カクテル

@kurokurokurom

第1話

 バーでカクテルを飲みながら、中村祐は小説の構想を考えていた。店内の話声や客の姿に一瞬意識が向き、自分が子供だった時は考えもしなかった光景だなと思う。彼は懐かしい幼少期の頃を思い出し、大人になった今生きている現実をずいぶんと奇妙なものだと思った。彼はまたテーブルの上のジンライムに口をつける。

 しばらくバーにいると、二十代前半に見える女性が彼の一つ隣の席に座った。

「ジントニックをください」

 女性は結構高い声で、背は高くなく、少し体はぽっちゃりとしている。目はくりくりとして、彼はその女性をちらっと見て親近感を持った。

 女性はジントニックに口をつけて、彼の方をちらっとみた。その時、女性と目が合った。

「あの、失礼かもしれませんが」

 女性は彼に声をかけた。

「何ですか?」

 彼は何かしたのかと、どきどきしながらジンライムのグラスを触る。

「どこかであなたの顔に見覚えがあるのですが。違っていたらすみません」

「ああ。僕は作家なんですよ。深夜のテレビをご覧になったのでは?」

 彼はほっとした。

「あ。中村祐さんですね」

「そうです。そうです」

「あなたの作品を学生時代に読みましたよ。川辺の憂鬱ってタイトルの本です」

「僕の二作目の小説ですね」

「いやー。あの本おもしろかったな」

 彼女は酒に酔っているのか、どこか気さくに感じた。お酒にあまり強くないのかもしれないなと思う。

「まさか、こんなところで作家さんに会えるなんて」

 彼女はジントニックを飲み終えると、モスコミュールを注文した。僕はジンライムをもう一度頼んだ。

「あなたはお仕事の帰りですか?」

 彼女は白いワンピースに黄色のカーディガンを羽織っていた。

「私は近くの小学校で教師をしているんですよ」

「小学校の教師ですか。なかなか珍しいですね」

 彼と彼女はどうやら気が合ったようで、話はお互いの仕事から、最近あった出来事の話など多岐に渡った。

 彼女は夜の十一時に店を後にし、彼はまた一人でジャズのBGMを聞きながら、酒を飲んだ。

 一人暮らしのマンションに彼は戻るとシャワーを浴びた。一日の汗が流れていく。彼は今日会った女性、伊藤あんずのことを思い出していた。あんなに他人と気さくに話せたのはずいぶんと久しぶりだった。小学校の教師をしているだけあって、話は上手いし、なにより明るい。自分とは真逆の性格だなと思う。彼は自分のことを物静かなタイプだと思っていた。

 夜寝る前に彼は小説を読んだ。そして自分が書いた小説が今もどこかで読まれているのだろうなと思うと、この世界はつくづく奇妙だなと感じた。

 次の日の朝、彼は洗濯をし、その間に朝食のサンドイッチを食べていた。洗濯機が音をたてていて、しばらくすると止まった。彼は洗濯ものをベランダに干した。洗濯が終わると、部屋の書斎でデスクトップのパソコンで小説の執筆をした。締め切りまであと一か月で彼は集中していた。午後に近くの公園に散歩に行き、帰りにレストランによって、コーヒーを飲み、スパゲッティを食べた。部屋に戻ると彼はまた小説を書き、疲れるとベッドに横になりながら小説を読んだ。あっという間に一日は終わるなと彼は思った。

 夜、昨日のバーへ行くと、そこには伊藤あんずが座っていた。

「こんばんは」

 彼は彼女の隣の席に座った。

「また会いましたね」

 彼女は柔らかく笑った。

「そうですね」

 彼も少し笑った。

「昨日話をしてすごく楽しくて、実は今日も会えるかなって期待していたんです」

「僕も少し期待してました」

 彼はジンライムを注文した。あんずはモスコミュールを飲んでいた。

「私、昔は知らない人と話すのに抵抗があって。仲良くなるまでに時間がかかっていたんです。ただ最近は大人になったせいか、そういう人見知りもなくなってきまして」

「あなたはとても明るいですよ」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 店内には僕らのほかにスーツを着た男性や女性が座って彼らは僕らとは無関係な話をしている。時折バーテンダーとも何か話していた。

「私、あなたともっと話したいです」

 彼女は笑みを浮かべながらモスコミュールを飲んでいた。

「いいですよ」と彼は言った。

 彼らは一緒に店を出た。外にはいろいろな店があった。空には月が浮かんでいる。彼女はじっと前を見つめていた。

 彼は何を話そうか迷った。彼女も少し恥ずかしそうにしていて、彼が話すのを待っているようだ。

「あの、僕は今新しい小説を書いていて」

「どんな小説なんですか?」

「恋人を亡くした主人公が日本各地を回る話です」

「おもしろそうですね」

 彼らは繁華街を抜けて、住宅地を歩いた。

「あの。よかったら。僕の家で飲みなおしませんか」

 彼は勇気を出してそういった。

「ええ。そうしましょう」

 彼女も微笑んでいる。

 彼の住んでいるマンションに二人で入った。エントランスは床が大理石で家賃十五万するだけあって、綺麗だ。僕は玄関の扉の鍵を開けた。

「おじゃまします」

 彼女は部屋の中に入った。

「ちょっと換気して、クーラーつけますね」

 彼は窓を開けた後、エアコンのスイッチを入れた。窓を閉めると涼しい風に包まれた。彼女はどうしていいかわからないようで、部屋の前の廊下でじっと立っていた。

「ここに座ってください」

 彼はソファを指さした。彼女は鞄を床に置き、ソファに座った。花の香りのようないい匂いがする。

「ワインでいいですか? この間貰ったやつがあるので」

 彼は編集者から貰った赤ワインのコルクを開けた。

「さすが、作家さんですね」

 彼女は感心しているようだ。

 彼らはワインを飲みながら、一つ一つ確かめるように会話をした。時刻は夜の十二時を回った。

「終電逃しちゃうかも」

「タクシーを呼びましょうか?」

「いえ、まだ間に合うので」

「送っていきますよ」

 彼らはマンションを後にして、駅まで向かった。小さな星が空に輝いている。彼女はふいに僕と同じように空を見上げた。

「星が輝いていますね。青く見えます」

「そうですね」

「今日は楽しかったです。ありがとうございました」

 駅に着くと彼女はそう言った。

「またバーで会えるのを楽しみにしてますよ」

 彼らはお互いに手を振って別れた。

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