その言葉に、あなたはどれほどの責任を負えますか?

背伸びした猫

その言葉に、あなたはどれほどの責任を負えますか?

 僕はずっといじめられていた。

 学校に行くのはいつも億劫で、楽しい思い出なんて一つもない。

 そんな僕がよく行く場所に、ちょっとした林がある。学校でパンが出た日は持ってきて、ちぎって適当に放り投げる。するとスズメが集まってきて、チュンチュンと鳴きながらつついて食べる。なぜかは分からないが、僕はそれを見ているととても心が安らいだ。

 学校の給食にパンが出たその日、僕はいつものようにその場所へと向かって、スーツを着たお兄さんに出会った。眼鏡をかけていて、美形ではないけれど決して不細工とは言えない顔。すらりと細い体に、ワックスで固められた髪。清潔感のある人だと僕は思った。



「……ねぇ、何で死のうとしているの?」



 まだ子供の僕でも分かる。太い木に結び付けられた縄の先には、頭を入れるための輪が付いている。その下には、そこらに捨てられていたであろう古びた踏み台。

 まさに今、このお兄さんは死のうとしていた。

 お兄さんは僕に声を掛けられて、踏み台から降りて、しゃがんで僕と視線を合わせてからニコリと笑って言った。



「君はここによく来るのかい?」


「うん。これをあそこにいる子たちにあげに」



 僕がここに通うようになってから、来るだけでスズメたちが集まってくるようになった。辺りを見ると、既に数十匹が鳴き声でエサを求めている。



「そうか。それじゃこの場所は少しまずいね。君に迷惑が掛かってしまう。他人に迷惑をかけることに抵抗はないけれど、君みたいな子供の楽しみを奪ってしまうのは気が引ける」



 そう言うとお兄さんは手際よく縄を解いて、どこかへ行こうとした。

 ただの好奇心で、僕は数十秒前にしたのと同じ質問をした。



「待ってよお兄さん。何で死のうとしてたの?」


「君には難しいかもしれないし、話すと少し長くなるよ?」


「それでもいいよ。僕、今の時間は友達と遊んでることになってるんだ。時間をつぶして帰らなくちゃ、お母さんとお父さんを心配させちゃう」



 お兄さんは僕を見たまま少し何かを考えて、やがて踏み台に腰を下ろして、空けた半分のスペースに座る様に僕に促した。

 僕は促されたままに座って、パンの袋を開けて、ちぎって投げた。

 少しの時間が過ぎてから、



「ただ、退屈だったから。それだけさ」



 お兄さんがそう言った。



「退屈?」


「そ。退屈。毎日毎日会社と家を往復する。別に趣味もなければ仲の良い知り合いもいないから、休日は無意味な時間を一人で過ごす。そうしている内に思ったんだ。退屈だなって。こんな生活を四十年以上もして、それが終わったら会社のない退屈な日々。生きる理由はないけれど、退屈っていう死ぬ理由は出来た。だから死のうって思った」


「……お兄さんが死んで、悲しむ人はいないの?」


「いるよ、多分。親も兄弟も、おじいちゃんもおばあちゃんも、皆優しかったから」


「それは生きる意味にはならないの?」


「昔はなってたかな。僕は小学生の頃いじめられててね。死のうと思ったこともあったけれど、

皆が優しかったから死ねなかった。皆が応援してくるんだよ。あなたは悪くないとか、生きていればきっといいことがあるからって言って」



 僕がいじめられていたことに気が付いたとき、お父さんとお母さんにそんなことを言われたのを思い出した。結局、いじめは収まらず今まで続いているのだけど。



「でも、ある時ふと気が付いたんだ。これは俺の物語で、俺の人生。大人は知ったように言葉を掛けてくるけれど、皆自分の人生しか知らない。未来がどうなるかも分からないのに、ただ生きろと急かしてくる。その時から、俺は大人の言葉を聞いてそのまま信じずに、自分で考えるようになった。そうする中で気が付いたんだ。皆、自分の見たくない世界を避けてるだけなんだって」


「避けてる?」


「分かりもしない未来を楽しいものだと言って、とりあえず生かそうとする。それはきっと、言葉を掛ける側がそうしたいだけ。生きた結果が辛いものだったとしても、結局は全部本人にしか返ってこない。それって、随分と無責任だと思わない?」



 僕が子供だからかもしれないけれど、素直に確かにと思った。

 よく考えてみれば、大人の言う通りにして良いことが起ころうが、悪いことが起ころうが、きっと自分に返ってくる。何が正しいかは誰にも分からないのに、大人はさぞそれが正しいかのように道を示してくる。

 頷いた僕を確認してから、お兄さんはさらに言葉を続ける。



「だから俺は、俺にとっての死ぬ理由が出来たら素直に死ぬって決めた。俺の人生は他人のものじゃないんだから、他人に言われたから、なんて理由で生きたくない。そう思って今まで生きて、死ぬ理由が出来たから死のうとした。どう、答えになった?」


「うん、ありがとう。……ねぇ、お兄さん。そのロープってどこに行ったら手に入るの?」



 そう聞いたけれど、お兄さんはさほど驚いた様子は見せなかった。

 いじめられて辛い。だけど、親に迷惑を掛けたくないから偽って、どうにか今まで生きてきた。でも、それは自分のためじゃなくて親のため。お兄さんのように自分の意思に素直になれば、正直死にたい。そのぐらい僕の人生は、僕にとって苦しい。



「内緒」



 そう言われて、僕は項垂れた。

 そんな僕を見て、お兄さんは笑いながら言った。



「これは君以外からの人間からのアドバイスだから、参考程度に聞いて欲しい。普通に人生を過ごしていたら、勝手に環境が変わるタイミングがいくつかある。進級だったり、進学だったり、就職だったり……。もしかしたら、どこかで当たりを引くかもしれない」


「お兄さんは当たりを引けたの?」


「一回だけね。就職して一年半が経った現時点では、差し引きで言えば完全にマイナスだけれど」



 その後、お兄さんは首を吊ろうとしていた太い縄を持って、どこかへ行ってしまった。きっと、他の場所を探しに行ったのだろう。

 いろいろな話を聞いたけれど、お兄さんの言う通り、これは全部僕以外の人間からのアドバイス。これは僕の人生で、他人の人生じゃない。だから、僕は自分で決めるべきなんだ。

 スズメを眺めながら考えて、日が完全に落ちた頃にやっと僕なりの結論を出せた。

 僕は――。

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