第2話 ハニーハント

 私が山奥の辺境にある屋敷で過ごしている間に、二人の婚約の報せが届いた。計画通りに事は進んでいった。婚約破棄が言い渡されたあの日から、半年が経った。心のしこりは、とうの昔に消え失せており、今はそれ以上の問題が気がかりになっている。今まで一人のために打ち込んできたが、これからは家業である紡織分野に打ち込むことができる。布の加工、装飾、そして素材となる植物の研究はオリヴィアを魅了させた。


「お嬢様、食事の時間ですよ」

「あら、アイビー。もうそんな時間なの?」


 懐から取り出した懐中時計を確認すると、昼過ぎを指していた。時間を指摘されると人は食欲が沸いてくるもので、キリの良いところで作業を終わらせることにした。


「ここに来て半年。お嬢様、人の目がないからとはいえ淑女たるもの気を緩ませてはなりませんよ」

「ごめんなさい、アイビー」

「お嬢様のその聞き分けの良いところは、大変好ましいのですが…この地域は日中も冷えてまいります。もう少しご自愛なさいませ」

「えぇ、そうね」


 人肌に温かくなった懐中時計を握り締めると、アイビーはそっと手を重ねた。何も言わずに食堂へ行くよう促される。食堂では、白いテーブルクロスのかかった長机の上に、ミモザが食事を用意していた。そこには、ミモザ特製のミートパイや屋敷の庭で育てた野菜で作ったスープが並べられている。


「お嬢様、今日はアイビーが森で野兎を捕まえてきましたのでそれを調理しましたわ」

「ありがとう。ミモザ、アイビー」

「「いいえ、お嬢様」」


 この辺境の地に、アイビーとミモザは私についてきてくれた。すでに父が手配した使用人が、過ごしやすいように手はずを整えていた。私と二人の侍女の他に、父は男性の使用人を2人残してくれた。彼らは普段屋敷の離れで生活しており、私が屋敷を訪れるまでは森の住人に荒らされないようにここを管理していた。この屋敷を使用するにあたり、彼らは力仕事や庭・馬小屋の管理を行い、時には執事や郵便配達を行う貴重な人材となっている。


「お嬢様、昼食後の予定はお決まりですか?」

「アイビー、聞いても無駄よ。どうせ、また石塔の部屋で研究なんだから」

「よくわかったわね、ミモザ」

「お嬢様、あまりこもり過ぎますと体に触りますよ?」

「えぇ、もちろんですとも」


 イエスともノーとも言えない返事をすると、呆れたようにアイビーがため息を吐き、眼鏡の縁に手を沿えて頭を抱えた。隣のミモザは愉快そうに笑っている。そんな何気ない時間が静かに過ぎていった。


―――…


 国境に連なる山々の中腹に構えたこの屋敷には、山の麓を一望できるように石塔に部屋がある。山の麓には、いくつもの村や集落があり、そこで必要最低限の物資を物物交換を行うことで確保している。部屋からは村だけでなく、屋敷の庭園を見下ろすことができた。そこには、真夏の太陽を彷彿させるオレンジの髪と藍色の髪が藁を持って何か作業をしていた。しばらく作業を見ていると、オレンジ髪の男性が上を見上げ、オリヴィアに手を振ってきた。隣の男性の急な挙動に気づいた藍色髪の男性も、同様に石塔を見上げる。屋敷の女主人であるオリヴィアの姿を見ると、慣れた様子でお辞儀をした。オレンジ髪の男性は、気にする様子もなく声を張り上げてきた。


「お嬢様ーっ!ごきげんようっすー!!今日は雪が降りそうなんで、暖かくするんスよ!…アイタッ!!!」

「お嬢様、すいません。あとで礼儀についてきつーく言っておきますので、見逃してくれませんか?」

「気にしていないわ、ヨハン。ナッツ、ありがとう。そうするわ。それより、先ほどから何をしているのかしら?」

「あー、今日雪降るかも知れないので、植物の根元に藁を引いています。急ごしらえの対処ですが、少なくとも枯れることはないと思いますので」

「ありがとう、ヨハン」

「いいえ、お嬢様」


 窓から吹き抜けた風は、冷たく湿っており、そこから見える空はどんよりとほの暗い。この屋敷に来てから初めての冬が訪れようとしていた。


―――…


 吹雪の中、騎士団一行は険しい森の道を進んでいく。しかし、どこにも道しるべになるようなものはなく途方に暮れていた。山を越えてから、空模様が急激に悪化していった。やはり、もうしばらくあの宿屋に泊まっておけばよかったと、副団長エミール・ローレンスは考える。団長のフランツは道中で現れた野生の熊から深手を負い、傷の影響で発熱を起こし気を失っている。一刻も争う事態に、エミールは焦っていた。


(だからあの時引っ込んでいろと言ったのに、フランツの大馬鹿野郎)


