第20話
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ロダンは囁くように、しかしゆっくりと確認するように目の前の老人に話し出す。
「時は終戦直後。その頃、老齢の境に居た三室魔鵬(みむろまほう)の元に一人の若い芸術家がやって来た。彼は女性を連れ立っていました。女は若く美しかった。何故、彼が三室魔鵬(みむろまほう)の所に来たのかというと、戦後、彫刻の仕事はありません。美術家にとっては大きな失望の時代だった。その時彼についていた美術商が言ったのでしょう。そこで仕事を学びましょう、きっと高名な先生の所で学べば後学に役立つこともあるはずだと…、しかし、間違いは一つ、若い芸術家の三室魔鵬(みむろまほう)に対する見通しの甘さでした。若い頃、精力に溢れ、手あたり次第『女』に手をだした男も既に肉体的に老いており、老境の間際で美術だけに精力を掛けて生きている、なんら、若い女が居ても、昔のように手を出すことは無いだろうと」
「だが人間の肉体は老いても精神は老いないことをこの若い芸術家は知らなかった。ピカソが年老いて尚、より自由に芸術が花開き続けたことを思えば、内なる精神においては肉体の老いなど何らその精神においては影響をせず、むしろ忍び寄る死への歩みがその制限を抑えている理性を失わせてゆくという事を知らなかったし、それが三室魔鵬(みむろまほう)の内面で連れて来た女を見るにつれて、やがてプラトン哲学の『恋(エロス)』として爆発していくのを見通せなかった」
「あってはならぬことですが、それが遂に爆発した。そう、いまあなたがおっしゃいましたね。蝉が沢山鳴く暑い日の窯で。奥様は突然押し倒して来た三室魔鵬(みむろまほう)ともみ合っているうちに、必死で掴んだ『三つ鏡(みかがみ)』で三室魔鵬(みむろまほう)の頭を激しく殴打。悶絶している現場にあなたとあいつが現れた。それでその状況を見たあなたがたは、事情を察し、割れた『三つ鏡(みかがみ)』を回収すると、あいつが息も絶え絶えの三室魔鵬(みむろまほう)の耳元で囁いた…、そうあなたが僕に言ったことをもう一度忠実に言うと…
『先生、この事が分かるとさすがに人間国宝は御見送りになりますよ。いかがです、先生の晩節を汚さないように私が取り計らいます。どうですか?まずは『三つ鏡(みかがみ)』は彼に与えなさい。何、将来有望の才能ある若い芸術家に惚れこんだということと、それと彼等のこれからの結婚祝いもかねてと言うこと、彼等に引き渡せば先生の所から割れたこいつが見つかることもない。もし見つかってごらんなさい。宮家も御高覧されたこいつが先生の愛憎劇の為に使われた何て言われたら、人間国宝どころか、以後、美術史上何を言われるかわかりませんよ。何、後はこちらでうまくやりますよ、先生の死後、ずっと先生の名誉を守るためにね』」
「それから先生を病院に連れて行ったあなた達は先生が手当てを受けている時、脳出血を起こしている事を聞いた。これこそ幸いですよ、ここは美術雑誌にも書かれているのですが、『三室魔鵬(みむろまほう)は創作中に突然の脳出血、まぁくも膜下出血のため、転倒時に頭を強打して病院に連れられ、そこで創作も出来ず、言葉を発することもできず、最後の時間を過ごすことになった』と言われています。その後のあなた達の事は、こうでしたね。
『引き渡された『三つ鏡(みかがみ)』は模造品を造り、さも自分が所有していることで、この傷害事件とは無縁の扱いをさせてゆく。仕方ないのは有名な作品であるので時折、誰かが見たいと思う時があるだろう。だからその際は公開させるが、人々に肉眼で知覚できるような距離で見せるようなことはせず、距離を置くこと』まぁ模造品ならあなたほどの彫刻家であれば可能な技だったのでしょう…」
「そしてそれは完璧で数年も誰にも分かられること無く、昭和、平成、令和と来たのですが、ここで一つ落とし穴ができた。それは自分達の老いです。その老いが、自分達に軽率なことをさせてしまった。庭で陰干しをしたということです。若い頃の自分達なら警戒心も強く決してそんなことはしなかったでしょう?しかし、老いでしょうか、それとも油断でしょうか?軽率な事をしてしまった。有り得ないことに庭先にたむろしているカラス達に持ち去られてしまった。慌てたあなたはそこで咄嗟の事だったが妙案を作った、それが生首を詰めた桐箱をカラスに運ばせると言う案です、それでそれは結局のところどうなったかというと、巡り巡って今こうして僕の前に現れたということです。いかがです?Xさん」
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