天谷邸

 慧はテーマパークのアトラクションにも勝るスリルを体験した。その後は何事もなく、平穏なドライブを経て車は目的地に到着した。俊平がエンジンを切ってドアロックを解除する。

 車が格納されたのは、刑務所を彷彿とさせる高い外壁と鉄条網に囲われた敷地内。紹介された際にも、広大な敷地面積と、奥にそびえる立派な西洋館に慧はひどく驚いた。AMYサービスとは、彼が想像した以上に儲かっているらしい。中型の自動車が五台も並んでいる車庫も、隣接する本館と比べれれば犬小屋程度に錯覚する。

 AMYサービスのような治安維持組織においては、稼ぎ具合が実力の証左だ。慧は改めて、AMYサービスの側についた自分の判断が間違いではなかったと感じた。

 車庫から出る。急ぐように歩く琴乃を先頭に、一行は芝生が敷き詰められた庭を進む。

 無駄に大きい両開きの扉が、西洋館の玄関だった。琴乃が片手で押し込む。鉄製に見える扉が、意外なほど軽そうに、内側に開いた。


「あたしは先に休ませてもらうから。ホント、とんでもない目に遭ったわ。ずぶ濡れになるし殺されかけるし。おまけに変な奴が仲間になるし」

「わるかった。世話になったな、琴乃」

「はぁ。世話になるのはこれからでしょ? もうつかれたわ。慣れないだろうけど、アンタもゆっくり休みなさい」


 疲労困憊といった様子で肩を落とした琴乃は、それだけ残して邸宅に入っていった。

 慧は残された面々に顔を向けた。


「さっきまで俺を敵視していたくせに、存外に早く認めてくれたな」

「油断しないほうがいい。彼女は猫のように気まぐれだからね。だけど同じく、すぐに愛想を尽かす性格でもない。どうやら君のことが気に入ったらしいよ」

「どう解釈したらそうなるのか、皆目見当もつかんな」

「それが彼女の魅力ってわけさ。さて、それじゃあ僕も一旦休もう。社長への挨拶は、天谷さん一人で充分だろう?」


 目配せされた鏡花が、短く首肯する。


「唐沢くんは運転で疲れてるでしょう。どうぞあとは私に任せてください」

「お言葉に甘えさせていただくよ」


 律儀に許可を得てから、俊平も玄関の奥に消えていった。

 邸宅に入る前に、慧は庭を見回した。絵に描いたような豪邸の庭だ。草木の深い色ばかりに目がいくが、敷地の端は花で彩られている。物騒な事業を営むわりに、華やかなことだ。


「よく整備されている。庭師でも雇っているのか?」

「いいえ。庭に限らず、この家は従業員である私たちが管理、清掃しています。常に仕事がある職種ではないですから、手が空いている間は邸宅の整備に従事しているんです」

「基本的というと、一応は小間使いもいるのか?」

「食事だけは専門の方を雇っています。私たちのなかに、料理ができる者がいないので」

「残念ながら、俺も料理はしたことがない」

「大丈夫ですよ。上倉くんにもきっと、できる仕事がありますから」


 よくわからないフォローをされる。早速、慧にも家事を手伝わせるつもりらしい。

 玄関の脇に立った鏡花が、邸宅のなかに手招きする。


「どうぞお入りください。社長のところに案内します」

「楽しみだな」


 素直な感想を漏らして、彼は敵対していた組織の活動拠点に足を踏み入れた。

 

   ◆

   

 玄関の先に広がるエントランスホールは、圧巻の構造だった。二階まで吹き抜けた高い天井、その二階へと続く階段が広間の中央にある。巨大な部屋のなかに、一階と二階と、それを繋ぐ階段があるのだ。

 階段の折り返し地点には、向日葵の絵画が飾られている。一階には、見るからに高級そうな造形の応接セットがふたつ。広間の両端からは、長い廊下が伸びる。さらには視界にある全ての床に、赤色の絨毯が敷き詰められていた。

 まるで異世界。あまりに豪奢な内装に、慧は思わず足を止める。

 背後の鏡花が、不思議そうに横から彼を覗いた。


「どうしたんですか? 遠慮せずに入ってください」

「い、いや、見たところ絨毯が敷かれているようだが、靴はどうすれば?」

「土足で構わないですよ。洋館ですから、靴を脱ぐ必要はないんです」

「そういうものなのか……しばらく慣れそうにないな」


 家にあがるときは靴を脱ぐものと思っていた慧は、どこか釈然としない気持ちのままエントランスホールを歩く。

 邸宅内の空気から、埃を感じなかった。汚れも見当たらず、潔癖症の人物でも満足のいく完全無欠の清潔さに保たれている。慧は広すぎる部屋の中央で、大きく深呼吸をした。


「上倉くん、社長の執務室はこちらです」

「ああ。ここの清掃も、お前たちが?」

「はい。エントランスホールは私が担当しています。任務がないときしかできませんけどね」

「よほど仕事が少ないようだ」

「それでいいんです。平和な証拠ですからね」


 純真な微笑みを浮かべて、鏡花は廊下を進む。慧は彼女のあとについていきながら、等間隔に並ぶ窓から庭を観察した。

 そういえば、邸宅の大きさに反して人の気配がほとんどない。

 廊下の突き当たりで立ち止まった鏡花は、茶色の扉を三回ノックした。


「はいっていいよー」


 間を置かずに返ってきたのは、男性にしては高めの声。いや、声色はともかくとして、その言葉遣いが気になった。およそ組織のトップが使う文句ではない。


「失礼します」


 鏡花は丁寧な所作で、執務室の扉を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る