 内心悪態を吐きながら、辛うじて見定めれる雪に覆われた獣道を5人の隊員と2頭の馬を引き連れて歩む。人の手が加えられたように間引きされた森に、エミール率いる6人の騎士団は踏み込んだようだ。目印のように等間隔で木々の幹に赤いマーキングがされており、この付近に人が生活していることが伺えた。また雪に埋もれてわかりにくいが、マーキングに沿って進むごとに獣を狩る罠が増えていることに気づいた。


(ここの近くに人が生活しているかもしれない。設置されている罠の数から、それなりに人がいるようだ。…鬼が出るか蛇が出るか)


 時間は昼過ぎだが、雪のせいであたりはどこか薄暗い。しかし、道しるべに従って進むほどに希望の光が強くなってくる。隊員は寒さに口数が減るが、疲労に対し足取りはどこか心強い。おそらくマーキングの存在を知ったのが大きいだろう。そして、彼らは石で作り上げられた塔を目にする。そこには、閉ざされた窓からロウソクの光が漏れているのが見えた。 


「…女神はいるもんだな」


 石の壁を回り込むと、屋敷の大きさに一同言葉を飲み込む。鉄の門を押し開き、屋敷の重厚な木製の扉を叩く。助けてくれ、その一心で。


―――…


 石塔内の部屋の温度が下がり、わずかに手がかじかんだ。窓の外は、ナッツが言ったとおりに雪が降っており、時折冷たい風が吹きつけ吹雪のようであった。長時間机に向かった体は、寒さと疲労でどこか気怠く感じる。自室で読書をすることにしたオリヴィアは、ロウソクを持ち、屋敷の中へ向かった。冷え込んだ部屋の暖炉に薪をくべていると、ミモザが慌てた様子で部屋に入ってきた。


「お嬢様、お急ぎの用件でございます」

「ミモザ、何かありましたか?」

「騎士団の方がいらしております。どうやら怪我をしている方もいるようで、一刻も争う事態です。ただいま、屋敷の入口でアイビーが対応しております」

「今すぐそちらへ向かいます」


 玄関に到着すると、甲冑を着た一人の青年とアイビーが話をしていた。私の存在に気づいた青年が視線を動かすと、アイビーが私の元へ駆け寄り、一礼して話す。


「お嬢様、どうやら彼らの隊長が怪我を負い、熱を出していらっしゃいます。現在、応接室で他の隊員が様子を見ております。皆様ここへ訪れた頃にはすでに疲弊しておりましたのでご案内いたしました」

「…私、騎士団で副隊長を勤めているエミール・ローレンスと申します。吹雪が止まるまでで構いませんので、しばらくここに身を置かせてもらえないでしょうか?」

「緊急事態です、挨拶は手短にいたしましょう。この屋敷で女主人をしているオリヴィア・ルートレッジと申します。長い旅路でお疲れでしょう。怪我をして熱を出している方もいらっしゃるようですので、しばらくこの屋敷でおやすみくださいませ。吹雪が止みましたら、麓の村から医者をお呼びいたしますわ。…失礼ですが、馬は現在どちらに?」

「隊員の一人に任せております。2頭連れていますが、馬小屋の空きはございますか?」

「充分にございます。蓄えも部屋も人数分確保できますわ。十分な使用人がおらず、たいしたもてなしもできませんが、最大限できることをいたしましょう。…アイビー、隊員の皆様が休めるよう部屋の用意を。ミモザ、ナッツを呼んで騎士団の馬を馬小屋へお連れして。ヨハンには薬の用意の指示をし、貴女は、体が暖まる食事を用意しなさい。私は、怪我人の傷を見てまいりますわ。後はよろしく頼みます」

「「はい、お嬢様」」

「ローレンス様お待たせいたしました。応接室へ参りましょう」

「ルートレッジ様、お心遣い痛み入ります」


 深々とお辞儀をするエミールからは疲労が伺え、険しい道のりだったのだと感じ取れた。怪我人を抱えての進行は、精神的疲労も大きいはずだ。


(しかし、なぜ彼らがここに?…王家専属の騎士団として普段は王城を護衛する彼らが、なぜこんな僻地へ?)








―――

新しくでてきた登場人物まとめ

●ナッツ

屋敷の男使用人。ヨハンと共に離れの屋敷で生活している。

建物の修繕、畑の管理を行っている。料理裁縫といった家事全般も得意。

オレンジの髪と空色の瞳をもつ。


●ヨハン

屋敷の男使用人。ナッツと共に離れで生活している。

庭と馬小屋の管理をしている。狩猟が得意。

藍色の髪とグレーの瞳をもつ。


●フランツ

騎士団の隊長を務める。任務の帰路の途中、仲間をかばい熊から深手を負う。


●エミール・ローレンス

騎士団の副隊長を務める。怪我をしたフランツの代わりに隊の指揮を執る。

金髪と青い瞳をもつ。

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