地図にない場所

 駐車場から飛び出したシルバーのワゴン車の二台後ろに、俊平の運転する黒色のSUVがある。運転手は獲物を逃さぬよう集中する。

 鏡花は耳に装着していたイヤホンマイクから指を離した。


「社長に許可をいただきました。警察にも連絡済みです」

「了解。じゃあ、愚かな鼠に穴倉の在り処を案内してもらおうか」


 冗談めかしているが、俊平の目は欠片も笑っていない。獲物を仕留めるまで引き返す気はないといった気概が感じられる。

 敵は、昼時の混雑する幹線道路を直進する。

 後部座席の慧も追跡車両を目で追った。


「気づかれてるんじゃないか?」

「よほどの無能じゃなければバレてるだろうね。上倉が心配するなら、それが答えさ」

「追うのか?」

「追うさ。罠だとしても、どこかで車を停めるだろうからね」

「大した自信だな」

「反対しないあたり、君も似たようなものじゃないか」


 口元だけを緩める俊平。慧は続けず、窓の外に目をやった。

 無関係の車両を挟む状態での追跡。

 しばらくして、敵は片側二車線の大通りから左折して脇道に入った。俊平も指示器を出して後を追う。慧もフロントガラスに視線を戻した。

 車のナビに表示される地図では、太い線の隣に薄い色の線が寄り添うようにして伸びている。街では建物を示す大小の四角形が地図を埋め尽くしていたが、現在は小さな建物がぽつぽつと点在するのみ。

 実際に、入った脇道は視界の片側を木々で支配していた。人が住むような環境ではない。


「いかにも、といった場所だな」

「同感だね。穴倉もきっと、僕たちの想像通りの建造物なんだろうさ」

「廃業したが取り壊されずに放置されてる工場跡地、という具合か」

「敷地がフェンスで囲まれていて、入口に立入禁止のテープが三枚も貼られていれば上出来だね」


 そんな想像通りのものがあるとは思えないが、実在するならアジトとしては申し分ない。

 細い道を、前方のワゴン車が時折見える程度の間隔をあけて走行する。

 いつの間にか、二メートルほどの高さの金網が幹線道路と脇道を隔てていた。反対側は相変わらず、自然豊かな木々が林立する。

 ひたすら直進していた敵車両が、前方の坂を上りきった先で左に曲がった。

 視認した鏡花はすぐにナビに目を落とす。彼女は首を傾げた。


「おかしいですね。曲がった先には道がありません。故障でしょうか?」

「そうじゃないさ。地図上にも表示されない道はあるからね」


 存在を認知されていないか、表示させるほどではない場所。敵の目的地がどちらかの理由に該当するのは間違いない。

 どちらにせよ、盗賊組織が根城とするに相応しい条件を満たしている。

 敵が左折した交差点に到達した。俊平はブレーキを踏む。

 車内の全員が、敵の消えた地図上にない道を注視する。

 草が刈り取られているだけの土の道があった。樹木の葉が天井を覆っている。一本道のようだが、奥は木々が阻み全貌を掴めない。

 ナビを見ると、道の先には何も表示がない。

 つまり、何かを隠せるだけの空間があるということだ。


「どう思う、上倉」


 真面目な眼差しを後部座席に向けた俊平に、慧は一拍置いて答えた。


「歩いていくべきだな。その辺に車を停めて」


 冷静な返答に、俊平は満足そうに頷いた。


   ◆

   

 敵を見失った交差点から後退して、車は幹線道路を隔てるフェンスに寄せて停車した。幹線道路では往来する車両が絶えないが、ひとつ隣の脇道は閑散としている。まるで別の世界のようだ。


「感心するね。これほどまで人目につかない場所はそうそうない。居城としては完璧に近いだろう」

「ろくでもないことにやたらと利く嗅覚があるんだ。あの男は」

「実に便利な鼻だ。羨望さえ覚えるよ。もっとも、悪に堕ちてまで欲しいとは思わないけどね」


 俊平は全身の筋肉を伸ばし、運転席に深くもたれた。


「僕の仕事はこれで終わりさ。ここで君たちの帰りを待つとしよう」


 ジッとナビを凝視する鏡花を横目に、慧は座席の下に置いていた二本の直刀を手に取る。

 後部座席のドアを開け、片足を道路に出した。


「上倉、マイクをつけておきなよ」

「忘れていた」


 脱力している俊平が注意した。

 慧はジャケットの胸ポケットに手を伸ばす。イヤホンマイクを取り出し、ぎこちない動作で右耳に装着した。


「この習慣も、身につくまでは時間がかかるかもしれん」

「時間ならいくらでもあるさ。ゆっくり慣れていけばいい」

「暢気なものだ。こっちは、これから敵の罠にかかりにいくというのに」

「いざとなったら僕が手を貸すさ。それなら安心だろう?」

「お前がどれだけ頼りになるのか知らんが、遠慮なく救援要請を出せるよう心に留めておく」

「それでいい。僕らは仲間だ。頼って頼られて、それが在るべき姿ってやつさ」


 ――大層な台詞だ。


 ルームミラーに気の抜けた運転手の顔が反射する。慧は心のなかで感想を呟いた。

 車を降りてドアを閉める。

 イヤホンから誰かの接続を示すノイズが聞こえた。鏡花も装着したのかと推察したが、届いたのは俊平の声だ。


《上倉、今日の君の任務は何かな?》


 彼はだらけたまま、慧を見向きもせずに問いかける。

 慧は直刀を腰に差しながら答えた。


「今さらなんだ。敵地の偵察だろ?」

「それは僕ら全員の任務だろう。そうではなく、僕は君が君に与えた任務、君のやりたいことが何かを訊いているのさ」

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