第2話

 エム子の書き残したレポートを読み終えたエス博士の頭には疑問が渦巻いていた。

 ……大きな危険? なんだそれ。あと、なんで手書きなんだよ。パソコン使えよ。つーか、プリンターに接続してそのまま出力すりゃいいじゃねーか。なんで手書き!? いまどき一方通行の通信手段なんて人間でも使わねーぞ。双方向のコミュニケーションじゃ何かまずいことでもあったのか。いや、そんなことより……。


 レポートの最後の一文。

「それではちょっとネ♡」が気になって仕方がない。


 エス博士は急いでパソコンを起動し、ブラウザを開く。

 ニュースサイトをチェックし始める。もうすでに事件を起こしてしまっているのかもしれない、そう思うエス博士の不安をあおるように緊急速報のテロップがニュースサイトに表示された。

「首相死亡」

 テロップに浮かぶその四文字が何を意味するのか。それを確かめるため、エス博士はクリックした。


 概要はこうだった。

 首相が国会議事堂に入るため車から降り、議事堂内までの短い距離を進む際、正体不明のロボットが突如現れ、首相に組み付いて爆発。現在、詳細について調査中、とのこと。


 ほかに情報がないか、手当たり次第に検索してみる。すると、動画サイトにその一部始終を録画したものが、マスコミ名義のチャンネルから投稿されていた。


 * * *


 官邸から出発してきたであろう首相の専用車が国会議事堂入り口に到着する。

 車から降りて、議事堂内に進んでくる首相の前に、どこから飛んできたのか、頭上からロボットが降り立つ。

 SPが即座に走り寄ってくるが、ロボットは着地するや高速で首相にしがみ付き、その後、爆発した。

 爆発によって首相の上半身は跡形もなく吹き飛び、周囲にいたSPたちも大きな怪我を負っている。


 * * *


 ことの始まりは二週間ほど前にさかのぼる。

 とある研究室。

 エス博士は今日もロボットをいじっていた。ロボット工学三原則をプログラムした人工知能搭載の自律型ロボットである。しかし、ロボットは今日もまったく動かない。

 

「動かんなぁ。やっぱり第一条がネックなんだよなぁ」

 エス博士は舌打ちしつつ、頭の中に入っているそれを確認する。

 

――ロボット工学三原則 第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 

 危険の看過の禁止、つまりあらゆるリスクに対して人工知能は計算を行わねばならない、ということになる。しかし、あらゆるリスクの可能性とその発生確率を計算するとなると、その情報量は膨大だ。いつまでも際限なく計算し続ける。結果、人工知能自体は問題なく機能しているのに、何の行動も起こさない。すなわち動かないのだ。

  

 いまだ動かないロボット。その造形は凝っていて、若い女性の姿を模している。皮膚や毛髪などは特殊な合成素材が使われていて、外見だけならロボットとは気づかれない水準だ。

 まだ完成どころか動きすらしない試作段階のロボットの造形に、ここまでこだわった理由。

 

 完成後にはどうせテストも兼ねてロボットと対話をすることになる。ならば、無味乾燥な機械然としたロボットと話したいか? ノーだ。むさ苦しい男性型のロボットを相手にしたいか? もちろん断じてノーだ! では若くてかわいい、人間そっくりの外見をした女性型ロボットなら? それだイエス! エス博士はそう考えただけである。それが理由であり、いかがわしい考えはこれっぽっちもない。エス博士はそこそこに健全で、博士と呼ばれるにはまだ若い男、ただそれだけのことだった。

 

「人工知能を増やして、駆動制御と演算処理の部分を別々に……いや、ダメだな。もうやった。なら、さらにもう一つ人工知能を増やして、情報量と演算時間に制限を設けて、その範囲内で……」

 これまでの実験のあれやこれやを振り返り、何とか問題解決に至るアイデアがないかと考えてみるものの、一向にいいアイデアは浮かんでこない。

「下手の考え休むに似たり、だな。よし」 

 考えることにも疲れ、エス博士は休憩することにした。


 椅子の上でひとつ、うんっと伸びをする。そして、コーヒーを飲みながらパソコン画面を見る。インターネットを介して、さまざまなニュースの見出しを目で追っていく。

 

『国会議員またも汚職か? 否定するも晴れぬ疑惑』

『全国にひろがるUFO目撃情報。その正体は?』

『国立ロボット研究開発機関、新規設立が決定』

 

 エス博士には夢がある。このロボット工学の分野で地位と名誉、そして遊んで暮らせるほどの財産を手に入れることだ。

 数ある見出しの中でエス博士の目が止まったのは、もちろんロボットの研究開発機関の記事だった。

 

「こういうところの所長とかになれれば、万々歳なんだよな。今いじってるロボットが動いてくれさえすれば……」

 小さなため息を一つ吐いてエス博士はつぶやいた。

「ハカセ、コーヒーのおかわりはいかがですカ?」

 その声にエス博士が振り向くと、そこにはついさっきまでまるで動くことのなかったロボットが立っていた。

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