第11話 85年後の絵の国豊前豊後(大仏次郎 田中純 共著 石井柏亭書より)
書きためてはいたのですが、発表の機会がなかったので、順番とか考えず放出して行きたいと思います。
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「絵の国 豊前豊後の旅をしてみない?」
急に朝美氏が言い出した。
説明なしのお誘いにはもう慣れたが、えらくまた唐突な話である。
「なんだいそれは?」
と聞くと、えらく年季の入った本を取りだしてきた。
横文字で右から左に書かれた戦前の書体で「絵の国豊前豊後」と書かれていた。
著者は『大仏次郎 田中純 共著 石井柏亭書』とある
昭和9年刊行。
昭和に1925年を足すと西暦になるので、1934年の本だろう。
表紙には素朴な岡城跡の絵がかかれている。
「これはね、戦前から活躍した織田作之助の友人、大仏次郎って文豪が書いた別府の紀行文なんだよ」
「へぇ、旧字体の本だね」
絵も国も『繪』『國』というで書かれている。
私のポメラでは字が登録されてないが、文書おこしする際にはきちんと旧字で書かれていることだろう。
「別府市史とかでも引用されていたからね、一度は読んでみたかったけど大野書店で在庫が見つかったから買ってきたんだ」
おいくら?
「2000円」
この本の定価は1円50銭、およそ1300倍の金額で購入したことになる。
「むしろ大分県資料(一冊1万~2万5千円)とか増補訂正編年大友史料全33巻(一冊5千~1万)に比べたらやすくてびっくりしたよ」
歴史研究者はたまに大金をポンと出すのでびっくりする。
そんなお金があるなら私の本も買ってくれ。
「でさ、せっかくだからこの本にかかれた名所の今現在を見てみない?」
ようやく文頭の言葉に繋がった。
大昔の紀行文に従って、現在の別府を見てみようというわけだ。
ふうむ。
85年前に文豪が旅した場所の追体験か。それはおもしろそうである。
「乗った」
私は快諾した。
別府は色々見所があるが、どこから紹介すべきか迷っていたのだ。
だが、他人が書いたレールに従って書くならば場所の選定は楽であるし、史料的な意義も生まれる。
ただ、読み捨てられるエッセイにも後世の別府人が読み返してくれる可能性があるならばやる気も出ようと言うモノだ。
ではどこからいこうか?
朝美氏に尋ねてみると、目の前のエセ幼女は笑顔でこう言った。
「えっとね、まずは神戸港から出発だね」
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というわけで私は今、別府から離れて神戸港にいる。
なにを言っているかわからないと思うが、筆者にもわからない。ただ、別府駅からソニックに揺られ、小倉駅で新幹線に乗り換え神戸に着いたらしい。
そして夕方の便で別府に帰る予定なのだそうだ。
何を書いているのか、自分でも本っ当にわからない。
移動費の無駄とか、だったら神戸で観光させろとか、そんなチャチなもんじゃ断じてねえ もっと恐ろしい理不尽さの片鱗を 味わった気分である。
「ちなみに、神戸港については何も書いてないから特に描写は省くね」
ばかじゃないの?
本と同じスタートにするためだけに12000円も使って半日かけて来た神戸だが、3時間後には別府に戻るというのだ。
馬鹿じゃないの?
本っ当に、馬鹿じゃないの?
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せっかくなのでフェリーターミナルと呼ばれた大型の商業施設や、バスで足を延ばした観光をしたのだが、割愛する。
それでは85年後の
『出航の銅鑼が鳴って船が出た。
昔からの伝統らしい。(繪の國 豊後豊前P1 瀬戸内の旅。より)」
「えーとね、この本を書いた田中さんの話だと「ほとんど(夕方)四時近くに神戸港を出港したらしいね」
今(2019年)は7時である。
どうやら船の性能が上がって早めに到着できるようになったらしい。
昔だとそれでも朝方の到着だったので2時間ほどスピードアップしたのだろう。
「GPSによると、あれが和田岬って言うらしいよ」
目を凝らしたが、夕暮れの中薄ぼんやりと灯台の光が見えるだけである。
夕方4時出発で空気もきれいだった当時は、はっきり見えたのかもしれないが夜の7時出発の今ではほとんど岬は見えない。
「えー?でもあそこの淡路島とか見えない?」
そう朝美氏が言うが、暗くて全く見えない。
もう少し明るい夏だったら見えたかもしれないが、本の書かれた春だと現代の船旅では景色は夜景となってしまうようだ。
『この辺もすっかり変つたな』
朝美氏が本に書かれている台詞を口にしているが、この真っ暗闇のどこがどう変わったのか?説明できるなら説明してもらいたい。
そういうと、朝美氏は「はぁ、やれやれ」と言った風に両手を広げて、こう言った。
「いや、お姉さん。そこは作家らしく妄想と空想で書いてくれないかな」
捏造じゃねえか。
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船はエンジン音を立てて軽快に進んでいく。
本によると85年前の船上から見える光景は『風の強い甲板の上に立ち、移り変わる陸上の風景を眺めると美しい白砂と青松の連続だった』そうだが、いまでは護岸工事も整い、コンクリの美しい海岸が見えるのだろう。
…まあ今、目の前にあるのは漆黒の闇と点在する家の光だけだが。
とはいえ、「風の強い甲板」という描写は今も昔も変わらないようで、びゅんびゅん吹きすさぶ北風の中、親子連れが寒さに耐えながら、遠くの夜景を見て騒いでいる。
『フェリ-さんふらわあ』は大型の客船なので今搭乗しても外国船の旅のような気分になれる。
昔関門海峡の巌流島遊覧船に乗った事があるが、小回りの利く小型船とは違ったゴージャスさがこの船にはある。
宿泊代も入ると思えば、この1万5千円という価格もそう高くはない。
(※会員登録による割引+1等船室の部屋価格)
「雑魚寝の二等船室は寝てるときにポケットに手を突っ込んで財布とかを盗もうとする人間がいるそうだから、不安だったら一等に乗った方がいいよ」
と朝美氏は言う。
え?なにそれ怖い。
「知り合いの男性が、消灯された部屋で寝てたら、急に知らない若い男性が横に寝てポケットの中を漁られたって言ってた」
それは単なる痴漢の可能性もあるが、物騒な話である。
どうりでよけいな金を持たないように言ってたのだな。朝美氏。
なお、貴重品はロッカーか預かり所があるので、不安ならばそこに預けた方がよい。
船は隔離された場所なので、証拠さえあれば犯人を捕まえられるかもしれないが面倒事は避けるに越した事はない。
我々は一等室、2人個室に入った。
なんでも絵の国 豊後豊前の作者が個室えで旅をしたためだそうだ。
その朝美氏の執念に喝采を送りたい。ふざけんな。と。
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