堕天使は猫のフリをする
野沢 響
第1話 黒猫①
高校の入学式が終わったと思ったらあっという間に四月も下旬だ。
最初は少し緊張したけど、すぐに友達も出来て学校の雰囲気にも慣れた。
「明日からゴールデンウィークだね。サク、どこか行く?」
同じクラスで仲良くなった
「北海道に行く予定だよ。お母さんの地元なんだ」
サクこと
サクというあだ名は中学生の頃から変わらない。
「いいな~、北海道。私、まだ行ったことないんだよね。ねえ、後で写真送ってよ?」
「うん、いいよ」
すると、話を聞いていたもう一人の友人・
「ねえ、私にも送ってくれないかな?」
三人の中でも小柄な彼女は顔を少し上げてぱっちりとした大きな瞳で紗玖乃を見つめている。色白で焦げ茶色のボブカットが似合う可愛らしい女の子。
「もちろん。李奈にも送るよ!」
紗玖乃は笑顔で頷く。
香織はスマホから顔を上げると、
「あっ、じゃあ私そろそろ行くね? またゴールデンウィーク明けに」
「私もこれから委員会に出ないといけないから、もう行くね」
李奈も元気に片手を上げる。
紗玖乃も右手を上げて二人の背中を見送った。
李奈が放課後に委員会に出るのは昼休みに聞いていたので知っていた。
香織は隣のクラスの子(同じ中学校の出身らしい)に買い物に付き合って欲しいと頼まれていると話していた。
紗玖乃もスクールバッグに筆記用具や教科書などを入れると席を立ち上がる。
「さて、帰るか」
帰宅したら母親の実家に行くための準備もしないといけない。
母方の祖父母が自分に会えるのを楽しみにしているからと母から聞いていた。
校舎を出て自転車置場に向かって歩いていると、目の前に誰かが立っているのが見えた。
上下黒ずくめの背の高い男の人。
こちらに背を向けているので顔は分からない。
(誰だろう? 事務室の人かな?)
歩くのを止めて、ちょっと見つめてみる。
背格好からいって絶対生徒じゃない。もしかして教員?
(こんな先生いたかな?)
紗玖乃がそんなことを考えていると、黒ずくめの男の人がこちらに気付いて振り返った。
肩にかかりそうなくらいに伸びた艶のある黒髪に切れ長の金色の瞳。すっと通った鼻筋に形の良い唇。
黒い髪とは対照的な白い肌。高い背丈に長い手足。
一瞬、モデルかと思ってしまった。
端正な顔立ちに加えて妖艶な雰囲気も漂っているような……。
(かっこいい! けど、誰だろう?)
目の前の男の人と目が合う。金色の瞳に吸い込まれそうな不思議な感覚を覚えた時、我に返った。
「あ、あの……」
声をかけて近付こうとすると、目の前の男の人が急に走り出した。
「ちょ、ちょっと待って!」
紗玖乃は慌てて彼の後を追いかける。
男の人の足はずいぶんと速くて、足の速さに自信のある紗玖乃でも追い付くことが出来ない。
彼が校舎の裏側に回り込んだので同じように回り込む。
「あ、あれ……?」
校舎裏には誰もいない。
左右を見回しても黒ずくめの男の人の姿が見えない。
「おかしいなぁ、確かにこっちに走って行ったのに」
何度辺りを見回しても同じだった。
そうこうしているうちに空は橙色に色付いて、西日が当たっている。
このままここにいても仕方がない。
「そろそろ帰らないと」
諦めて引き返し、自転車置場へ向かう。
(あの人、かっこよかったなぁ……)
先程見かけた男の人が頭から離れなくなっていた。
♢♢♢
ゴールデンウィークはあっという間に過ぎていった。
予定通り紗玖乃は北海道の母方の実家で過ごした。入学式の写真も見せると、祖父母は喜んでくれた。
いつも通り登校すると香織も李奈もすでに教室にいた。
連休中に送った北海道の風景や観光地で撮影した写真のお礼をされた。
観光地が激込みだった話で盛り上がっていると、李奈が思い出したように言った。
「ねえ、そういえば知ってる? うちの学校に猫が住み着いてるって話」
「え? 猫?」
紗玖乃が不思議そうに尋ねると、李奈が再び話し始める。
「私もあんまり詳しいことは分からないんだけど、クラスの子たちが話してるの聞いたの。黒猫らしいよ。昼休みに会いに行ってみない?」
李奈がぱっちりとした大きな瞳でこちらを見つめる。
「猫か~。あたしは猫アレルギーないからいいけど、サクは大丈夫?」
「うん。私も大丈夫」
香織にそう聞かれて、紗玖乃が頷きながら答える。
こうして昼食後に黒猫を探しに行くことが決まった。
午前の授業はあっという間に過ぎていき、お昼の時間になった。
二十分くらいで食べ終えてそれぞれ弁当箱をスクールバッグにしまうと、李奈が言った。
「じゃあ、行こうか」
紗玖乃と香織がそれぞれ頷くと、三人は教室を後にした。
♢♢♢
「どう? 猫いる?」
香織がこちらを振り返る。
紗玖乃と李奈は同時に首を横に振った。
「昼休み、あと十分くらいで終わっちゃうね」
「クラスの子たちの話だと、この辺りにいるって言ってたけど……」
「もう少し探してみて見つからなかったら明日また探してみよう」
そう言って紗玖乃が顔を前に向けた時、すぐ横の茂みから一匹の猫が姿を現した。
きれいな黒い毛並みの猫だ。金色の目をぱちくりさせて、不思議そうに三人を見つめている。
「あっ、いた! この猫だよ!」
李奈が少し興奮した様子でそう言うと、猫と目線を合わせるためにしゃがむ。
香織も同じようにしゃがむと、
「よかった。お昼休みが終わる前に会えて」
黒猫は警戒することもなく伸びをすると、その場でごろんと寝転がった。ずいぶんとリラックスしているみたいだ。
可愛いと口にしながらスマホで写真を撮る二人とは対称的に紗玖乃は目の前でゴロゴロしている黒猫に釘付けになる。
ゴールデンウィーク前日に見かけた黒ずくめの男の人が脳裏に浮かぶ。
立ち尽くしたままの紗玖乃に気付いた李奈が声をかけた。
「サク、どうしたの?」
「ううん、何でもない。私も写真撮ろう」
二人と同じようにしゃがんでスマホを猫に向ける。
カメラ越しに猫と目が合った。
金色の目がこちらを捉える。
紗玖乃がスマホのボタンを押すと、黒猫が「にゃー」と一言声を出した。
撮れた写真を確認してみると、ピンぼけもなくきれいに撮れている。
けれど、紗玖乃の頭の中には変わらずあの男性が脳裏に残っているのだった。
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