AMYサービスの長

 執務室は至ってシンプルな造りだった。部屋の隅には様々な色の背表紙が並ぶ本棚、奥には立派な執務机があり、壁の一部は巨大なガラス製だ。そこからは邸宅の裏庭を眺められるようになっている。エントランスホールよりは安価だが、応接セットもあった。

 入室した鏡花と慧は、執務机の前で立ち止まった。

 AMYサービスの社長と思しき人物は、大層な椅子にどっかりと腰を預けて待っていた。

 黒髪をオールバックに固めた社長は、整髪料のせいか髪が艶々としている。身長は慧より高く、俊平に匹敵する。年齢はそれなりであることが窺えたが、三〇代といわれても納得できる若々しい雰囲気を放っていた。


「社長、こちらがさっき電話で報告した上倉くんです」

「ほう……」


 瞬間、室内の空気が急激に張り詰める。

 社長は初対面の慧を鋭く値踏みするように、足元から頭頂部までを満遍なく観察する。その視線に、無価値とわかれば命を奪うような、剣呑けんのんな色を感じた。殺意らしき感情に警戒心を刺激され、慧の手は無意識のうちに、腰に帯びた刀の柄を握っていた。

 何のつもりなのか。訝しく思う彼に対して、社長は唐突に殺意を解いた。元の緩い表情を浮かべるなり椅子から腰を上げ、朗らかに笑いながら来訪者に近寄る。


「やぁやぁやぁ! 君が上倉慧くんか! 報告は聞いてるよ。私の会社に入りたいんだって? よし、それなら入社試験だ。当然だろう? ここは穴の空いた障子の介在しない西洋館。抜け道はなく、入居者は厳格なる審査で判断するのが鉄則だ。例外は認めない。よし、さっそく試験開始だ。ほら、君の眼をよーく見せて…………はい合格! おめでとう、これで君も晴れて我がAMYサービスの聖人君子の一員だ! 一振りにて百を断罪する正義の鉄槌を許されし平和の番人に任命しようじゃないか! それにしても助かるねー。こんな役目、凡人から突然変異して、さらに二段階ほどの進化を経た奇特者でもない限り自分から就きたいとは思わない。それもそうだ。わざわざ地獄の炎に焼かれなくたって、単純な肉体労働をこなせば人間は生きていける。いくら立派な家を建てられるだけの大金が手に入るからといっても、命を換金していると揶揄やゆされる我々への世間の評価は常に『変態』だ。悲しいね。というわけで、改めて。ようこそ、我が珍獣動物園へ。園長の天谷悠司あまやゆうじだ。君のような変わり者を私は待っていた」

「俺には園長が一番の変態に見える」

「ふむ。いい洞察力だ。さて、くだらない冗談はもう充分だろう。君の心を鷲掴みにできた自負がある。本題に移ろうと思うが、ここまでで質問は?」

「入社試験に合格というのも冗談か?」

「ああ、失敬失敬。前言を訂正しよう。君の入社を認めるというのは本当だ。いいかい、慧くん。人間は芝居を打てる狡猾な生き物だ。世間は虚偽に満ちて、あらゆる嘘を隠して回っている。面接? そんなもの、相手の求める人物を演じれば合格できる。筆記試験? そんなものは過去の問題から傾向を掴み暗記すれば容易だ。完璧に正当な評価なんてものは不可能、それが彼らの言い訳で、自分自身を納得させるための惹句じゃっくだ。しかし私はそうは思わない。人には一箇所だけ、如何なる対策を講じても誤魔化せない部位がある。わかるかな、慧くん。それは瞳だ。瞳は己の経験によって常に変化する。後ろ暗い悪行を企めば濁り、誇らしい善行を重ねれば光沢を帯びる。鏡花の教えてくれた通り、君の瞳は非常に綺麗だ。徹頭徹尾てっとうてつび正義を貫く英雄の輝きを帯びている」


 どこか胡散臭さを感じるが、悠司の話は正しいように慧は思う。他人の本心を見抜く方法があるならば、それが最良の試験形式であるに違いない。

 問題は、そんな〝ありえない方法〟を盲信している点だ。瞳が主の心中しんちゅうを雄弁に語るなど、何を根拠に豪語しているのか。

 ただ、鏡花と出会って以来、慧がずっと抱いていた疑問が解消された。

 鏡花が寝返るといった慧を信じたのは、彼の瞳を見て本質を看破したから、というわけだ。

 より正確にいえば、看破した〝つもり〟だから。

 慧としては都合が良いので文句をつけるつもりはない。だが、よくもそんな不確かな理由で敵だった人物を信用できるものだ。

 ちらりと、慧は隣にいる鏡花に視線を向けた。それに気づいた彼女は、暢気ににっこりと笑う。まったく意図が伝わっていない。慧は鏡花を無視して、瞳の焦点を悠然と佇むAMYサービスの社長に戻す。


「俺は正義なんて呼ばれるような奴じゃない。俺がいた組織について知ってるんだろ?」

「無論だよ。国家から指名手配されている犯罪組織・フリーフロム。首領の藤沢智弘の指揮下で違法取引、強盗、殺人と、金と逃亡のためならば何でもやる凶悪な集団だ。構成員は推定三〇名前後と目されているけど、散り散りになって活動しているため人数の把握は困難なようだね。五〇名以上いると推測する人もいたよ。当然我々の同業者も目をつけているけど、総じて拠点の特定さえ叶わず返り討ちになっていた。そんなときに、我がAMYサービスが初の白星をあげたわけだよ。まったく誇らしいね。今夜は赤飯でも炊かせようかな?」

「わかってるなら、妙な言葉を吐くな。俺は何人も」

「しかし」


 冷徹に主張しようとする慧を悠司が遮る。


「こんな噂もある。かつては我々と同じ治安維持組織だったフリーフロムは、国から与えられる報酬だけでは構成員を充分に食わすことができず、仕方なく盗賊稼業に転向したのだと。フリーフロムの関わった過去の事件に、殺人自体が目的と思しきものはなかった。全てが多額の金銭を得るため、あるいは襲撃してきた外敵から自分たちの身を守るためだった。誰かを守ろうとすることは、正義ではないのかね?」

「……フリーフロムと敵対する俺たちには些末なことだろ? 同情して見逃してやるつもりか?」

「まさか。頭目の藤沢は犯罪者の汚名を背負うリスクを承知で秩序に背いた。我々は、その選択が正しかったと認めるわけにはいかない。今朝の作戦で藤沢を討ち取れれば、一旦はそれで終わりでも良いかと思ったんだけど、ねぇ?」

「申し訳ありません」


 綺麗な立ち姿から、鏡花が真摯に頭を下げる。

 悠司はにこやかなまま、彼女の肩をぽんぽんと二度叩いた。


「まぁまぁ、鏡花だけの責任じゃないからね。頼れる新しい仲間を得られたことだし、それで相殺としようじゃないか。我々の作戦はこれで終わりじゃない。依頼を受けたからには必ず完遂する。それがAMYサービスの社訓だよ。鏡花、あとでみんなに、私が期待していると伝えておいてくれたまえ」

「はい、わかりました」


 彼女は事務的にぺこりと、今度は軽く頷いた。

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