メイド服は薫陶

 階段をのぼり、自室として与えられた部屋に慧は入室した。

 大して広くないと控えめに紹介されていたが、入ってみれば十六畳はあった。寝床は質の良い厚みのあるベッドで、極上の寝心地が想像できる。他の調度品は一人用の小さな机と椅子のセットだけだが、新入りの慧には望外の待遇といえよう。

 おまけに、壁には彼が愛用する刀を保管するための掛け台まで取り付けてあった。仕事の早さには感心するしかない。一方で、ここまでの歓待を受けると裏があるのかと疑わしくもなるものだ。


 ――騙そうとしてるのはどっちだ、という感じだが。


 しかし、せっかく用意されたものを無視するのも勿体ない。慧は二本の刀を腰からはずして、それぞれを台座にかけてみた。

 良い眺めだと思った。インテリアとしても申し分ない。

 腕組みして頷いていると、部屋の扉が三回ノックされる。

 錠を外すと、廊下に鏡花が立っていた。


「上倉くん、そろそろ晩ご飯の時間ですよ。食卓の場所をまだ知らないかと思いまして、迎えにきちゃいました。余計なお世話だったでしょうか?」

「いや、むしろ手間が省けた。食事はどうすればいいか、あとで訊きに行こうと考えていたところだ」

「よかったです。色々あったからお腹が空いてるんじゃないですか? 今日はたくさん料理を作ってくれたみたいですから、いっぱい食べてくださいね」

「ありがたい話だ。……それはそうと、その妙な格好はなんだ?」

「んっ、この服ですか? そういえば、上倉くんに披露するのは初めてでしたね」


 どう形容していいのやら。廊下に立っている鏡花は、見たことのない不思議な服を着ていた。

 彼女のつま先から頭まで、慧はじっくりと観察する。

 足首あたりまである丈の長い黒いワンピースを、飾り気のない地味な白いエプロンが覆っている。特徴的な艶やかな長髪は頭頂部に集め、リボンの付いたフリルキャップが留めていた。

 慧は昔読んだ本の内容を思い出した。文化の歴史を記した本だ。そのなかに、異国の使用人が似たような服装で働いていたという記述があった。使用人なのだから、貴族の世話を焼くことが務めのはず。つまり身分はさほど高くない。


 鏡花は両手でエプロン越しにワンピースの裾をつまみ、ドレスのように広げた。腰を捻って慧に背面を見せる。

 めくれた足元からのぞく、濃い白色の靴下。背面では両肩から伸びたエプロンを支える紐が交差して、腰の辺りにある別の紐が細い身体にエプロンを縛り付ける。固い結び目は蝶々の形をしていた。


「メイド服ですよ。家にいるときはこの服を着るようにしてるんです」

「わからんな。それは小間使いの服じゃないのか? 鏡花はこの家の娘だろ。それが何故、位の低い格好をする?」

「お父さんに命じられたんです。任務がないときはこれを着ろって。ちゃんと着替えも含めて七着揃えてくれたんですよ? この服装ならAMYサービス社長の嫡女である事実を隠せるとかで、自衛のために着用を心がけろといわれました」


 果たして本当に効果があるのだろうか。慧は返答にきゅうして低く唸る。それはお前の父親が、そういう格好の女性が好きなだけじゃないのか。悠司の性格なら、趣味を実の娘に押し付けてもおかしくはない。

 ややよろしくない想像を胸に抱く。慧はそれを口には出さず、もうひとつ浮かんだ感想を伝えた。


「奇天烈な発想ではあるが、確かにその服ならば身分が知れる可能性は低いかもしれんな」


 それも父親の薫陶くんとうであるならば、一種の家族愛だ。慧には欲しくても生涯得られないものを、嫉妬心で壊すのは無粋な行為である。

 彼女は自慢するように背中で手を組み、ワンピースを翻して優雅に一回転してみせた。身体は後ろを向いたまま首をまわして、正面にいる慧を下から覗き込むように上目遣いで見る。


「実は、私自身もけっこう気に入ってるんです。色合いは地味ですけど、家庭を守る女性って感じで素敵だと思いませんか? ワンピースも裾が長くてかわいいですし」

「服なんて着れればいいとしか思わない俺に感想を求められてもな。一言いうなら、運動には適さない」

「任務のときは制服を着ますよ。かわいいですが、動きにくいのも事実です」

「道理だな。まぁ、鏡花が邸宅内でそういう格好をしていることはわかった」

「うふふ。これで、服装が違うからといって上倉くんに気づいてもらえない心配はなくなりましたね。それでは食卓に案内します。早くしないと、せっかくのご馳走が冷めちゃいますから」

「それはよくない。飢餓に苦しむ奴がいるのに食料を無駄にするわけにはいかん。急ぐとしよう」


 世間の目から逃れて暮らしていた慧だから、身をもって食事の尊さを知っている。メイド服への関心に比べて、食事に対する彼の返答には熱が籠っていた。それを鏡花が気にした様子はない。

 彼女は廊下に出るなり、紅い絨毯を踏んで楽しそうに歩いていく。

 尻尾のように揺れるメイド服の裾を、慧は無心で眺めていた。

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