのはひょっとして『(「)三つ鏡(こいつ)』(」)を造り馴れているのじゃないかと、だから重さもほぼ正確に造れるんだと」
「つまり…それは何度も作っていること?」
「そうです」
ロダンはそこで激しく頭を掻きむしる。アフロヘアがぐにゃりと音も無くへこんだ様に見えた。
「傷害事件そのものは簡単に仮説を立てれました。三室魔鵬(みむろまほう)自身の晩年がああいう事でしたので、もしかしたら『(「)三つ鏡(こいつ)』(」)が早い時期にこの世界から消えたのはきっとそれが凶器だったのだろうなというのはね。唯、長年それが存在していることは今では勿論嘘だと分かったのですが、世間に対しては既定の事実でしたし、そこだけがはっきりさせれれば、後はドミノ倒しで全ては明るみになる。仮説は事実だったわけで、だから完璧にまるで果実の皮を剥ぎ取るように真実が分かったのですが…」
ロダンが夜の暗闇の中で沈痛の表情をしてるのが感じとられた。彼は頭を掻いた手で背負うリュックをポンポンと叩く。
「どうも完璧すぎるんですよ…、なんでだろう。寸分の隙も無いくらいの答えなんです。あの老人が僕の仮説に対して答えてくれた事実全ては…」
巡査は軽い溜息を吐いた。少し悩みすぎるこのどうも人懐っこい不思議な若者を慰めるように言った。
「謎を解くと言うのはそういう事だろう。全てがぱちりと音を立ててパズルのように解が解けれ、それは寸分の狂いもない答えになるには当たり前だよ」
「で、しょうかねぇ…」
「そうさ。これでそいつに隠された昔の事件も大体分かったよ。まぁ芸術家の痴情ともいうか人の女に手を出すと言う恥ずかしい傷を、当時の人たちで隠したというものだったと言うことでいいじゃないか。わざわざ警察の出る幕でもないさ。そいつは君の胸の中で仕舞っておいてくれればいい」
巡査は標識を見上げた。
ロダンも見上げる。
見上げる先に標識が見えた。
「なんだ、谷町まで来たか、随分歩いたね」
そこで軽く手をロダンに差し出す。
「とても愉快な週末になったよ、ありがとう」
差し出された手をロダンが握る。しかしその表情には拭いきれない何かが見え隠れしている。
それを見て巡査が微笑する。
「まぁそんなに考え込まないように」
「ですね…」
「それじゃ。ここで別れよう」
ええ、とロダンが言った。
それで巡査は背を向けた。
ロダンはリュックを背負ったまま巡査に手を振っている。
巡査はこれで彼に会うこともないだろうと思いつつも、しかしながら別れ際に見せた彼の困惑の表情がどこか忘れられなかった。
事実、
田中巡査はこの時思いもしなかったが、再び彼と会うことになる。
そう、事件が起きたのである。
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